炎の記憶。あの日の彼女の記憶。
肋骨の痛みと、腰の痛み、前と後ろの痛みに横になることも出来ずにソファで仮眠をとっていると様々なイメージが押し寄せてきます。
その殆どが炎のイメージで、爆発炎上するトラックは思っていた以上に脳に刻まれていたようで。
そのイメージにどこか既視感を感じてしまい、ふと思う。
僕はそうした事故に出くわしたのはこれが初めてで、アパートの火事に遭ったときもボヤで済んだので炎は見ていない。
いったい何だろうと考えていたら、それは交通事故の「想像」
実際に見たわけでなく、それでも何度も何年も脳にあったイメージ。
彼女の死を追体験したとき。
高校生の時、僕は生徒会長をしていたこともあって少しばかり目立つ存在だった。
どちらかというとモテる部類だったと思う。
何人か、付きあった女の子はいた。
彼女たちがこの駄文を読まないことを期待して書くけど、本当に好きになったのはひとりだけだった。
H.M
忘れっぽい僕だけど、その全てを記憶から消せないのは脳にナイフで刻まれているからか焼き印を押されているからか。
「好みの理想像」があるとするならば、まるで僕の想像が形になったような人でした。
好きにならないわけがない。
だって僕の理想がそこに実体として存在しているのだから。
一瞬で恋に落ちました。
彼女は僕が部長を務める演劇部の入部希望で部室に現れた。
ドアを開けた時、その一瞬は絶対に忘れない。
彼女もまた部活動説明会で登壇した僕に一目ぼれして演劇部に来てくれたわけで。
即、交際となった訳です。
Hとの交際は、それまで理解しえなかった「恋」のすべてを叩き込まれるスパルタ教育のように僕を変えていきました。
Hは今でこそ「ツンデレ」という言葉がありますが、僕は常に振り回されていました。
僕の方が二つ先輩なのですがね。
こんなに深く人を好きになったことも、それで傷つくことも初めてで、
新鮮な想いが毎日湧き出る泉のようでした。
一年、
一緒に過ごしたのは今にして思えばそれだけで。
とはいえ、18歳の僕にとってその「一年」はすべての季節に彼女を刻み込むことになって。
僕が就職で(当時はバブル経済の真っただ中で、高卒でもそこそこの企業に入れました)福岡市に出ることになり、それも今思うと近距離なのですが高校生の僕たちにとってはその距離はとても遠く感じられるものでした。
今のように連絡ツールがあるわけでなく、公衆電話か手紙。
一通の手紙を心待ちにして、毎日郵便受けを見つめる生活。
それまでが蜜月だった分、その谷間は深かったです。
それは彼女もそう感じていたのでしよう。
やがて毎週届いていた手紙は減り、電話もつながらなくなり。
それでも、いつかは
そう思っていました。
成人の日を迎えて、地元に戻ってきた僕が耳にしたのは
世界中の音の中でもっとも聞きたくないサウンドでした。
「あの子、○○さんと付き合ってるよ」
一目、彼女にあって
直接話ができたら、と駆け巡るも空振り。
地元を離れた僕に、後輩からの知らせが。
「○○先輩の車が事故に遭って、Hさん死んだって」
自覚はなく、一体どうなったのか分からないまま僕はその場に倒れていました。
脳がまったく作用しない。
何も考えられない。
考えてはいけない。
それでも、人生は続く。
日常はつづく。
このまま考えられなくなればいいのに。
一瞬でも隙があると彼女のことを考える。
あらゆる「ショック」が僕を攻撃する。
発狂しようにもできない。僕はまだ苦しまなくてはならない。
考えてしまうことが嫌で、苦しくて
どうすればいいのか?
自分の神経を少しでも壊せれば
無心でそこらにあるものを貪り喰い続け、浴びるように酒を流し込んで「思考」をストップさせようとした。
もしかしたら狂っていたのかも。
仕事も辞めて、地元で夜の仕事に就くことになった。
それでも酒は止められず、意思の疎通が図れる人間に戻れるまで2年がかかった。
その間、何度も死線を行ったり来たりしながら。
つづく。
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