魔都に烟る~part18~
目を覚ますと、見覚えのある天井。
ゆっくりと見まわすと、そこは自分の部屋のベッドの上であった。
(……え……?)
ローズは困惑した。自分が生きていることに。
恐る恐る自分の身体を動かしてみる。そっと触れてみるが、痛みはおろか傷の形跡すらない。
「……どうして……?」
確かに感じたのだ。自分の身体を貫いた感触。痛みを通り越した感覚。身体が、意識と一緒に底なし沼に沈んで行くような重みを。
自らの最期を確信した瞬間、レイの声を聞いたのが最後の記憶。『ルキア』と呼ぶ、初めて聞いた湿度の高い声。
ゆっくりと起き上がる。これが現実である以上、レイが何らかの方法でローズを救ったことは確かだ。では、ガブリエルはどうなったのか?
薄衣を着替えて部屋の外に出ると、広間に向かいながら言い知れぬ違和感を覚える。そして、その正体はすぐにわかった。
(……何?……どうして誰もいないの?)
そうなのだ。廊下を歩きながら、誰ひとり、使用人の姿を見かけない。
屋敷の規模から言えば、決して多い人数ではない。それでも、それなりの数のメイドがいるはずなのに、ひとりも顔を合わせないのだ。
訳のわからない不安に、ローズはレイの部屋へと踵を返す。やはり、ひとりの使用人とも会うことはなかった。
(まさかレイも……?)
知らぬ間に速足になる。
レイの部屋の扉を見つめたローズは、息を飲んでノックした。
『……どうぞ』
ややあって、レイの声が返って来たのを感じホッとする。少なくともレイは存在しているようだ。静かに扉を開き、足を踏み入れる。
ベッドのすぐ脇、窓際に置かれた大きめのチェアにレイはいた。ローズの方に視線を向けているその顔は、どこか生気がないように感じられ、ローズの胸の内に巣くった不安を揺さぶる。
レイは無言のまま、ローズに目で椅子を勧めた。おとなしく腰かけたローズは、レイと無言のまま見つめ合う。
「……屋敷内に使用人がひとりもいないようだけど……」
訊きたいことは山ほどある。そして、そのひとつ、自分が無事でいる理由はローズにはわかってしまっている。レイが『意識的に』助けようと思わなければ、今、自分が生きているはずがないのだ。
だが、その『助けた理由』を訊けるようなローズではなく、別の気になる事柄が口をついて出る。珍しく言葉を探している様子を見せるレイ。
「……今は私に、そちらまで回す余裕がないからです」
「……え?……何?」
身を乗り出すように凝視するローズ。
「屋敷にいた使用人は、全て私が作り出した使役ですから」
レイは少し睫毛を伏せながら重い口を開いた。
「……使役?……使役……って?何のことを言ってるの?」
レイは一度、ローズの目を真っ直ぐに見つめ、再び睫毛を伏せながら考える様子を見せる。
「アレンが来なければ話そうと思っていたことを全て……話しましょう。長丁場になりますが」
ローズは身体が引き締まった気がした。自分が知りたいと思っていたことを、全て知ることが出来るかもしれない、と。
「まず、屋敷の使用人の件ですが、私が術を使って作り出した“人ならざる者”たちです。東洋の言葉では“式神”、身を護るために発動する物を“護法”と呼ぶらしく、私はどちらも使えます」
「……普通は両方は使えないものなの?」
驚きを隠して質問するローズにレイが頷く。
「基本的には、それぞれを使う人間が所属する……組織とでも言えば良いのか……が違うのです」
レイの言葉にローズは首を傾げた。
「……ならば、何故、レイは両方使えるの?」
至って当たり前の質問である。レイの返答を聞けば、誰でもその疑問に行き当たるはずだ。当然ローズも、何の他意もなくその質問を発したのであるが、レイの瞳が暗い翳りを帯びたように見え訝しむ。
「……それが私の、血と力、です。彼が……ガブリエルが言っていたように“呪われている”訳ではありませんが、ある意味では禁忌の存在です」
ガブリエルの放った言葉を思い出し、ローズはハッとした。
「……レイ。あなたがガブリエルと兄弟だって言うのは……本当なの?」
ローズの質問に、返事は、一瞬、遅れた。
「……本当です」
ローズは息を飲んだ。そして、同時に浮かんで来る恐ろしい仮説。
「……じゃあ……じゃあ……私とも……」
恐る恐る呟くように問うて来るローズに、レイは視線を向けて首を左右に振った。
「きみと私には血の繋がりはありません」
感情が読み切れないのは変わらないが、どうやらウソを言っている様子はない。
「まずは、そこからですね」
坦々とした口調ではあるが、やはり、その瞳はいつもよりも暗かった。ローズはレイの言葉の続きを待つ。
「……きみはガブリエルと父親違いの姉弟で、彼と私は母親違いの兄弟、と言うことです」
ローズはレイの言葉を頭の中で整理する。
(……つまり、ガブリエルを挟んで、間接的な姉弟、と言うこと……?)
その表情を確認しながら、レイは話を続けて行こうとしていた。
「彼と私の父親である先代のゴドー伯爵は、東の地……東洋の魔都で私の母と出逢った。つまり、私には東洋の血が混じっているのですよ」
その説明でレイの外見には納得が行く。そして、レイとまで血が繋がっているのではないか、と言うおぞましい気持ちからの解放。
しかし━。
この後、ガブリエルとレイのことだけでなく、ローズが自分でも知らなかった自身の秘密をも知ることになる。