分からないことだらけの日々
誰もいない実家で、窓から陽が差し込み、ふわふわと宙に浮いた自分の心ははっきりしない輪郭をしていて、わたしはそれをぼーっと眺めていた。もう10月だというのに驚くほど暑い日だった。予定のない平日の昼間などいつぶりだろう。
9月で会社員を辞め、10月から生活が変わった。いわゆるフリーランスのような働き方になった。時間や場所にしばられず自由になった。これはわたしが探していた自由のうちのひとつなのか、まだ分からない。
すぐには慣れないと思っていたこの生活に、ものの2日くらいで慣れた。というよりも、本来はこうあるべきだと思っていた生活に戻った、ような感じ。大学生の頃のような、赴くままにいられる感じ。責任もある、制約もある、守るべきこともある、あの頃より増えたものはいろいろあるけれど、それでも元来の感覚にちょっと戻っている気がする。要は、働きすぎだったのだ。ほんの数日前までのわたしは。朝起きて働き、お昼を食べ、働き、夜ご飯は食べたのかどうか分からないような食事をして、眠った。あれがおかしかったのだなぁと思う。会社員でいるときっと、わたしはそういうことをしてしまうのだと思う。それがとっても悪いことだったとは思わない、でも良くはなかった。わたしの心身にとっては。
いつも考えていることだけれど、わたしはわたしのことが本当によく分かっていない。自分にだけは嘘をつかない、などとよく言うけれど、その自分が分からない場合、どうやってなにが本当でなにが嘘だと決めればいいのだろう。わたしにとってはいつも全部本当のことなのだ。
怒ったり、泣いたりすることのなにがいけないのだろう。わたしはたくさん怒るし、泣き喚いたりする。叫び、もがき、地面を叩き、地団駄を踏む。心は少女のままだ。一生、そうでありたいし、そうでしかあれない。
どこかの誰かが命の重さはみな同じだと言った。本当にそうなのだろうか。本当にそうだとして、本当にそうだと思える世界なのだろうか。
誰にでも得意なこととそうではないことがあって、得意なことがみんなに知れ渡っていたり、形になっていたりする人もいる。この世界には誰にも知られずにひっそりと自分の素晴らしい能力を自分だけが知っていて、それを自分だけがとことん愛し、享受し、守りながら生きている人がたくさんいるのだと思う。それって最高にクールだ。
こんなにLINEに友だちがいるのに、Instagramで繋がっている人がいるのに、渋谷に行くまでの電車の中、なんで誰にも会わないのだろうと思う。世界は広いのか狭いのか、わたしにはまだ分からない。分からないし、どちらでもいいのだけど。
書いては消して、保存して、見ないで、しまっておく。そういう気持ちもあっていいと思う。言葉にするにはあまりにも卑怯な気持ちもあっていいと思う。でもきっと、この世界には言葉にして伝えた方が美しい気持ちがたくさんある。