しあわせは半分、悲しみは二倍 | わたしの本棚(2024/7)
結婚記念日には本を贈り合おうということで、今年もらったのはくどうれいんさんの「コーヒーにミルクを入れるような愛」というエッセイ本。
と、本の帯に書いてあって、夫もこう考えているのかな?と思った。
夫は、ご飯を食べるときの最初の一口をまずわたしに、最後の一口もわたしにくれる。「お腹いっぱいになった?」と何度も聞く。わたしは一口目はもらって、最後の一口はあげる。わたしはそのやりとりが嬉しい。好きだ。
エッセイには穏やかな等身大の日々が描かれていて、著者と年齢も近いこともあって共感する場面もたくさんあった。「ゆうちゃんぽいと思って。」と選んでくれた本の装丁はたしかにわたしが好きなテイストだ。
あぁ、これに近いな、と思った。わたしがふたりで生きる日々の中で感じることは、よく言う”しあわせは二倍、悲しみは半分こ”というよりも、その逆で、悲しみは減ることはなかった。相手になにか悲しいことがあると、わたしも悲しくなる。分け合うことで悲しくなるのではなくて、新たにわきあがる悲しみ。相手のことであれば余計になのだ。それは辛くて、しんどいときもあるけれど、でも「悲しいね。」「辛いね。」と言って「ビールでも飲んじゃおう。」と言い合える夜は人生の中にあってもいいと思えたのだ。毎日、幸せでうれしくて、ハッピーではなくても、そういう日があってもいいし、そういう時間は決して悪いものではないと思えるようになった。
できれば、毎日笑っていたいし、いいことだけ起きてほしい。でも、そうではない時間、気持ちも誰かと一緒であれば、味わえる。味わいたい。生きた心地がする。人間らしい、と思える。ふたりでいればいるほど、夫といればいるほど、わたしはより人間らしく、あるがままにいられるのだと気づいた。
結婚して、結婚って何だろう?とより思う。一生一緒にいられる、一生愛し合える、その保証はどこにもない。一生一緒にいたい、いられたら幸せだと思うけれど、そうではない未来だってあると思っている。一緒にいられるように努力をしあうこと、価値観をすり合わせることは妥協せずにやっていきたいけれど、わたしたちはどうしたって別の人間なのだ。違うことの方が多い。それでも、一緒にいたほうが楽しい。ひとりでいるよりも、ふたりでいるほうが楽しい。美味しい。あったかい。心地いい。そう思える限り、ずっとずっと一緒にいたい。そうずっとずっと思えるように、夫のことを大事にしたい。
ちなみにわたしは晴れて脱サラした夫に「あたらしい無職(丹野未雪 著)」という本をあげた。今朝、夫はクレジットカードの申請をしていて、職業のところを選択しながら「俺、自由業に当てはまるんだって!」と嬉しそうに話していた。君には自由が似合うよ、自由でいてね。と思う。さて、クレジットカードの申請は通るのかしらん。