青い鳥を探す(篠原有利のオンラインサロンより)
充実感の無い成功は大失敗という言葉もありますが、そういう意味では僕は成功しているのでしょう(笑)
自分はいま何を得ることができたのか、それをどう感じるかによって
人は幸せにもなり、不幸にもなります。
常に自分を不幸と感じていたら、その人生はとても寂しいものです。
先日も、学校の授業の在り方について書きましたコラムを読んで「勉強したくないなんて不幸じゃない。そんなものは甘えだ。もっと悲惨な子供がいる」という旨のコメントとメッセージをいただきました。
仰る通りです。
「不登校である」という問題ひとつをとっても、とても多面的な視点が必要となります。
それは、学校だけを改善しても決して無くならないものです。
家庭にも問題があり、その家庭の家計の問題もあり、家族の性格の問題もあります。
多面的だからこそ多面的に物事を見なければならないと僕は思っています。
だから、コラムには「授業」にフォーカスをあてて、その部分だけについて書きました。
他の事は、もっと他に語らなければなりませんし、
行動しなければなりません。
そうしたご意見はとても大切です。
ただ問題なのは、その「問題」を訴える際に「自分はこんな風に不幸だった。他の奴らは全然可哀そうじゃない」という人が多いことです。
「自分は貧しい。だから金持ちが悪い」
「自分は親に虐待された」
「政治が悪い」
「教育が悪い」
「環境が悪い」
・・・・・・・etc
以前、『リーガル・ハイ』というドラマに非常に感銘をうけた名言がありました。
「それが何だってんだ!」
そう、何かのせいにしていたいのです。
『悪』を作っていたいのです。
それに文句を言い続けていたいのです。
「可哀そうに、大変だったね」そうやって承認されたいのです。
私たちが、その気持ちを受け止めてあげるのは大切です。
「よくやったね」と言ってあげることは大切です。
「よくやったね」と承認されたら、
立ち上がらなくてはなりません。
いつまでも、誰からも承認されていてはいけません。
せいぜい2~3人にしておきましょう。
それで十分です。
この世界で、不幸を感じなかった人は少数です。
多くの人が、不幸を感じています。
そして、多くの人か゛幸せを求めています。
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