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37歳の夏休み

夢の中では未だに学校に行っている

私は未だに自分が学生設定の夢を見ることがたまにある。
私の深層心理を表しているのかと思うと自分でも驚くのだが、夢の中では未だに学校に緘黙状態で通い、~できなかったらどうしよう😖という世界観なので、今は学生でもガッツリ緘黙でもないのに「~できなかったらどうしよう」と深層心理では思い続けている人生なのかと思うと、幼少期から学生時代にかけての緘黙で過ごすしかなかった日々が相当トラウマにはなっているらしい。

夏休みエピソード殿堂入り

最近そういう夢を見たので、夫にそのことを話したら、流れで私の夏休み緘黙エピソード(自分の中では殿堂入り)をまた思い出すことになってしまった。

夢の中での私はなぜか高校生で夏休みの宿題が出されたのでどこからどこまでが宿題なのか?を必死にメモしていて、途中でもしかしてこのドリル貰ってないかも?などと気が付いて「どうしよう?」となっている本当にただの悪夢でした…。

普通に喋れる人には分からないと思いますが、緘黙で自分から人に話しかけたり、困ったことがあったときに誰にも訴えることができないというのは延々に「どうしよう、どうしよう」と思い続けることしかできず、無駄に脳の容量を埋め尽くします。
はっきり言って本当に時間と脳の容量の無駄です。
でも、当時はそうするしかなかった。
少し思い出しただけでもストレスです。

実際に子供の頃にそういう経験があったので、もう二度と同じようなことは繰り返してはいけないと夢で思い出させているのかもしれない。

実際のエピソードは
「小5の夏休み。夏休みの宿題のドリルを自分一人だけ貰っていなかったのに言い出せずにドリルを無くしてしまったことにして乗り切った」
「中学生のとき。夏休みの宿題の一覧のプリントを貰ってなくて(自分で取りに行くスタイルだった)実は夏休みの宿題を全部把握してなかった」
この二つは自分が困っただけなのでまだマシ。

「小2の夏休みの友(ドリル)を出校日に同級生の子が忘れたので自宅まで届けてほしいと担任にお願いされたのに自宅に届けることができずに隣の家の花壇に隠してしまった(後にバレる)」
という人に迷惑をかけてしまった、最悪なエピソードまであります。

緘黙ではなかった夫の「言えなかった」エピソード

私の夫は何の診断もない所謂普通の人ではあるのですが、独特の成長をしてきてる人だと思うので、なかなか興味深い人です。
そんな夫が自分にも「言えなかった」ことが過去にあると話してくれました。

夫が中1くらいの頃の話らしいのですが、ある友達の家はおばあちゃんと二世帯住宅で友達の部屋はおばあちゃんの家の玄関から入るようになっていたそう。
そのおばあちゃんの家の玄関に花瓶があって花が飾ってあったそうなのだけど、あるときその花瓶を誤って倒してしまったことがあるそうです。

普通の人だったらその家の人か少なくとも友達に「ごめんね」と謝れば済む話。
ところが当時の夫は何を思ったのか?友達にすら何も言わずに黙って帰ってしまったんだそう。
後から友達から電話がかかってきて「一言言ってくれればいいのに」と言われたんだそう。

当時、夫は自分でも何を考えていたのか覚えていないんだとか…。
おそらく友達のおばあちゃんとは面識がなくて、どういうリアクションをされるのか?が分からなくて、怖くなって黙って何も言わないという行動を取ってしまったのではないか?ということだった。

この話をしたのは「緘黙じゃなくてもそういうこともあるよ(あったよ)」と私を安心させたかったらしい。

そもそも子供の頃というのが発達途中の段階なので、怖いと思ったら黙りこんでしまう反応になってしまうのもおかしくはないのかもしれない。
それが日常的にずっと続いてしまうと緘黙と呼ばれる状態になってしまうだけであって。

子供は問題解決能力がまだそこまで高くないはずだから何か問題が起きても「黙っていてもそのまま何もなかったことにならないかな」と思っていても不思議ではないのかもしれない、と今は思う。

大人になってもその状態の人が望まない妊娠をして誰にも相談せず(できず?)にトイレで産んでしまって事件化していたりするのかな?などと想像してしまう。

自分が困ったり、誰かに迷惑をかけてしまうかもしれないことが怖い

とにかく私が一番怖いのは「自分から人に言う(聞く)ことができず、自分から動くことができず、結果的に自分が困ったり、それ以上に怖いのがそのことによって誰かに迷惑をかけてしまうかもしれないこと」

別に学校で一言も喋れなかったとしても自分の親とは喋れたのだから親に正直に言っていればそれですぐに解決した話。
それなのにそれを言えなかった当時の私というのは結局その辺は親と共有できていなかったので、「恥ずかしい」という思いも当然あって「言えなかったし言いたくもなかった」んだと思う。

学校で喋れない以前に自分の親をそこまで信用していない(緘黙のことに関しては)という…
たぶん今の子供世代からしたら考えられない状況だったのかもしれない。

こんな育ち方をしたおかげで「自分のことは自分でなんとかして解決しなければならない」という人間にはなれたので、それが良い場合もあるけれど、もちろん悪い場合もあるよなぁ…と。
「困ったときに素直に人に頼る」スキルが低くなってしまった。

おそらくこういう同世代の緘黙経験者は結構多いのではないかな。

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