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里伽子さんのツン☆テケ日記〔5〕

 
 
 
 片桐課長との食事は、何と今夜で五回目。

 もちろん仕事上がりに軽く食事、ってパターンなんだけど、忙しいだろうにマメに誘って来る。この辺り、さすがに営業課長だけのことはある、と言えるのかも知れない。

 ただ、課長の意図が見えない。何のために誘われているのか。何が目的なのか。

 私が目当て……ってことだけはないはずだ。たぶん。いや、絶対。

 かと言って、別に単に食事する相手、ってだけなら、無愛想で口の悪い私じゃなくても良さそうなものだし、課長なら望めばいくらでもお相手がいるはずだし。

 別にイヤではない。あ、言い訳がましい?

 ぶっちゃけ、ちょっとめんどくさいなって時もあるけど、これは課長とだから、ってワケではなくて、相手が誰であっても同じ。あ、ダメですか、私?

 そーゆう意味で言えば、課長は上司ではあっても楽な方のタイプの人だ。藤堂くんとか、ヘタな女性同僚といるよりは、余程、気楽でいられる。あ、ダメですね、私?

 藤堂くんは同期だし、彼が瑠衣とつき合ってた頃は3人で食事したりもしたけど、個人的には面倒だな~と思うタイプ。あ、ごめんね、王子に向かって。

 人としては申し分ない、と思う。優しいし、真面目だし、仕事もデキるし、しかもハンサムでスタイルも抜群。

 だけど仕事以外、つまり私的なことに関して弱冠メンタルが繊細。落ち込むと際限ない感じで、立ち直るのに手間暇かかる、っつーか。

 なのに、ヘンなトコで日本男児気質発揮するし、ヘンなトコでだけ負けず嫌いだし。

 実は、ついこの間も、雪村さんとひと悶着あったらしくて、駅でゾンビみたいな……あ、いや、死にそうな顔で立ち尽くしてたもんだから、仕方ない、放っとけないし、美味しいオススメのサンドイッチごちそうしたわよ。

 で、よくよく話を聞いてみれば、悪いけど大したコトじゃない。私に言わせれば、だけど。いちいち落ち込んでたらキリがない、って感じのこと。ま、いいけど。

 でも、ごめん。ホント、すっごい面倒くさいタイプ。たまに思う。

 少しは気を取り直したみたいだからいいけどね。

 こんなコト、藤堂くんのファンの子に聞かれたら殺されそうだわ。「あんた、何様?」って感じよね。

 そう言えば、最初に課長と食事に行った後、再度、北条くんにも声をかけられ、二回ほど食事に行ったんだっけ。……と言っても、二回目は北条くんに仕事の呼び出しが入って途中退場してったけど。

 今度、その仕切り直しを、って、まさに昨日言われたんだけど……だから、二回目とも三回目とも言えるような。

 相談らしい相談されないで終わっちゃってるんだけど。いったい何を相談したいんだろう、私に。

 北条くんは、楽な部分と、油断のならない部分が半々って感じ。察しがいいから楽なトコもあるけど、何を考えてるのかわかりにくいから迂闊なことを言えない場合もある。

 でも、まず何より、人に相談を持ち掛けるようなタイプとは思えない。未だに。

 そんな北条くんに朽木くんは本当にタイプが似ている……気がする。まだ若いからなのか、単に違いなのかはわからないけど、北条くんほどには油断のならない印象はないけど。でも……

 私に彼氏がいようが、いまいが、あなたには関係ないっつーの!

 それにしても。珍しく課長と社食で逢ったなぁ~と思ったあの日。朽木くんが社食で言ってた「お気をつけて」って、あれはいったいどう言う意味で、何に気をつけろって言ってたんだろう。……ま、いいけど。

 ……課長、ゴハン食べる時、ちゃんと手を合わせてたっけ。ちゃんとしてるわよね、そーゆうとこ。

 はぁ……頭の中、ぐるぐるだわ。面倒くさいなぁ……いろいろ。

 そして、今日。

 今夜は私がリクエストしたお店に行くことになっている。私も行ったことはないんだけど、前から気になってたから課長に言ってみたら「いいよ」って。

 仕事上がってから、いつものように駅で待ち合わせて電車で向かう。

 途中で、課長が突然「あれがおれの住んでるマンション」って言うから、びっくりして思わず私は食いついてしまった。

「え、え、どれですか?あ、あの建物ですか?わぁ~素敵~。何階なんですか?」

 扉に張り付いてまで眺めてしまったけど、後で考えると、あれは我ながら恥ずかしかったわ。だって課長、笑いながら答えたもの。

「15階建ての11階。エレベーターが止まるとしんどいレベル。……特にセキュリティも強化されてない普通のマンションだよ」って。

 何かわからないけど悔しくて、必死に平静を装って、

「11階じゃエレベーターがないとキツそうですね。でもあそこなら眺めが良さそう」

 普通すぎるコメントしてみたり。でも、そしたら課長。

「そんなに眺めたりしないけど、悪くはないかな。最初、一番上を勧められたけど……ま、寝に帰るだけだからな」

 ……それって。

「お休みの日とかくつろいだりしないんですか?」

 ついつい、いらないコトを訊いてしまう。

「くつろぐ……ってほどのこともないな。もちろんボケ~と休んだりはすることもあるけど。大抵、家でも仕事絡みのことしかしてないから……」

 ……え……。

「課長って……」

「ん?」

 本当に彼女も取り巻きもいないのかな。……いや、取り巻きはともかく、特定の彼女がいたら、いくら何でもこんなに何度も私を誘っては来ないか。

 でも、何だか仕事もプライベートも境目がないみたい。確かに課長のプライベートなんて、話はおろか噂すら聞いたことないけど。でも、周りが知らないだけだろう、って思ってた。

 ……と、課長が私の言葉の続きを待ってる気配を感じる。

「……いえ、何でもないです」

 まさか、そんなことまで訊けない。いくら私でも。だって「関係ない」もの。

 そうこう言ってるうちに駅に着いたので、会話から逃げるように電車を降りた。

 目的のお店は駅から少し歩いたところ。やさしい、やわらかい雰囲気の……小料理屋さんって言うのかしら。私はこーゆうお店、結構好きかも。

 でも課長はどうだろう。この間のイタリアンみたいに、もっと如何にもオシャレ!って感じのお店の方が好きだったかしら……なんて考えていると。

「今井さん、こう言う店も来たりするんだ」

 課長が笑顔で訊いてきた。

「私、気になればどんなお店でも拘りませんから。ここは、前に人から聞いて一度来てみたかったんです。課長はこう言うお店、お好きですか?」

 課長、こーゆうコトに関しては、本当は気に入らなくてもやんわりと合わせてくれそうだし……もし、あまり好みのお店じゃなかったなら申し訳なかったな。

「おれもそんなに拘るワケじゃないけど、こう言う雰囲気はドストライク。気に入ってる店もこんな感じの……」

 課長はそこまで言って、ハッとしたように言葉を止めた。何だ。課長がお気に入りのお店と雰囲気が似てるなら、本当に気に入ってくれたみたいだわ。

「そうなんですか。なら、良かったです」

 …どんなお店なんだろう。興味はあるなぁ。課長が気に入るくらいだから、美味しくて素敵なお店に違いないもの。

 考えながらそう言った私を、何となく、困ったような顔で課長が見つめている?どうしたのかしら?やっぱりホントは気に入らなかったのかな。

「課長?」

 不安になって呼びかけてみる。

「ああ、ごめん。そろそろ出ようか」

 ホントにどうしたのかしら。

「はい」

 何か、課長の様子が……そこまで考えて、私は気づいた。

 ……課長は今日で終わりにしたいんだ。私を誘うことを。

 それがハッキリと読み取れた私は、お店を出て大通りに向かおうとする課長の腕を掴んだ。

「課長。少し歩きませんか?」

「ん?」

 課長はちょっと驚いたように私の方を見た。

「ここから少し歩いたところで、ちょっとしたものが見れるそうなんです」

「ちょっとしたもの?」

「はい」

 何が見れるのか、敢えて言わずに返事だけにしてみる。課長は一瞬だけ考えるような表情を見せた後、すぐに穏やかに笑って頷いた。

 こうやって並んで歩いていると、隣にいる課長の背の高さをいつも意識してしまう。別に他の男性陣だって背が高い人は多いのに。何でだろう。何だろう、この感じ。課長の気配が隣にあると、不思議と……守られている、気がする。

 だけど。

 課長は、今夜、終わりの言葉を言ってくるだろう。ウヤムヤにしてフェードアウトを狙うような人じゃない。

 そもそも、初めて食事に行った時だって、その時の一回限りで終わらせたそうな雰囲気だったワケだし。たまたま、何かのはずみと言うか、で、今日まで続いてしまっただけに違いない。

 そんな風に、今夜の今後の展開をシミュレーションしながら歩いていたら、数分で高台にあるワリと大きな公園が見えて来た。

 中に入り、切り立った展望台のようになっているところに行くと、下の方にはおとなしめで優しい光が煌めく夜景。前方を見ると、向かいの高台には五山の送り火みたいな、もちろん本物の火ではないけど、色んな模様がライトアップされている。

「へぇ~。すごいな。こんなところで、こんなものが見れるなんて知らなかった」

「本当に綺麗」

 やっぱり来て良かった。見てみたいな~と思ってたら、ちょうど行ってみたいお店と近いなんてナイスだわ。予定通り、課長もつき合ってくれたし。

 何より、お礼を言って終わらせる、最後の場所に相応しくない?

「私も人から教わって……見てみたかったんです。でも、そんな有名じゃないらしくて。あまりひと気がないって聞いたから、ちょっと、夜、ひとりで来るの怖いな、って。ちょうどあのお店と近かったから……すみません」

 食事のついでと言っては何だけど、かなり人通りのない暗い場所だって聞いてたから。課長をつき合わせてしまったことを正直に白状した。

「いや、お陰でおれもいいもの見せてもらったよ。でも、確かにこのひと気のなさじゃ、夜、女性がひとりで来るのは戴けないな」

 課長はいつもの調子でそう言ってくれた。

 その優しさが嬉しくて、そして、何だかちょっと切なくて。拾った猫に3日で情が移る、ってこんな感じなのかしら。

 だけど、ちゃんと課長の目を見て。

「ありがとうございました」

 せめて、ちゃんと今までのお礼を……

 ━次の瞬間。

 ……え、何、これ?

 気づいたら、私は身動き出来なくなっていた。視界いっぱいに課長の顔。それ以外は目に映らない。

 そして、ひと言も声を出す間もなく。

 課長の唇が私の唇を塞いで、声まで一緒に閉じ込めていた。

 いったい、自分の身に何が起きているのか、全くわからない。

 課長に腕を掴まれて引き寄せられ、そのまま腕の中に閉じ込められている状態であることに、私が気づいたのは数秒も経ってからだった。

 課長の固い腕と胸。身動きひとつ出来ないくらい強い力。それに反比例するかのようにやわらかい唇。

 何……何なの、これ。ワケがわからない。何で?今日で終わりにするんじゃないの?

 課長の腕が信じられないような力で私を抱きしめ、その唇が押し開くように私の奥の奥……深淵まで入り込もうとして来る。

 課長のキスは強引で、なのに、信じられないくらい煽情的で、熱い。熱くて堪らない。目の中で光がスパークしているみたい。目眩がしそうだった。

 もう力が入らない……ううん、入らないんじゃない。脚から……身体中から力が逃げて行ってしまう。立っていられなくなりそうなくらいに。

 課長が深めて来るキスの合間、角度を変えるたびに継ぐ呼吸の音だけが絡み合い、静かな公園内に響く。

 課長に閉じ込められた身体は、力が逃げてしまっても崩れ落ちることすら出来ず、心にも唇にも押し入るように侵入されて為す術もなく、私はただ、されるがままだった。

 どのくらいの間、そうしていたのだろう。

 半ば意識が飛んでいた私は、課長の顔が視界から放れて初めて、唇も身体も解放されたことに気づいた。

 遠くから人の声が近づいてくるのが聞こえ、それで課長は私を離したらしい。

 私は、ただ、困惑していた。どうしていいのかわからず、課長の顔を見つめるだけ。なのに、課長の方がどうしていいかわからないような顔してる。じっと私の目を見つめたまんまで。

 どうして?訊きたいのは私の方。

 でも私には、課長が言うであろう言葉が想像できた。きっと「ごめん」か「すまない」さもなければ「すまない……つい」とか、その辺りだろう。きっと、何とか終わりの言葉に繋げるのだろうと。

 ところが、課長の口から出た言葉は、私の予想とは全く違っていて。

「……帰ろう」

 課長は静かにそう言った。

「……はい」

 私もそう答える以外にはなくて頷いた。

 大通りに出ると課長はタクシーを拾い、いつものように私の家を告げる。

 あまりにも気まずい無言のタクシー内。もしかしたら運転手さん、私たちがケンカしてるって誤解したかも知れない。

 どうして……。

 わかれのキス?いやいや、つき合ってもいないのにありえない。

 いくら考えても答えは出て来ない。

 課長が何を考えているのか、なんて。

 そんな沈黙を救ってくれるかのように、直に私のマンションの前に着き、課長はいつも通り一緒に降り、タクシーを待たせてマンションの入り口まで送ってくれた。

 課長と向き合って立つ。何か言わなくちゃ、でも、何をどう言えばいいんだろう、って考えながら躊躇っていると、少し俯いている私の頭上に、

「来週は仕事が入ってしまっているんだ。その次の週末……逢えるかな」

 予想もしなかった課長の言葉が降って来た。驚いて、思わず顔を上げて課長の目を見つめる。

 どうして━。

「……はい」

 他に答える言葉が出てこなかった。言いたいこと、訊きたいことは山ほどあるはずなのに。

「じゃあ、また、連絡する」

 いつもと変わらない穏やかな課長の言葉に、

「……はい。ありがとうございました。おやすみなさい」

 それだけ返すのが精一杯だった。

「おやすみ」

 課長が静かに返してくれた言葉を聞き、私はマンションに入った。階段を上がりながらも、頭の中は疑問ばかりが渦巻いている。

 部屋に入り、そのままベッドに座り込みたい身体と気持ちを奮い起たせ、灯りを点ける。私が灯りを点けないでいたら、きっと課長はいつまでも窓の下で待っているだろう。そして、心配して様子を見に来てくれるに違いない。だから━。

 そっと、窓を開ける。見下ろすと、やっぱりそこには、こちらを見上げている課長の姿。

 少しの間、こちらを見上げていた課長は、やがてタクシーに乗り込んで帰って行った。

 走り去るタクシーのテールランプを見送りながら、ぐるぐるする脳内と同じように、まだ痺れた感覚を残している唇に指をあてる。

 あんなキスをされたのは初めてだった。あんな、身体中の血が沸騰するんじゃないかと思うような。

 次に課長と逢う時、どうすればいいんだろう。何を言えばいいんだろう。

 初めて垣間見た、課長の『 “男” の顔』に困惑していたこの時の私は、この後、自分の身に起こることなんて想像すらしていなかった。
 
 
 
 
 
~里伽子さんのツン☆テケ日記〔6〕へ つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 

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