里伽子さんのツン☆テケ日記〔2〕
※ ツン = ツンデレのツン
テケ = テケトーのテケ
*
東郷くんをやり過ごして数日後。
片桐課長から、その週末はどうか、と予定の打診をされた。
毎度のこととは言え、米州部はいつも忙しそうなんだけど……いや、別にアジア部がヒマなワケではない。ただ時差の問題で、米州部や欧州部は朝早くて夜遅いのが当たり前なのだ。週末の夜とか大丈夫なんだろうか。
ま、本人が大丈夫だから誘って来たんだとは思うけど。
それより、困った。
片桐課長に関する情報が、実は私にはあまりない。瑠衣と藤堂くんがつき合っていた頃は、少しは話すことも情報もあったんだけど……今となっては接点がなさ過ぎる。
お店選びにしても、一応、私に希望とか好き嫌いを確認してはくれたけど、課長がどんな傾向のお店を選ぶのか見当もつかない。いや、私の方からリクエストすれば良かったんだろうけど。
何しろ、基本、私はどんなお店でもイケる性質(たち)だ。最低限の清潔感とマナーさえあるお店であれば。だから、つい油断してしまったのだ。
味がわかんないくらい緊張するような、超がつく高級店でさえなければ、和食だろうと洋食だろうと中華だろうと。はたまた焼き鳥屋でも屋台の赤提灯のおでん屋でも気にしない。ま、季節柄、おでん屋はないだろうけど。
何でこんな悩むかって。要は、傾向がわからないと服装に迷うのだ。やっぱり、あんまり場違いな格好はしたくないし、ぶっちゃけ汚したくもない。
さてさて、どうしたものか。
……なんて言っているうちに週末が近づいて来た。……と言うか、明日になってしまった。
そう言えば、明日のこと以外にもうひとつ気になることがある。最近、合同企画のことが気になっているらしい北条くんから、私が出席した打ち合わせのことをやたら訊かれるのだ。
かなり気になってたみたいではあるけど、まさか東郷くんみたいに、藤堂くんと雪村さんの関係が気になってる……ワケではないだろう。……と思いたい。第一、そーゆうことは私に訊かれても困るし。
……って、違う!そこじゃない!意識、飛ばしてる場合じゃない!
そうだ。そんなことより目先の問題。明日だ、明日。
淡い色の服は危険だけど、この際、背に腹は代えられない。私は目や髪の色が濃いし、しかも無愛想だから、暗い色の服を着ると本当にダークな雰囲気を纏ってしまう。その証拠に喪服なんて最悪だ。
いくら何でも、いくら私でも、上司に食事に誘われてダークオーラはまずい。そりゃあ、ない。ありえない。
……つーことで、これに決定。はい、オッケー。
黄色調のクリーム色のスーツ、いつもの白ブラウスとバッグ、靴はスーツに色を合わせて、ラベンダーのスカーフで差し色、っと。以上!
これだけのことで既に疲れてるって情けない。
……片桐課長……かぁ~。
本当に、何でいきなり誘って来たんだろう。合同企画の見解なんて、正直、全然理由じゃない気がする。だって、まだ大まかな話しか聞いてないのに。
そう考えると嫌な予感がしなくもない。私、何か失礼なことしたっけ?言ったっけ?知らないうちに何かしでかしてそうで、ちょっと不安……みたいな。
ま、そんなちっちゃいことするような人じゃないと思うけどさ。たぶん大人な対応をしてくれるはずだ。
……って、課長って何歳だっけ?確かまだ30代前半だよね。30歳くらいの時に、いきなり係長から課長補佐とか飛び越えて課長になったんだっけ。
確かに私が見ていても、営業の手腕はすごいと思う。進むも退くも、とにかく見極めが早くて正確だし、一切の淀みも躊躇いもない。
『営業の虎』とか言われてるのもわかる気がする。正直、古くさいとは思うんだけど。しかもイメージが『虎』じゃないんだよね、私的には。
何て言うか……もうちょっと、こう、しなやかな感じじゃない?動きのしなやかな……しいて言うなら……豹?
外柔内剛……ううん、違う。
剛柔兼備……そんな感じ。……そんな四字熟語ないけどさ。
それなのに、何で未だに独身なんだろう?
余計なお世話だけど、理由が見当たらない。友萌の妄想通り女に興味ないなら別だけど、北条くんの言ってたことは間違ってないはずだ。
そりゃあ、営業部は基本的に忙しい。それはどの地域も同じだけど、米州部はその筆頭だと思う。
しかも海外営業部は、当然、海外赴任の可能性が高いから、女性とのつき合いがうまく行かなくなってしまう人も多い。つまり、必然的に自分の状況や立場を理解してくれる人と結婚する流れになる。
それ、すなわち社内の女性。経理や広報なんかもだけど、特に営業部経験者とかアシスタントが圧倒的に多い。
でも課長なら、社内外問わず、いくらでもお相手なんていたんじゃないかと思う。それくらいに独身でいるのが不思議な人だ。
だって、どう考えても条件は完璧に近いと思う。
背は高い。たぶん180センチくらいはあると思う。絶対、運動してたでしょ、って感じの体型してるし。肩とか広背筋の感じが、水泳やってたんじゃないかな、と思わせる。
顔だって、藤堂くんみたいな甘くて爽やかな顔立ちとは違うけど、はっきりした男っぽい精悍な顔だし、声も悪くないと思う。
それに、何より優しいよ。たぶん。昔、話した時の印象だけど。
……とは言え、別に課長が好きで結婚しないのなら、それはそれで私には関係ないっつーか余計なお世話なんだけど。
何で気になるかって、実は、ひとつ気になることがあるから。
あれは確か、まだ瑠衣と藤堂くんがつき合っていた頃だから、藤堂くんが米州部で片桐課長の元にいた頃のことだと思う。いや、瑠衣とわかれて企画室に異動になる直前くらいだったかな?どっちだっけ?
ま、いいや。とにかくそのくらい前。
あれは……いったい何だったんだろう、どうなったんだろう、って出来事があったのだ。
……なんて、そんなことを考えてるうちに、いつの間にか私は寝オチていた。
我ながら、おいおい、だわ。
*
金曜日。
相変わらず、米州部は朝早くから忙しそうだけど、課長、本当に今日大丈夫なんだろうか。
ま、ムリならムリで言って来るとは思うけどさ。
これで自分の仕事が終わらなかったりしたらお笑い草だ。集中しよ!
「今井先輩」
……と、集中しようと画面に食いついた私に声をかけて来たのは北条くんだった。
「あら、北条くん。お疲れさま」
ん?何かいつもと顔つきが違うような……。
「すみません、先輩。突然なんですけど、今日、少しお時間戴けませんか?」
「へ?」
あまりに突然のことにアホ面丸出し。
「ちょっと……ご相談したいことがあるんですよね」
えーーーっ!北条くんが私にーーーっ!?ウソだーーーっ!!
……とか言ってる場合じゃない。
「……あ、そか。……え~と、ごめん。今日はちょっと予定が入ってるのよね」
私の言葉に、「そうでしたか。じゃあ、また改めます」あっさりと答えて去って行った。
驚いた。まさか、北条くんに相談事を持ちかけられるとは思ってもみなかった。いや、『人に相談をするような人だと思ってなかった』と言うのが正確なところ。いったい何の相談だろ?
それにしても、寄りにもよって今日じゃなければ大丈夫だったのにねぇ……と、米州部の方に目をやると課長の姿は見えない。今日は朝から、いつにも増して出たり入ったり忙しそうだ。
別に私から課長を誘ったワケでもないのに、後ろめたいと言うか心苦しい気持ちにさせられてスッキリしないけど……考えていても仕方ないので、今度こそ私も仕事に集中することにした。
そして夕方……と言うか、夜。
出来る!やれば出来るわ、私!
集中した甲斐あって、本日の業務は無事に終了致しました。よしっ!
気を良くしてクローズ開始。課長から指定されたのは最寄り駅だし、まだそれまでには間があるから休憩室で一息ついてこうっと。
帰り支度をメイクのお直しまで完璧に終わらせてから、私は休憩室でボーっとコーヒーを飲んでいた。
週末ともなると、私は緊張感が途切れそうになる瞬間がかなりの確率であるから要注意なんだけど、今週はいつにも増して疲れた気がする。
ぼんやりしながらコーヒーの湯気を見ていると、ふと、思い出すのは4年前のこと。
あの時。
何があったんだろう。わからないまま、確認出来ないまま、訊けないまま。4年の歳月なんてあっという間だ。
いつか━。
わかる日が来るのだろうか。私が事実を知る日が。
考えても出ない結論を記憶の扉の奥にしまい、私は課長からの指定通りに駅へと向かった。
駅には約束の10分ほど前に着いた。
私が営業部の部屋を出る時、まだ米州部の人たちは残っていたみたいだから、きっと課長は時間通りに抜けるのはムリだろう。そうは思っても、時間通りに行動する会社員の悲しい性(さが)……。
気合い満々に思われるのもナンなので、ちょっと壁際の陰になっているところに立って待つことにした。
大きなターミナル駅じゃなくても、週末の駅前はそれなりに人通りが多い。行き交う人を眺めながら、また記憶の扉を開けそうになる自分を抑え、コツンと頭を叩く。
時計を見ると、そろそろ5分前。
たぶん課長はまだ来ないだろう、と思いながらも、私は壁際から離れ、少し通りに面した方に移動した。
……なのにいくらも経たないうちに、
「今井さん、ごめん!待たせたかな」と声が聞こえた。
声の聞こえた方に顔を向けると、課長が急ぎ足でやって来る。
「……すまない」
申し訳なさそうに言う課長に、軽く頭を下げながら必死の営業スマイル。普段、そんなに笑顔でいるワケでもないのに、週末ともなると、もう笑うエネルギーも枯渇寸前なのだ。
「いえ。私もついさっき着いたところです。……それに、まだ時間まで少しありますから」
あとの言葉は、私的にはフォローのつもりで口走った言葉なのだが、余計なひと言になりかねないことに言ってから気づいて焦る。
「課長、お疲れさまです。……米州部、お仕事大丈夫なんですか?何だか今日、お忙しそうでしたけど……」
誤魔化すように付け足した私の言葉に、課長は笑いながら「いや、大丈夫」と答えたけど。
その後に「……忙しかったのは専務の相手だけだから」笑顔に苦みを加えながらの本音。
そう言われてみると、午後、チラっと見かけた時、すごく面白くなさそうな顔して電話で話してたっけ。きっと、あれがそうに違いない。
普段の専務の様子を思い出し、思わず脳内で吹き出す。
「好き嫌いはないって言ってくれたから、おれが勝手に店を選ばせてもらったけど良かったかな……イタリアン好き?」
おかしくて、少しだけ疲れが飛んだ私に課長が訊いてくれた。
「はい、ありがとうございます。イタリアン大好きです」
そう答えてから、「……私、大体、何でも戴きますけど」と、また余計なひと言を言ってしまった。
ダメだ、私、疲れてる。普段なら言わないひと言が出てしまう。気をつけなくちゃ、と脳内反省。
「そう、良かった……行こうか」
課長は気にする様子もなく穏やかに笑い、私をタクシー乗り場へと促す。
「え、タクシーで移動するんですか?遠いんですか?」つい、訊いてしまった。
課長は、一瞬、間を置いて「いや?ここから2駅かな」と言う。
そんくらいの距離にタクシー~~~?しかも、まだ、この時間に~?
この説明の感じだと駅から遠いワケでもなさそうだし。
「……課長。電車で行きましょう」思わず言ってしまった。
「え……いや、でも……」課長の戸惑う様子に、
(しまった。また言っちゃったわ、余計なひと言)と我に返ったけど、もう遅い。
「近いですし、週末の夜なんて絶対電車の方が早いです」
「は………………」
あ~~~!やっちゃった!!課長が困惑してる。せっかく気を遣ってくれたんだろうに~。……仕方ない、押し切るべし!
改札の方へ足を向けると、課長は諦めた様子で後ろから改札口を通った。
でも、課長ってこんな困ったような顔するんだ。初めて、知った。
私と話す時はいつも、明るく笑ってる顔しか知らない。
仕事の時は、自信に溢れた顔か、緊迫したすごい真剣な顔か、怖いくらい鋭い顔しか見たことがない。
何だか、可愛い。思わず口元が緩みそうになる。
歳上の男性、しかも上司に対して、こんな風に思うのは失礼かも知れないけど……。
うん、可愛い。
電車の中で扉の傍に立つと、やっぱり課長、背が高いな~と思う。私は女としては低い方ではないと思うけど、課長と並ぶと目線が低くなった気がする。
……何て、課長の頭のてっぺん見ながらボーっと考えてたら、「今井さん、身長どれくらい?」と訊かれた。
ちょっとーーーっ!人の心の中、読まないでよーーーっ!!と慄く。
平然を装って「ん~……165……いや、164センチくらいですかね」と答えると、
「遠目だともっと高く見えるね」
課長はちょっと驚いた様子。
「態度が偉そうだからですかね」
即効で返したら、いきなり吹き出す……って、ちょっと、それ、どーゆうこと?
「課長。そこ笑うとこじゃないです」
上目遣いで反論して、また我に返る。ひぇっ!またダークオーラ発動してしまった!!
とっさに「課長も、背、高いですよね」と、切り返してみる。
「ま、日本人としては平均以上かもな。……180……ちょいくらいかな。だけど普段の取り引き先はアメリカ人ばかりだから、完全にガタイ負けしてる」
課長は天井を仰ぎながらため息をついた。
「でも米州部の男性陣……藤堂くんもでしたけど、朽木くんにしても皆ワリと長身ですよね。何か机回りが狭く見えますもん」
自分の失言を誤魔化そうと、とりあえず話題を遠ざけて行く。
「そうだな……藤堂はおれより少し高いかな。朽木が同じくらいかも知れない。アジア部や欧州部と違って野郎ばっかだから、もうそれだけで狭くて暑苦しいな」
真面目な顔で力説する課長に、もう、おかしくて堪えられなくなってしまった。
派手に吹き出した私を、何だか課長が楽しそうな顔で眺めているのに気づく。……笑いすぎただろうか。
そうこう言ってるうちに駅に着き、課長が予約しておいてくれたお店まで歩いた。駅から歩いて5分くらいのところにあるお店。
超が付く高級店ではなさそうだけど、得意先の接待で使ってもおかしくないようなお店で、ちょっと冷や汗もの。
「片桐さま、いらっしゃいませ」
「今日はお世話になります」
その馴れたやり取りで、課長が普段、使っているお店だとわかる。
通された奥の方の席は、くの字型に座るようになっていて、周りが簡単な仕切りで目隠しされていた。
向かい合って座るのって、慣れていない相手とだと結構疲れる時がある、って人がいるけど、その辺を配慮してくれたのかな。私はあんまり考えたことないけど。
だって、席の並び云々の前に、人と一緒にいるだけで疲れるし……と考えて、自分の社交性のなさに苦笑いする。
でも、それは別にしても素敵なお店だ。席に通されるまでの内装や飾りも凝っていて、ワインや他のお酒の瓶も見事に陳列されている。
「わ……素敵……」
思わず、本音が洩れる。
そんな私を嬉しそうに眺めながら、課長が声をかけてくれた。
「今井さん。とりあえずオーダーを先にしよう。お腹空いたでしょ。それからゆっくり眺めて」
それもそうだと思い、「は~い」と返事をしながら座ると、課長が優しい目で私を見つめていた。
~『ツン☆テケ日記〔3〕へ つづく~
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