月待ちの宵~樹(いつき)の章~
遥か昔から
全てを見つめて来た
私から見える範囲のすべてを
*
もう何年、何十年、何百年……いや、何千年かも知れない時を過ごして来たのか。
それすらも、私の記憶には留まっていなかった。同じようでいて、毎日、毎時間、毎分、毎秒、違う景色を見続けて。
ただ、気に留めていたのは、いつも大体同じ場所にいる花(ファ)と草(そう)。彼らは一心同体のように寄り添っており、その姿を眺めることも、私──樹(いつき)と呼ばれている──にとって心和むひと時だった。
『樹さんのお陰で、安心してここにいられます』
他の花や草たちと同様に、彼らは毎年そう言っては美しく輝いていた。風にそよぎ、雨の滴を含みながら。
ところが、久しぶりに目覚めると、どこかいつもと様子が違った。
「……おや……?」
そこに花の姿は見当たらず、今にも枯れ果てそうな様子で草がうなだれている。
「どうしたのだね? 花は? まだ眠る季節ではあるまい?」
私の声に気づいて顔をあげた草は、泣きそうな顔で訴えた。
『花がどこかに行ってしまいました……』
私が少し眠っている間に強い風が吹いたらしい。仲良く寄り添う彼らの姿に、風がほんの少しのイタズラ心を起こしたらしく、つむじ風で巻き上げて花を連れ去ってしまったのだと言う。
可哀想に。草も心配で堪らないだろうが、花も心細い想いでいるだろう。
しかし、私にはどうしてやることも出来ない。私はここから動くことも、何かをしてやることも出来ないのだから。
何とも言えない雰囲気の中、そっと私のひと枝にささやき、揺らすものがいた。
(……樹さん……樹さん……)
それは風の一陣。
「おお、久しぶりだね。どうかしたのかい?」
彼は申し訳なさそうに縮こまった。
『……樹さん、花さんにイタズラをしたのは私です。ちょっと驚かせるだけのつもりだったのに、途中で花さんが風の隙間からすり抜けてしまい、見失ったのです……』
可哀想なくらいうなだれた風を、私はそれ以上咎めることは出来なかった。
「花を見失ったのがどこかわかるかい?」
どうやら答えることが出来ないようだ。
「そうか。ならば仕方ない。では、ひとつだけお願いしてもいいかね?」
私が訊ねると、やや希望を見出だしたように風が枝を揺らした。
『何でもします!』
その返事に、私も嬉しさを隠せずに葉を揺らして答えた。
「では、頼む。月の晩が訪れて花の姿を映してくれた暁には、私が草を大地からいっ時だけ解放する。だから、その時を見計らって、彼を花の元まで乗せて行ってやっておくれ」
『わかりました! おやすい御用です! 必ず!』
「頼んだよ」
『はい!』
気合いの入った風の返事に枝葉もほころぶ。風は、『その時にはすぐに駆け付けます』と軽やかに吹いて行った。
(……とは言っても……)
風を見送り、私は溜め息をついた。
結局のところ、『本物の月』がいつ姿を現すのかはわからない。何より、現れたとしても、必ずしも花の居所が映るとは限らない。何年も待つことになるかも知れないのだ。
見守ることは、何年でも出来るだろう。何千年とこの地を見て来た自分ならば、とも思う。ただ、それしかしてやれないことが歯痒くもあった。
(それでも、私はただ、見守るしか出来ない……)
何年でも待つ覚悟を決め、私はまた、しばしの眠りについた。
*
どれくらいの時が経ったのだろう。あれから何度か月の訪れを迎えたが、花の居所はわからないままだった。
そして、今、時のさざ波が、また微睡みから私を起こす時がやって来たようだ。
……すぐにわかった。時が近いのだ、と。何百年もの間に何度か経験したから。
「……草よ……来そうだぞ。心積もりをしておきなさい」
私の言葉に、草は緊張を顕にした。
必ず花の居所がしもわかるとは限らない。だが、可能性がある以上、ぼやっとして見過ごす訳には行かなかった。次のチャンスがいつ来るか、それこそわからないのだから。
幾夜かを超え、『その時』が訪れた。間違いない。『本物の月』の目覚める宵だ。
「……草、行くぞ……!」
声をかけると草は身構え、向こうから風の一陣がすごい勢いで飛んで来る。
『……見つけた! 花がいました……!』
草の声を合図に、私は辺り一面の地下と言う地下に張り巡らせた私の分身──根──のひとつに力を注いだ。一気に。
地が震え、音が響く。
「……今だ……! 風よ、頼んだぞ……!」
草の根をひとつたりとも傷つけないよう、私は慎重に周囲の土ごと動かした。勢い良く宙に浮かせた彼を、風の一陣が絶妙のタイミングでさらって行く。
「気をつけて行きなさい……!」
風の音に包まれて運ばれて行った草に、私の声が届いたのかはわからない。けれど、きっと花と会えると、私が信じてやらなければ。
風が去ると、先程までの物音が嘘のように、辺りは再び静まり返った。見送っていた他の者たちも、また静かに佇む。
私はじっと月を見据えた。青白く輝く本物の月を。彼らが再会出来たのかを見過ごさないように。
視界を、月が映し出す数多の映像が流れて行く。
人形(ひとがた)となった草が女性と向き合っている姿、同じく花が老人と話している姿、他にもたくさんの人間たちと相対している場面が、まるで走馬灯のように。
「お……?」
突然、誰もいない草原の光景が現れた。彼方には大きな『月』が。
優しい一筋の光に照らされ、一輪の花が顔をもたげた。それを目印にしたかのように、不意に草が舞い降りる。
無事に降り立つのを確認しようとしていたのであろう、上空を旋回していた風は、それを見届けるとさらに上へと舞い上がって行った。
そして、花に手を差し伸べる草。
嬉しそうにその手に己の手を預ける花。
その光景を見て、私はようやく安堵した。彼らは間違いなく会えたのだ、と。
「良かったな……」
互いの存在があれば、彼らはどこででも、例えここではない場所でも生きて行けるだろう。
私はまた眠りにつくことにした。
*
どれくらいの時が過ぎたのか。
(………………?)
周囲がどこかざわついている気配。まだ目覚めるには少し早いはずと思いながらも、そのざわめきが不思議で私は半覚醒した。
……いや、ゆっくりと目を開いた私は、正直言って驚きを隠せなかった。
「……草……花……?」
夢を見ているかのような心地。
「……これは……」
私の周囲一面に、草と花そっくりの子たちがそよいでいる。
『やっぱり樹さんの傍で暮らしたくて……。風さんに協力してもらって、何年もかけて少しずつ移動して来ました。季節が変わると途中で眠って、新しく目覚めて移動して……それを繰り返していたら、いつの間にか仲間が増えていたんです』
何と言うことだろう!
彼らは根を張らずにいる危険を顧みず、わざわざここに帰って来てくれたと言うのだ。
「そうだったのか……。良く戻ってくれた。嬉しいよ。ありがとう。いつまでも、ここにいておくれ」
『はい』
草と花は声を揃えて答えた。上空では風の一陣が旋回しながら見守っている。彼も責任を感じて、長い間、協力してくれていたに違いない。
「ここまでしてくれてありがとう」
彼にも声をかけると、恥ずかしそうに彼方へと去って行った。
「ああ、いい心地だ……」
彼らに起こされ、少し早く目覚め過ぎた私は、風に揺れる歌声を聴きながら、もうしばし微睡むことにした。
~おわり~