激動の昭和生まれが激動の平成を振り返りつつ激動の令和を想う(毎回「激動」って付くのね)
令和
だ、そうですね。
おはようございます。篠原有利です。
さて、新元号に皆さまはどのような想いを抱きましたか?
僕も初めてあの元号を知った時に
「まぁ、いいか」くらいだったと思います。
平成がさっぱりしすぎていて拍子抜けした時ほどネガティブではありませんでした(言い訳しますと当時は18歳の刺激を求める文学少年でしたので嗜好は今とは違います)
それでも「音が「れーわ」だから「しょーわ」と被るな」とか、
「令和18年に生まれたらR‐18とか書かれるんだな」とかチラッと考えましたがね。
すぐに慣れていくのでしょうね。
さて、この時期でありますから話題といえば『激動の平成史』ですね。様々なメディアで特集が組まれていますが、その中でも気になるのが『宗教(的)集団』の在り方。
この頃からか、日本で「自己啓発」という言葉が一気に忌み嫌われているものとして扱われている気がします。
それは「報道」の姿勢もあるのかもしれませんね。
とはいえ、話題になった「自己啓発団体」のそれは極端ですらありました(笑)
もう、強烈(;^_^A
だけどその『強烈さ』こそが【ブランド】の要素なのかと思います。
強烈なキャラクターは、「他にいない」という価値を創り、既存の生活に嫌気がさしている人には救いに見えるものです。
【他にない】という【価値】
それこそ教祖を作り出す重要な要素になっています。
そういえばアメリカにおいてあのトランプが大統領でいられるというのも【他にない】という【価値】なのでしょう。
「変わりたい」その想いは理解できる気がします。
これまでの「理想的な大統領像」を徹底して破壊する姿を求めている人も存在していたということです。
それは「教祖」にも言えるのでしょう。
これまでの閉そく感に満ちた生活を変えたいと願ったときに、圧倒的に「違う」存在が現れた時に人間はどんな行動をとるのでしょう?
「違う」ということが「圧倒的」であるのだから、自身が持っていた「常識」など矮小な存在となってしまいます。
今日と同じ明日を求める人はどれくらいいるのでしょうか?
その逆はどれくらいいるのでしょう?
おそらくは半々といったところでしょうね。
ビジネスをする際に、どちらの「半分」にあなたはアプローチをしますか?
それがターゲットを絞るということです。
「絞らなければならないの?」という方もいます。
「広く、たくさんの方に」
その考えの元で生み出されたものは『中途半端』と呼ばれる代物です。
「誰にでも愛される平凡さ」を売りにしている例ももちろんあります。
COCO壱番屋のカレーはそうですよね。
それは「平凡」という圧倒的な理念を掲げた唯一無二な【ブランド】の勝利です。
それでさえ、尖り続ける風潮を切り裂いたビジネスモデルだったといってもいいでしょう。
それくらい、「違う」ということは魅力となります。
その「違う」をどのように創るのか?
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