いま、きみがいる場所

いま、あなたはどこにいるのでしょうか?

自宅?

職場?

その移動中の車の中?

その場所は、あなたにとって快適な場所なのでしょうか?

いま、自分の毎日は幸せなのだろうか?そう質問されたときに僕はどう答えることが出来るのでしょう?

僕がそんなことを最初に感じたのは20歳の時です。

当時、僕は高卒(それも評判の悪い不良が集まる県立高校)としては破格のとても有名なホテルで働いていました。

当然、周りからは羨望の目でみられ、かなり羨ましがられました。

そんなときです。

閉店の作業を終えたレストランで、コーヒーを片手に僕は外の眺めを見ていました。

とても違和感を感じました。

見ているのは美しい光景なのですが、

持っていた気持ちはそこにふさわしいとは感じられません。

「僕は、ここで何をしているんだろう」

僕の「ファーストタイム・クエスチョン」でした。

日々を過ごしていると、そうした「クエスチョン」が心に湧き出してくることがあります。

誰もが「幸せ」という感情で心が満たされるのを望みつつ、

それを叶えることが出来ない。

それは何故なのか?

「こんなじゃない、こんな生活を自分は望んでいない」

そんな思いが心にあふれんばかりにあろうと、その感情を飲み干すしかない毎日。

僕には夢がありました。

僕は映画監督になりたかった。

高校生のころ、学校から借りたビデオカメラという魔法の機器は僕を熱狂の世界に連れて行ってくれた。

子供のころ観てきた銀幕の体験を、僕も創ることが出来る。

演劇部を引き連れて、毎日毎日撮り続けていました。

とても稚拙で、とても純粋な気持ちにカメラを向け続けていました。

それらの想いに区切りをつけて、僕は「身の丈」にあう生活を進められ就職した。

熱心にアプローチされて結婚をした。

「他に相手もいないし、いいか」

その気持ちは、相手にとっても失礼だし、最低な判断だったと思います。

それでも、周りからは幸せに見えていた。

とても幸せなことに見えていた。

ようです。

傍から見たら、僕は順調で幸せだったのかもしれない。

でも、窓の外にひろがる街の灯が、繰り返し尋ねてきました。

「本当にそれが欲しかったの?」

僕は、僕なりに努力をしてきた。

その努力の結晶がその生活だった。

それに耐えられなくなっていった。

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