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魔都に烟る~part10~

 
 
 
 ローズを残し、テラスからひとり翔び立ったレイは、彼女が示した方角へと進んでいた。周りに意識を集中させる。

 (……この辺まで来るとわかる……近いな……)

 地面近くまで降り、辺りを見回しながら口の中で何かを呟いた。音声を感じないくらいの呟きが、微かな唇の動きからのみ見て取れる。

 「……あっちか……」

 一方に目を向けると、静かに一歩を踏み出す。と言っても、足音が響く訳でもなく、辺りは不気味なほどに物音ひとつしない。

 暗闇の中、レイの鼻が反応した。

 錆を含んだ鉄のような独特のにおい。

 足を止め、闇の中に目を凝らす。闇と同化したかのようなレイの瞳が、地面のある一点に止まった。

 そこを基点に、ポツリポツリと歪んだ円の跡が不規則に続いている。所々、擦れたような跡。まるで道しるべのように。

 「………………」

 静かに歩を進める。━と。

 「……………!」

 レイの身体が、一瞬、微動だにしなくなる。

 行き止まりになった壁づたいに凭れ掛かっていたのは、目を見開いたまま息絶えた女。

 闇の中では黒く光っているようにしか見えないもの━恐らくは流された夥しい血に塗れた身体。

 それが過日、ローズに絡んでいた女のひとりであることは、レイの目には容易く認識出来た。

 傍に近づき、屈んで覗き込む。

 恐怖と驚愕に見開かれた瞳。それでいて、抵抗する余地も術もなかったであろう、一撃で貫かれた身体の中心。

 そこから止めどなく流れた命の源流は、彼女の纏っていたドレスに絡みついていた。しかし、振り落とされた分は身体を伝って地面に届き、そこに大きな溜まりを作り出す。

 彼女の生が、既に遠ざかっていることを疑う余地はなかった。

 レイは眉ひとつ動かさず、しかし、首を僅かに動かして辺りを確認する。

 ━と、微かに立ち昇る香り。

 その香りがレイの鼻腔を掠めた時、一瞬だけ、彼の眉が反応を示した。訝しむように、少し何かを考える様子を見せた、次の瞬間。

 「……しまった……!」

 呟いたレイはその場を離れると、元来た道を取って返した。

 宙を翔けながら、レイは口の中でひたすらに何かを呟く。その呟きに呼応するかのように、陰っていた月が姿を現した。

 まるで、レイの行く手を照らすかのように。

 レイに置いて行かれ、子爵邸のテラスに取り残されたローズは、室内に入らずその場で待ち続けていた。

 彼が飛び去った宙を睨むように見つめる。

 (……何故……?)

 いくら考えてもわからない、自分が置いて行かれた理由。動けないようにする、と脅されてまで。

 あのレイのことだ。理由がない訳はない、と思う。必ず、何か大きな理由があるはずだ。

 ━と、庭を横切る気配に目を向けると。

 (……アレン……?)

 暗闇の庭を駆けて行くのは、間違いなくアレンであった。ローズの目にはハッキリと映る。

 慌てふためいて走って行くように見える。

 (……いったい……?)

 少し考えたローズは、テラスに人がいないことを確認し、その身を庭へと躍らせた。

 静かに降り立つと、最初に会った時に言われたレイの言葉が、しばし脳裏にこだまする。

 『もし、面倒な行動を起こすようなら……』

 今の自分の行動は、その『面倒な行動』に入るのであろうか。もし、そうだとするならば……。

 考えて、頭を振って振り払う。この状況でジッとしていることがあるだろうか。

 自分に言い聞かせたローズは、僅かに浮き上がりながらアレンの走って行った方へと進んだ。

 アレンは庭の奥へ奥へと向かっているようで、次第に木々が深くなって行く。しかも月が陰っている夜。

 気づかれないように、一定の距離を保ちながらつけるのは、ローズの目を以てしても容易ではなかった。

 まして、動きにくいドレスのままである。宙を翔けていても枝などに注意を払わなければならない。

 それにしてもアレンの足は速かった。いくら自分の家の庭とは言え、暗闇の中、こんなに速く移動出来るものなのか?疑問が過る。

 すると、数メートル先を走っていたアレンがふいに曲がり、ローズの視界から姿が消えた。

 「……………!」

 ローズはスピードを上げ、だが、用心深く近づく。アレンが曲がった手前で木の陰に身を潜め、様子を窺った。

 アレンの姿は全く見えなかった。気配すら。忽然と姿を消してしまったように。

 「……うそ……」

 信じられない思いが、ローズの口から言葉となって洩れる。

 ━その時、何の前触れもなく、ふいに背後へと現れた気配。全身が泡立つように反応する。

 しかし、とっさに振り向こうとしたローズに、忍び寄った相手はその姿を瞳に映す暇さえ与えなかった。

 自分の意識がゴムのようにグニャリとしたように感じたものの、ローズの意識はそのまま何物かに吸い込まれた。

 子爵邸に取って返したレイは、静かにテラスへと降り立った。辺りを見回す。

 「……ローズ」

 呼びかけるも返事はない。

 窓から中の様子を窺うも、彼女の目立つ姿は見当たらなかった。━が。

 一角に、子爵夫妻の息子・アレンの姿があった。レイの目が見開かれ、その柳眉が歪む。

 「……しまった……ローズ……」

 呟いたレイは、再びテラスから身を躍らせた。
 
 
 
 
 
 
 

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