社内事情〔15〕~里伽子の想い~
〔片桐目線〕
*
己の過去が原因で曝け出してしまった弱さ。事もあろうに里伽子に縋りつこうとしてしまった自分。
誰よりも巻き込みたくなかったはずの里伽子に。
何より、そんな気持ちを抱えたままで里伽子に触れようとしたおれに、聡い彼女が気づかない訳がない。
里伽子に拒絶されたことで、ひとり、傷ついた哀れな男ぶっていたおれは……。
『今の課長の中に私はいない』
クシャっと歪んだ泣きそうな顔。初めておれに見せたその顔で。
必死に訴えた里伽子のその言葉で、自分がどれだけ彼女にひどいことをしようとしたのかを思い知らされた。
それでも━。
それでもおれは、全てを受け止め、話を聞いてくれようとする里伽子に、過去を打ち明ける決意をした。
*
「……まず戸倉さんのことだが。昼間も言った通り、彼女は10年ほど前に式見で経理を担当していたんだ」
里伽子はおれに勇気を与えるかのように、彼女を抱く腕に自分の手を重ねて聞いている。
「……詳しい経緯は後回しにして結論から言うが、今日、彼女が訪ねて来たのは、仕事に関する情報提供のためだ」
「情報……ですか」里伽子が初めて反応を示す。
「……そうだ。アジア部とは直接の関連性はないが、R&S社を知ってるか?」
「名前だけは……確か何年か前に社名変更した……」
さすが里伽子だ。他部署であっても大まかな把握はしている。
「ああ、それだ。その社の社長がリチャードソンと言う名で、Rと言うのはそこから来ている……はずだった」
「……はずだった?」里伽子が眉をしかめて疑問形になった。
「そうだ。戸倉さんの情報によれば、今のRはリチャードソン氏ではない、と。どうも彼の消息はあやふやらしい」
目を見開いた里伽子が、おれの目を見つめて首を傾げる。腑に落ちないのは当然だ。
「どうして、そんなことがわかったんでしょうか……?」
それも当然の疑問だ。おれだって同じだったのだから。
「彼女のご主人が海外で仕事をしていて、何年もアメリカやヨーロッパで暮らしていたらしい。その伝で聞いた、と」
そんな情報を仕入れられる仕事と言うと、やはり同じ商社なのだろうか。そこまで訊く余裕はなかったが。
「……課長はその話を信じてらっしゃるんですね?」
やはり里伽子には全てお見通しだ。「……ああ」おれは正直に頷く。
「確かに、嘘をつくような方には見えませんでしたけど……何となく、ですけど……でも……」
『何年も前に退職した人間が、何故、今になって“おれ”に、わざわざそんな情報を伝えに来たのか』
そんな個人的な疑問を、里伽子が抱いていないはずはない。だが、とりあえずそれを脇に置いて、話を聞いてくれるところが里伽子だ、と思う。
「人としてはな。信用は出来る、とおれは思う。昔の人柄を差し引いても」
と言っても、そんなに彼女のことを知っていた訳ではなかった。これは本当のことだ。
「もちろん最初は、何年も前に退職した勤め先までわざわざ来るなんて、何か思惑があるんじゃないか、とも考えはしたがな」
これも、おれは直球で答えた。その方がいい。里伽子のようなタイプには、変に隠したり、ややこしいことはしない方が。……どうせバレるんだ。
「……戸倉先輩は……何故、式見を退職されたんですか?課長が苗字のことを知らなかったと言うことは、結婚退職、と言う訳ではないんですよね?」
今度こそ来た。おれにとって、の本題が直球で。ちゃんと正しい情報を伝えなければ。これだけは何が何でも。
「結論から言えば、嫌がらせ……イジメだ」
里伽子が息を飲む。おれの目を見つめる眼差しが、本当なのか、と訊いていた。
そして、これからおれは、一番、言いにくいことを里伽子に話さなければならない。慎重に言葉を選ぶ。
「……しかも、な。どうやら、それはおれのせいだったらしい」
おれの告白に、里伽子は黙ったまま重ねた手をキュッと握った。それだけで、おれに力を与えてくれる。
「真相を聞いた時は……正直、ショックだったよ。心底、まいった」
「……でも……でも、課長が原因だったとしても、責任があった訳ではないんじゃないですか?」
里伽子の目が、おれを真っ直ぐに見つめている。おれは里伽子の頬に顔を寄せた。
「実質的にはそうなんだろうな。だが、おれが原因なのは……事実だ」
「そこまで責任を持つのはムリです」
勢いよく顔を離した里伽子が、再びおれの目を見つめながら叫ぶように言う。
里伽子の言葉はもっともだ。だが、本当におれに責任がないと言えるのか?言葉を探す。
「課長。私は……」
「……わかってる。長くなるが、最初から聞いてくれ」
里伽子が言いかけた言葉の続きはわかっていた。だからこそ━。
おれは、順を追って話し出した。
その長丁場の話の間、里伽子はずっと、おれに寄り添ってくれていた。
~社内事情〔16〕へ~
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