オンラインサロンの被害者だと名乗る前に読むもの。
おはようございます。
自宅のプリンターを覗いてみると、たった数色のインクしか無くて。それなのにビックリするくらい見事なカラー写真が出来上がります。
どんな組み合わせになっているのかとても興味ありますね。きっと数多の組み合わせで「色」を作っていることでしょう。
その昔、まだテレビがブラウン管だった頃に画面に近づいてみたら細かい粒子のような色が沢山あって、それが離れると画像になっているというのが不思議で仕方ありませんでした。その秘密を知られたくなくて大人は「テレビは離れて見ましょう」と言っていたのかな?と思うほど。
物凄く複雑で無数の色の粒子が集まってひとつの画面を構成していますし、現在の液晶テレビなどは見る事さえでき位ほどの光と色の集合体なのだと分かります。
平面の画面でさえそうなのです。
何かを構成するのはとても複雑なのに、人はそれを単純化することを望みます。
二極化してしまうことは昔からヒットの法則のように言われていました。
「悪VS善」のように、悪人に対する正義。
二項にすることで、人はどちらかの味方につき議論は白熱するという事。理屈は分かりますが、僕はそうした割り切ることにずっと抵抗していました。
「わかりやすさ」からの決別。
僕は自身の行為をそう名付けていました。
悪人と言われている人が悪いことをしている割合はどんなものでしょう?人を殴って傷つけたことは悪いと思いますが、24時間ずっと人を殴り続けているのか?
疲れますよ(;・∀・)そりゃ。
基本的には良い人の側面があるかもしれません。献血に行って捨て猫を保護しているかもしれません。もしかしたら人を殴った原因も深い事情があるかもしれません。
でも、そうした部分にスポットは当たりません。分かりにくくなるからです。
悪はとことん悪でないといけません。だから「悪魔のような」怪物でなくてはならない。
その為に被害に遭うのは周りです。その人が善意を持って居ることを証言しようとするのなら「悪の協力者」として罰せられます。
ハリウッドで旋風を巻き起こした「#MeToo」運動。とても素晴らしい活動だと思いますし、これまで泣き寝入りするしかなかったセクハラ被害者が声を上げるきっかりを作ったことは功績だと思います。その反面で、加害者の恩恵にあずかった人も少なからずいたと思います。その人のお陰で巨万の富を得た人もいたでしょう。しかし、悪人はとことん悪人でなくてはならないので悪いところだけを叫んでいきます。少しでも擁護しようとした人までも弾圧します。
だって悪は悪でなくてはならないのですから。
その反対は「可哀そうな被害者」でなくてはなりません。「事実」は「真実」を無視して創られていきます。
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