社内事情〔6〕~望まぬ再会~
〔片桐目線〕
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片桐 廉(かたぎり れん)。34歳。
海外営業部・北部米州部・営業課長。人格・外見ともに良好(?)な敏腕営業マンで、最年少係長を経て最年少課長へ。全てに於いて秘孔も急所も弱みもなかったはずが、目下、彼女に目クラの骨抜き状態。
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専務の代理で出席することになった伍堂財閥の定例会。実は今回で2回目だ。
前回は夏の終わり頃。
その時は那須で行なわれたのだが、伍堂財閥の定例会は基本的に女性同伴の正装。堅苦しくておれが苦手なパターンなのは仕方ないとしても、困ったのは同伴する女性。
そもそも、おれは結婚もしてなければ女兄妹もいない。ついでに米州部には女性自体がいない。アシスタントじゃ微妙なところ。もちろん、里伽子の手前、社外の友人なんて選択肢はありえない。
じゃあ、そのまんま里伽子を連れてけばいい。
……のだが。
おれたちの関係は、お互い別に知られて困ることはない。むしろおれとしては、どいつにもこいつにも知らしめておきたいところ。
虫は近寄らせないに限る。
……のだが。
お互いに一致した意見が、某・特定人物たちに『面倒だから知られたくない』と言うこと。
そんなこともあり、『業務上の最適任者に依頼』と言う丸投げの形を取ったところ、結果的に里伽子に白羽の矢が立った訳だ。
そうなると、おれとしては少し楽しみでもあった。最初は。里伽子のドレスアップした姿を見れる、と考えたらテンション上がらない訳がない。
だが、それも会場に向かうまでのことだった。
ホテルで着替え、里伽子の部屋に迎えに行き、扉が開いて彼女を見た瞬間━。
扉を閉めて、そのまま押し倒したい煩悩を抑えるのがひと苦労だった。
それはまあ、仕事モードで必死に堪えたとして、里伽子を伴って会場に向かう途中。
会う野郎、会う野郎が、洩れなく!振り返る振り返る。二度見、三度見、ガン見状態。
会が始まってからも、隙あらば声をかけようと、文字通り虎視眈々と狙う野郎どもの視線を四方八方から感じる。おれが隣にいるにも関わらず、鬱陶しいくらいに感じる。
お前らもツレがいるだろーがっ!
どいつもこいつも!おれが理性総動員法で我慢してるっつーのに、遠慮なしに見るんじゃねえっ!
お陰でおれはずっと里伽子に張りついて、おちおちトイレも行けない状態。里伽子の化粧直しの時が、唯一のチャンスだった訳だ。
まあ、ついでに里伽子と小旅行出来たのは良かったが。
湯上がりの浴衣姿で目眩がしそうになるのを堪え、貸し切り風呂で理性を飛ばしそうになって殴られ(泣)。
……まあ、それは置いといて。とにかく気が気じゃない状態で、おれは気乗りしなくなっていた。
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……とは言うものの、これも仕事なんだし仕方ない、と当日。
昼過ぎには里伽子と発つ予定でいた。
午前中に仕事をひと段落させようと必死になっていると、こう言う時に限って鳴る専務からの内線。
『あ、片桐く~ん?ごめん、ごめん、実はさぁ~』
いつもと変わらぬ緩い調子で、このクソ忙しい時にいったい何を言い出すかと思ってみれば……。
『今日の定例会、19時からだと思ってたら、良く見たら17時からだった~』
「はっ!?」
ヘラヘラと言う専務に、おれは意識が飛びそうになった。
『だから~7時からと17時からを勘違いしてたん……』
「……っだから!おれはコピーでもいいから、正式な招待状を見せてくださいと言ったんです!」
専務の言葉を遮るように、だがおれにしては控え目に吼えた。
『そんなに怒んないでよ~。悪かったと思ってるんだからさぁ~』
(いや、絶対、思ってないだろ!)
心の中で突っ込みつつ、必死で怒りを抑えるべく深呼吸する。
「……わかりました。用意出来しだい、すぐに発ちます」
だから打ち合わせは大橋としたかったんだ。
今さら何を言っても始まらない。受話器を置いて根本くんと朽木に指示だけ出し、おれは里伽子の席に向かった。
「今井さん、すまない。専務の勘違いで、定例会の時間が聞いていた時間より早かったんだ。昼には出るから、用意してくれるか?」
おれの説明に、笑いを堪えた感満載の体で「わかりました」と里伽子。
「すまない。おれは車を取って来て、社の前に停めとくから」
それだけ伝え、おれは車を取りに向かった。━と。
「あ、片桐課長、お疲れさまです!」
廊下の途中で、相変わらず元気な東郷に声をかけられる。
「お、東郷、おつかれ。戻りか?」
「はい。あ、あの、片桐課長……」
「悪い。ちょっと急いでるんだ。すまん!」
何か言いたげな東郷を遮り、おれはそのまま社外に走った。
後ろから「え、あ、あ~課長ぉ~!」と東郷の声が聞こえたような、聞こえなかったような……。
裏の駐車場から車を移動させ、社の玄関近くに停める。荷物は昨日のうちに預かり、既に積んであった。
車から降り、歩道で里伽子を待つ。
晴れた秋空は爽やかだが、ずいぶん空気が冷たくなって来た。恐らく軽井沢は寒いだろう。
帰りにまた里伽子と温泉でも周って来るのもいいか、などと考えていたその時━。
「……片桐……さん?」
おれの名前を呼ぶ女性の声。一瞬、思考が止まる。
何故か、どこか、不安な気持ちが湧き上がって来るのを抑え、ゆっくりと、声の聞こえた方を振り返り……。
おれの思考と身体は、完全に停止した。
見覚えのある顔。違うのは、経た年月の分だけ。
声も出せず、驚愕したまま硬直するおれに、微かな笑みを向けるその女性━。
「……寄木……さん……」やっとのことで声を絞り出す。
「……今は戸倉と言います。……ご無沙汰しております。その節は本当に……。お変わりありませんね」
微かに記憶に残る、控えめな話し方と優しげな様子。
━それなのに。
望まない過去たちが、静かに、少しずつ、だが確実に、おれたちに近づいている気配。
~社内事情〔7〕へ~
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