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どっしりとした幸せ
ナバラ村で伝統家屋であるブレを見たとき、ふと竹富島の赤瓦の屋根の家を思い出した。なんとなく似ているな、と思った。造りもそうだけれど、備わっているものが。生きるために本当に必要なことだけがある家。家族やご近所さんや大切なひとたちが集まれる開放的な家。今日の天気や、季節が感じられる、つまり風を感じられる家。先人たちの知恵が詰まった土地に馴染んだ家。
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そこには立派なカウンターキッチンや、冬を凌ぐ床暖房や、一瞬で冷える冷房、重厚な素材で出来た家具はなかったけれど、誰にとっても幸せな空間だった。
5月に竹富島へ遊びに行ったとき、島に暮らす会社の先輩の家に泊まらせてもらった。あの赤瓦の沖縄の家そのもの。運良く譲り受けたらしい。保育園に通うお子さんと、もうすぐ生まれてくる赤ちゃんと(そのあと無事に産まれた、おめでたい!)4人暮らし。
「足りないものがないよね。」と口を合わせて笑ったふたりの顔が忘れられない。足るを知ることの幸せ。わたしは幸せというものをカタチあるものとして久しぶりに見た気がした。幸せっていつもふわふわしてるからなんとなく感覚的で、それでいつかどこかに行ってしまう不安定さもあって。だけれどここには、どっしりとした、ずっとここにあるぞよ、という強い幸せがあるような気がした。それはきっと、つい最近流れついたものではなく、ずーっとずっと前から、たくさんの人が受け継ぎ、残してきたものだから、なのだろうなと思う。
それと同じ感覚を、ナバラ村で感じて、わたしは5月の柔らかな記憶を、大切な場所のことを、思い出していたわけである。
問題はそれが失われつつある、ということも共通している。わたしにできることはなんだろうと考える。そこに住むものではない、わたしが。
少なくとも、大切に想うこと、それだけは確かに続けようと思う。あの美しい光景を、ブレのなかで眠った最高に心地いい時間を、吹き抜ける風を、その見た目とは裏腹にがっしりとした造りの感触を、きっと忘れない。
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竹富島の場合、わたしたちが運営する星のや竹富島がある限り、この伝統家屋の姿を失うことはない。もちろんホンモノにしていく努力をし続けなければならないが。でもだから、わたしはここにいるんだと思う。自分が働く理由もまたひとつ、再認識した気がする。
世の中にはなくなってしまったら困るなと思うものがたくさんあると思っていた。でも本当は、恐らくは、きっとそんなにないのだ。本当に必要なものはひと握り。それはもう誰もがちゃんと分かってる当然の周知の事実のような気もしているけれど。
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小さな村と、小さな集落、いつまでもきっと大切なことを人々に教えてくれる存在であることだろう。わたしはこの記憶をずっと守り続ける。
▼ナバラ村でのこと
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