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熟したミニトマトをもぐように
お祭りに行く前の夕方、そわそわとした時間が大好きだった。浴衣に早く着替えたくて、浴衣を準備して、ちょっと触ってみたりして、なかなか動かない時計の針をちらりちらりと何度も見た。夏祭り。それは夏休み中でなかなか会えない友だちや好きな子に会える可能性がある日でもあった。いつもとは違う特別な夜が、今もずっと大好きである。
何年かぶりの夏祭りに出かけた。夫と近所の子を連れて。はぐれないように3人で手を繋ぎながら。わたしたちの間にもしも子どもが産まれたら、こんな感じなのかな?と思ったりした。
それにしても屋台の食べものたちが高くなっていて驚いた。わたしが子どもの頃は100円とか200円で買えたものが到底小学生のお財布では買えないような値段になっている。夏祭りの楽しさの代償とはいえ、やっぱりぼったくりではないか?と思ってしまう。物価高騰は否めないが。
逆に、いやいや安すぎるのではないか?と思うこともあった。たとえばコンビニのコーヒー。安くて助かっているのだけれど。大好きなのだけれど。コンビニ前に掲げられた看板には『最高級豆 コロンビア産!』と書かれていた。最高級なのに、200円足らずで買える。どういうこと?という感じである。
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本当に僅かだけれど自分で野菜を育ててみた。ミニトマトは実をつけたものの中々熟さなかった。しばらくして、毎朝念入りにチェックして、水やりして、やっと真っ赤になった。採れたのはたった3つだった。
わたしがこれを誰かに売るとしたらひとつ100円くらいにはしたいと思った。だって、それくらいの想いだったから。スーパーに売られているパックに入ったミニトマトたちは10個ほど入って200円くらい。安すぎることを、やっと知った。
もちろん育てる規模が違うのだけれど、かけてる労力も違うのだから、やっぱり安すぎるような気がした。
今の街に越してきて、農家さんの知り合いが増えた。家の周りにはたくさん畑や田んぼがあって、この農産物たちがコンクリートで埋め尽くされた都市部に住むたくさんのひとの生活を支えているんだなあと日々おもう。
都市生活者を決して批判しているわけではない。わたしも2拠点生活のなかで、週の半分くらいは都市部にいる。ただ、生産の現場を知ることは必要なことだな、と思うのである。
この食べものはどこから来て、誰がどんな風に育てたのか。そういうことを知ると、この商品はいくらぐらいが適切なのではないかということが分かってくるようになる。これは価格付けがおかしい、というものにはお金を出したくないし、いやいやもっと払わせてよ、と思うものはいくつだって。
安い、高いは人それぞれ違うから、だからこそ、何を消費していくか、もっともっと本気で考えなければならない世の中になっていくのだと思う。いや、なっているのだ。
本当に好きなものだけ、本当に惹かれたものだけ、本当に愛せるものだけ。わたしの日々を潤す大事な必需品を、あの日、大切にミニトマトをもいだときのように集めていきたい。
世の中をまだまだ知らない26歳の小娘の戯言であるが。
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