魔都に烟る外伝/終宴の始まり~part16~
倭(やまと)懐妊の事実が知れ渡ると、クライヴもある程度の予想はしていたものの、それを遥かに上回る大がかりな騒ぎとなった。
「……子が……!? 倭様が子を身籠られたと……!?」
「何と言う……! 神聖な巫女である倭様に手をつけるなど……!」
「一体、どこの何者が! 顔を合わせるだけでももったいないと言うのに……世間知らずの倭様を誑かしおって……!」
この程度は序の口で、下手をすると手籠めにした、などと散々な言われ方をされ、さしものクライヴも辟易する。
(……深窓の巫女であるはずの倭の方が、そなたらより余程世間を知っておるように見えるが……)
心の中で考えるも、何とか口には出さずに抑えた。自分が口を出せば、さらに事態をややこしくすることは間違いない上、そもそも何を言っても言い訳としか取られないであろう、と。
以前に倭が説明した『水鏡』を用いての遠隔会談。実際に室内にいるのはクライヴたち4人だけなのだが、『大刀自』と呼ばれる女の他に、老齢の男女が4人、姿を現していた。
『……倭様……身籠られた、と言うのはまことでございますのか……?』
左右に二人ずつ配し、中央に座した大刀自が問う。
「まことだ」
倭の方は、何の感情もこもらぬ声音で短く答えた。
『……相手は……御子(おこ)の父親は、その御方で間違いないのですな?』
「そうだ」
クライヴを見、視線を戻して訊ねる大刀自に、倭はまたもや端的に答える。
『一体、その男は何者なのです!? どこの馬の骨とも知れぬ毛唐風情が、倭様に身に触れるなど……!』
汚ならしいものでも見るような目でクライヴを見た女が、忌々しげに吐き出した。クライヴは何も言わずに聞いていたが、倭の視線がやや上を向く。
『……身元はこれ以上ない程にはっきりとした御方ではある。……そなたたちも伝承で存じておろう……左眼の担い手であるゴドー伯爵家の現当主殿だ』
全員が大刀自の説明に息を飲んだ。
『……左眼……!』
『ゴドー家だと……!?』
全員が一斉にクライヴに目を向ける。いつもの体──顎に指を当てて肘をつき、脚を組んだクライヴに。最初に会った倭の共の者たちと大刀自以外は、二人の契約自体を知らなかったことに、クライヴはこの段階で初めて気づいた。
一様にざわつく者を制し、再び大刀自が訊ねる。
『……それで……どうなさるおつもりか?』
その質問には、様々なことが同時に含まれており、当然、倭もその意図に気づいてはいた。ただ、周りの者たちに聞かせるために、敢えて話を振っただけであることを。そして、何より大刀自自身には、そもそも倭が何と答えるのかすらも予測の域に入っていることを。だからこそ、倭も敢えて答える。
「どうする、とは?」
眉ひとつ動かさずに答える倭に、先程とは別の老人が身を乗り出した。
『決まっておりまする! その子をお産みになるおつもりかと言うこと! いくら父親が左眼のゴドー伯爵とは言え……』
「産まぬ選択などあると思うてか!」
叱責とも言えるほど強い倭の声音が、男の言葉を遮ると同時に一同の身をすくませた。産む産まぬの言葉に、一瞬、顎に当てた指を離そうとしたクライヴでさえ、動きを止めるほどに。
『……そのように荒ぶってはなりませぬ。お身体に障りますぞ』
4人が黙りこくる中、大刀自が倭を窘めた。
『そもそも、何故(なにゆえ)子を成すような事態におなりあそばした? 何かしらの理由なくば、そのようなことに足を踏み入れる貴女様ではありますまい?』
何か言おうとするクライヴを、倭が静かに制する。
「必要だったからだ」
『……必要……』
大刀自の鸚鵡返しに、倭が小さく頷いた。
「伯爵と私、双方の血を引く……双方の力を持つ者が……」
『そのような……! 何の相談も報告もなく……いや、そもそも、申し出て戴ければ、こちらとてお力添え出来たやも知れぬのですぞ……!』
また別の者が口を挟む。表情は変わらぬものの、倭は心の中では冷笑していた。報告などしようものなら、その時点で総力を挙げて阻止せんとしたであろうに、と。
「この件に関して、そなたたちの力添えなど何の役に立とう。その程度で済むのであれば、伯爵おひとりの力でどうにでもなる……であれば、遥かこの地まで、わざわざ私を探しに来る必要などなかったと言うこと……」
故に、倭は痛烈なひと言で返した。予想通り、全員が黙り込む。
『……では、それで、伯爵からの要請をお受けになられたと……?』
「いいや」
倭の答えは常に端的であった。手短と言えば聞こえは良いが、少々、理解するには難解とも言える。
「この件、私の方から申し出たのだ」
『……何と……!?』
再び、大刀自以外の4人が顔を見合せ、ざわめいた。
『何と言うことをなさったのです!』
『ご自分のお立場をわかっておられるのか!』
一斉にいきり立ち、喧喧囂囂、申し立て始める。倭の方はこれと言って動揺した様子はなく、変わらずに感情のこもらぬ目を向けていた。倭が困った様子を見せない以上、クライヴも下手に口を挟むことが出来ず、成り行きを見守るしかない。
「世の秩序を乱そうとするものを、出来るだけ迅速に見つけ、出来るだけ早急に解決するのが私の役目だ」
それがどうした、と言わんばかりの言葉。それは、まるで台本を読むように放たれた。
『その通りでございます!』
『なれば、何故(なにゆえ)、そのお役目を放棄されたのでございます!』
瞬間、『パンッ!』と乾いた音が響いた。追い打ちをかけるように好き勝手言う面々が、肘掛けを叩く音に静まり返る。
「……そなたら、今、面白いことを申したな……私が役目を放棄した、と?」
一人の男が身を乗り出した。何か言わんとするその形相は、とうに冷静さを欠いている。
『そうではござりませぬか! 神聖なる巫女の立場を放棄されたのですぞ、貴女は!』
『……山家(やまが)殿……!』
隣の女が押さえようとするも間に合わなかった。
『お止めくださるな!』
山家と呼ばれた男が詰め寄るかのように、上半身を前のめらせる。だが、倭は坦々と答えた。
「言うたはずだ。私の役目は、世の秩序を乱そうとするものを、出来るだけ迅速に見つけ、出来るだけ早急に解決すること……」
『左様でございます!』
「放置致せば危険極まりない者……その相手を止めること、阻止することを、そなた、何と心得る?」
ぐっと息を飲み、男が押し黙る。
「そのために必要な措置なら、どのような手段を使うても成さねばならぬ、と……そなたが……そなたたちが言うて来たのでないか? 私に……」
『……そ、それは……』
「そもそも、巫女の資格がどうだとか、そのようなこと、そなたたちには関心などあるまい? 必要なのは私の持つ力であって、それが消え去ることなど、資格の喪失によっては起こり得ないのだから」
まさにぐうの音も出ない程に返され、男は乗り出していた身を縮こまらせた。
『恐れながら、倭様。だからと言って、今回の件が正しいとは……正義とは申せませぬぞ。周りの目、と言うものがある以上、この件は良き印象を与えは致しませぬ』
見兼ねたもう一人の男が口を挟む。
「それが?」
しかし、それすらも冷たいひと言で返され、文字通り4人は言葉を失った。
「そなたら、私が他人(ひと)からの心証を良くせんがために、今まで役目を熟(こな)して来たと思うておったのか?」
4人共に下を向き、黙りこくる。
「正義、などと面映い……誰かがやらねばならぬ、からではないのか? その力を有した者が……」
何も答えられない4人に、倭の眉が明らかに吊り上がった。
「答えよ!」
低く、静かな、それでも、感情を内包した通る声が室内に響き渡るも、誰一人答えられる者はない。
「……倭……もう、やめよ」
重苦しい沈黙の中、倭を制したのはクライヴであった。
驚いたように、変わらぬ姿勢のクライヴを見返す。だが、静かなクライヴの視線を受け、致し方なし、と言うように倭は素直に柳眉を下げた。
「……そなた……名は何と申したか?」
静かに大刀自に問いかける。
『……白妙(しろたえ)と申します、伯爵』
「では、白妙……そなたが受け入れざるを得ないよう、そして、他の者たちを退かせざるを得ないよう、私が条件を出そうぞ」
大刀自の眉根がしかめられた。だが、それは、これからクライヴが言わんとすることを既に理解しているようでもあった。
「もし、そなたたちが、どうしても倭と私のことを認めないのであれば致し方ない。その時は、私は倭を国に連れ帰る……正式な妻として」
『何ですと!?』
言葉を発しない大刀自とは対照的に、他の4人が驚愕の渦に巻き込まれ目を見開く。倭の表情にすら、微かな驚きが見て取れた。
「……クライヴ……」
普段は鉄面皮である顔に、戸惑いと困惑が見え隠れする。それを見、クライヴの口元には微かな、そしていつもの不適な笑みが浮かんだ。
「本来なら、このような条件は出さぬ。そなたたちが許そうと許すまいと、私はただ倭を連れ帰れば良いだけなのだからな。だが、敢えてこのような条件を出したのは、ひとつくらい譲歩してやらねばならぬと思うた故……」
『……譲歩……?』
4人が訝しげに顔を見合せる。これまでの経緯(いきさつ)から、クライヴには倭に関する相手の弱味に確信があった。
「そなたたちが一番困ることは、倭がそなたたちの監視下より離れ、彼の国の管理下より離れることであろう……?」
笑みを浮かべてはいても、相手を射竦めるには十分過ぎる視線。倭も言葉を発さずにいる。
「……なればこそ、倭の身は此方の元でも良い、と言うておるのだ。……私の方が倭を訪う、と……」
ざわめく4人を尻目に、大刀自だけが真っ直ぐにクライヴを見つめていた。互いの思惑を測るかのように。
「条件を飲めぬ、と言うのであれば、それも良い。私は倭を連れ帰り、その後(のち)、我が国とそなたらの国の情勢がどうなろうと、私の知ったことではないからな」
弱味に付け込んだ決定的なひと言であった。言葉もない4人の中心で、大刀自が静かに瞑目する。相手に思考する時を与えるため、クライヴも再び沈黙した。息苦しい程の時間の流れ方に、それでも誰一人、声はおろか指一本動かすことが出来ずにいる。
『……伯爵……』
ようやっと、大刀自が瞑目を解くと共に口を開いた。クライヴが視線だけを預ける。
『……こちらにも、ひとつだけ条件……いえ、お願いがございます』
「申してみよ」
『……倭様が我が国で御子を産むこと……』
「……ほう……?」
クライヴは、何か言おうとした倭を手で制した。
「……理由は?」
『……倭様と、何より御子の安全のために』
無言で続きを促す。
『この地は混沌とし過ぎております。大きな力が集まり行き交う反面、様々な負の力や感情も溜まりまする……それこそ、そこから生じる魑魅魍魎も……むろん、貴方様と倭様のお力あらば、特に問題なきことは承知しております……が……』
「………が………?」
『産まれたばかりの御子は、出来る限りその坩堝に晒さず、清浄な地にてお育てになるべきと存じます。御子をお産みになる前後、倭様の状態がどうであるのか……それが予測出来ませぬ。そして、恐らく御子は強大な御力を持って産まれて来るが故に、尚の事、気づかれぬ方が良いでしょう』
「そのようなことを申して……受け入れる訳には征かぬ。私を閉じ込め、子をどうにかしようと言う算段であろう」
間髪入れずに倭が放った。だが、大刀自は静かに倭を見る。
『……そのようなことをして何になりましょう。貴女様が本気で力を出せば、我らがどのような手段を以て閉じ込めたとて、どれ程ほどの足枷となりましょうや……先ほど、ご自身でも仰せだったではありませぬか』
そう返され、倭にも反論の余地はなかった。
『御子のためを思うなら、環境は重要でございますぞ……普通の御子ではあらしゃらぬのですから……』
やり取りをじっと聞いていたクライヴが、顎に当てていた指を離し、今度は膝の上で指を組む。
「話はわかった。その条件、承知した」
「クライヴ……!」
倭の顔をちらりと見遣り、続けた。
「ただし、私も同行する。この件を受け入れるに当たって、これだけが私の譲れぬ条件だ」
『馬鹿な!』
『そのようなこと出来る訳が……!』
『異国の……しかも男子(おのこ)を、倭様の敷地に入れるなど……!』
口々に言い始めた4人を一瞥し、クライヴは大刀自に視線を戻す。
「私はどちらでも良いのだぞ?」
あくまで強気な姿勢は崩さずに。
『……宜しゅうございます。お二人が暮らせるよう、別棟を用意させましょう。他の者が介入しないように……それで宜しいか?』
『大刀自様!』
完全に分が悪いにも関わらず、大刀自は落ち着いた様子で答えた。まるで、端からこうなることを予測していたかのように。
「……良かろう」
クライヴにしても、互いの国の情勢、そして倭と大刀自、己の立ち位置を俯瞰した上で、そもそも不安要素を塗り潰しての提案──正確にはほぼ強制であるが──であった。他がどう思おうが、断れるはずはない、と。
「倭様も、それで宜しいか?」
一瞬、倭は答えを躊躇した。クライヴを己の国に連れて行くことは、即ち予期せぬことに巻き込むことに繋がる。そこに誘って(いざなって)良いものなのか、一点に視線を止め、考える。
「……わかった……」
結論的には承諾せざるを得なかった。クライヴは、今、ここで、提示し合った条件以外は受け入れないであろう、と判断したが故に。
『……では、倭さまの御身が安定されまして後、ご帰還のほどを。それまでに住まいの支度は整えておきます故……』
「わかった。頼んだぞ」
クライヴの返事には、いくつかの意味が込められていた。
当然、住居のことも含まれてはいるが、何よりもそれまでに他の者を説得し、納得させろ、と。
『……御意……』
まだ何か言いたげな4人に目配せすると、ひとり、ふたりと、倭に礼をして消えて征く。
『倭様……御身、お厭いくださいませ』
倭が頷くのを確認し、大刀自の姿も掻き消えた。
閉め切っていたカーテンをヒューズが開け放つと、途端に緊張が解れて征く。
「倭……いつ頃、発てる? それに合わせ、我らも準備を整えるが……」
「少なくとも、もうひと月半ほどは……」
クライヴが訊ねると、倭に代わって五百里(いおり)が答えた。
「わかった。ヒューズ……それまでに手筈を整えよ」
「畏まりました」
ヒューズ自身も、よもやこんな事態になるとは思ってもみなかったため、やや不安気な目をしている。これほどに、長期の旅路になるなどと、出立の折には想像すらしていなかった。だが、主が事を決めた以上、今さらどうにもならない。フレイザーからの教え通り、着実に遂行する、のみであった。
「クライヴ……このようなことになって申し訳ありませぬ」
硬い表情で言う倭に、クライヴは同じ言葉を返して苦笑する。
「何度も言うようだが、その台詞はおかしいぞ、倭」
クライヴにとっては、倭と己が互いに責任の所在を自己に定めていることが可笑しく、そして驚きでもあった。同時に、先ほどの会談の中で知り得た、倭の中にある冷熱の、両極端と言えるほどの差違にも。
互いに足りないものを、互いに補う関係は心地好い反面、不安定な要素も生み出す。だが、ある意味、オーソンに対する力の問題以外、倭にはその要素がない。少なくとも、クライヴが今までに知り得た相手──特に女の──とは、決定的に何かが違う。
それが何かはわからぬまま、結局、彼の国に足を踏み入ることは避けられないものであったと、クライヴは不可思議な運命を噛み締めていた。
*
ふた月ほどを待ち、4人は東の魔都を発った。
子の誕生には、それからさらに数ヶ月の時を要する。
~つづく~