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所有欲と自制心

今年の初め、衝動的な買い物が増えた。

目的としていた服ではない服を買ってしまう。値段もそこそこする。その場で購入する原因として、クレジットカードを所有している、在庫が少ない、この2点が挙げられる。

限定という言葉に弱く、今を逃すともう手に入らない感情に支配されてします。

買い物において、基本的に2週間待つようにしている。欲しいものが見つかる、1週間待つ、また商品を手に取る、それでもほしければまた1週間待つ、2週間経ち、まだ購買欲があれば迷わず買う。

家電や家具など、追加生産されるものであればこのルールが適用されるのだが、服はそうはいかない。シーズンごとに発売された服は在庫は一定数しかなく、人気のブランドであればそもそも買うことが難しいだろう。だから、目の前に2度と手に入らないものがあると、頭が麻痺し、とりあえず自分の手元に置いてしまうのだ。これは、所有欲を満たすための買い物だとやっと気づくことができた。今までは買うための理由を探していた。今しかないから、本当は欲しかった、試着してみるとよかったなど、自分の感情を肯定するための理由なら湧くようにでてきた。

でも、衝動で買った服は手元に残らない。一時の感情に溺れ、冷静になった時に気づく、「買ったんだから着なくては」と。

こうなってしまうとなかなか着ない。もちろん、そこから好きになる服だってあるのだが、大半はメルカリかラクマ行きになっている。服たちよ、本当にごめん。

そこからは、いろんなものを見てほしくなったものを買うようにしている。目的と一致しているかが重要で、自分の欲しい服であれば金額が気にしないようにした。機能面を重視しない服に関しては、ブランドストーリーや古着であれば「時間」が付加価値であるからそれに対してお金を払っている感覚だ。

それと、服は時代の影響を強く受けている。流行も周期的に回っている。派手な服ほとんど長く着ない。サイズ感はあれどシンプルな服が長く残る。長く残っているということは、気に入っているということなのかな。

そんな買い物の癖で、一体どれほどのお金を払ってきたのか、想像に難くない。だが、この経験はいろんなところで生きている。価値を見極める目は、服以外の分野でも生きている。聞くだけじゃわからないこともたくさんあるんだなと改めて知ることもできた。そして、この、目・感覚を養うための授業料なんだと、理由を見つけた。

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