魔都に烟る
──いつの頃か。
西の地にある某王国、『魔都』と呼ばれた都市。
中心部からはずれた屋敷で、夜毎、行なわれる狂乱、響乱、享乱の宴。
妖しく荒んでゆく気配。
滅びゆくことを暗示する退廃の香り。
*
宴に背を向けるかのように、屋敷の一角からひとりの女が姿を現した。
細い肢体、華奢な手足、陽に当たったことがないかのように透ける肌。
薄く折られた一枚布をその身に纏い、色の違う似た生地をもう一枚羽織ってはいるが、どう見ても寒々しい。
さらに、白い足は裸足で、足首には細いアンクレットが微かに煌めく。
無造作に垂らした長い髪の毛も色素が薄く、白に近いブロンド。隙間から覗く瞳は、ひと目で妖しい“力”の持ち主とわかる金紅。瞳孔が猫のように変化する。
女は、まるで体重も重力も無縁であるように宙を舞い、屋敷の壁を越えて市街地の方へと向かった。
*
赤い生命の証が、今宵も街中を染める。
ただよう生の香り。
ほとばしる、生に縋る叫びは、虚しく空へと吸い込まれた。
冷たい石畳の上、伏した仄温かい身体から流れ出す生命の印。
見下ろすその瞳に、何の感情も宿さない女。
「……また……」
それでも、声音には微かな感情の灯火が揺らめいた。
霞む霧に赤く微粒な色が混じり会い、血煙のように烟る。
「…………!」
──と、突然、感じた気配。女の身体に緊張が走る。
顔だけをゆっくりと動かすと、いつの間にか女の背後には闇に溶け込むほど暗い人影。息をつめ、驚きを隠して様子を窺う。
「……きみではないのですね」
まだ若い男の声には驚きも怖れもなく、ただ淡々としている。
「…………!」
無言のまま様子を窺っていた女に、男は滑るように距離をつめた。驚愕して飛び退こうとした女は、予期せぬ眩暈に浮力を失い、かろうじて壁に身体を預ける。
(……何? ……パワーは足りているはず……これは……)
自分の目の前に陰がかかったのを感じ、眩暈で浮かんだ冷や汗を拭う間もなく、唇を噛みしめて顔を上げる。
真正面に立ちはだかった背の高い男。
影になり、顔が全くわからないその男が、今にも倒れそうな女を見下ろしていた。そして、暖かくもなく、かと言って冷たくもない不思議な声音で、無慈悲な言葉を降らせる。
「どんなに頑張っても、恐らくそれ以上は動けないでしょう。大した力ですが、それでも、きみより私の方が力が強いようですから」
必死に意識を繋ぎ止めようと拳を握りしめ、最後の力を振り絞って宙に逃げようとした、その時──。
「…………!!」
身体に鉛のような重み。遠のいてゆく意識。
何かはわからない、妖しい糸のような力に縛りつけられた感覚。
バランスを失い、自分が地に落下する覚悟をする余裕すらなく、既に意識は朦朧としている。
だが、不思議なことに、いつまで経っても地面に叩きつけられる気配はなかった。
代わりに感じたのは、誰かの腕と身体に受け止められた感覚。恐らくは、あの男の……いや、それ以外にはいないだろう。
確かにその腕に通った体温を感じるのに。
触れられたところから凍りついて行くような、そんな恐怖にも似た冷気をも同時に感じ、ただ慄く。
微かな意識を手繰り寄せ、必死にその男の顔を見遣った女は目を見開いた。
──その目。
右目が闇を映した漆黒。
左目は──今宵の空に浮かぶ月を映したように金色に輝く、禍々しくも絶対的な光。
(……ヘテロクロミア……この“力”……)
薄れゆく意識の中で、女は自分が絶対的な力を持つ存在の手に堕ちたことを悟る。
しかし、それがわかっても、もはや抗うことすら出来ず、己の意識を手放して闇へと吸い込まれた。