呼び合うもの〔四〕〜かりやど番外編〜
母・沙代(さよ)を連れて優一(ゆういち)が到着すると、全て心得た仲居の案内で離れの部屋へ通された。
既に室内には副島(そえじま)がおり、傍には今日の介添え役と思われる男が控えている。優一も見覚えがある人物だったが、見合い相手の三堂(みどう)家と関わりがあることは推測出来た。
「先生、お待たせして申し訳ありません」
「いや……先方も、今、到着されたそうだ」
副島の言葉が終わるか終わらないか、のタイミングで仲居から声がかかった。
「三堂様がお見えでございます」
静かに開かれた襖の向こうから、若い女とその両親と思しき男女が姿を現し、優一と沙代は敬礼した状態で迎えた。
目線を挙げずとも、向かいに女が座った気配を感じる。同時に、強い視線をも。
「どうぞ、お手をお挙げください」
その声を合図に、全員が顔を付き合わせた。
優一が正面に座る女の顔を真っ直ぐに見つめると、女の方も視線から逃れる気はないらしく、揺れぬ瞳を向けて来る。
(なるほど……確かに、これは手強そうだ)
それが、優一の感じた第一印象だった。
(……だが、人として信じられる目だ)
それは、松宮家直系の者が持っている、ある種の『勘』のようなもので、共にいる彼女の両親にも同じものを感じる。
やがて、絶妙のタイミングを計ったように、介添え役の男が動いた。
「此度の仲介を御縁として同席させて戴きます……津野田(つのだ)と申します。これよりご両家の紹介に入らせて戴きます」
全員が小さな会釈で答える。
「今回の話の発起人は、ご紹介には及ばぬかと思いますが、代議士の副島大造(だいぞう)先生です」
小さく頭を下げる副島に、全員が追随する。
「では、まず、こちらが小半(おながら)優一さん。そしてご母堂様です」
「小半優一です。本日はありがとうございます。よろしくお願い致します」
優一の挨拶に沙代も頭を下げると、三堂家の三人も会釈を返す。
「そして、こちらが三堂和沙(かずさ)さん。そしてご両親様です」
「三堂和沙です。よろしくお願い致します」
歯切れの良い声に、優一は好感を覚えた。
釣書で既にわかってはいるものの、津野田が慣れた様子で一通りの説明を行なう。それが済むと、わずかな談笑の後、「では、後はお若い方同士で……」と言うお決まりの流れを示された。
「小半。沙代さんは私が送って行くから心配するな」
「はい。よろしくお願いします」
好意に甘え、母のことは副島に任せる。
「では、和沙さん」
「はい」
優一は、和沙を自分の車に誘(いざな)った。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
扉を開けて促すと、乗り込む和沙の振る舞いには育ちの良さが表れている。背筋の伸びた歩き方に反した女らしい動作に、優一は予想以上に意表を突かれた。
脚を入れたのを確認して扉を閉め、運転席に回る。
「天気が良いので、海沿いにでも出ましょうか」
「はい。おまかせします」
頷き、優一は静かに車を発進させた。
「和沙さんはジャーナリストと伺いましたが……」
「そんな大層なものではないです。義伯母のツテで、それらしき現場に関わらせてもらっている、と言うくらいで……活気にあふれていて楽しいことも多いですが、切羽詰まるととんでもない騒ぎです」
会話での探り合いにも、さっぱりはっきりした性格と口調が表れており、重い嫌な雰囲気は一切ない。母のようにおっとりした穏やかなタイプならともかく、わかりやすく『女の武器』を前面に押し出す女性が得手ではない優一には、気負わずとも適度な緊張感で相対出来る空気は心地好かった。
「そんな現場なら、かなり忙しいんじゃないですか?」
「まあ、そう言う時もありますね。
でも、私個人としては、長く続けられる状態とは考えていません。体力的な問題もありますけど、あの仕事を生涯続けられる熱量は、私にはないみたいです。
楽しいけど執着はないので、敢えてそこにいなければならない、と言うほどの価値は見出だせません」
暗にこめた言葉の意味──和沙はそれを正確に理解している、と連想させる返答をぶつけて来た。
(なるほど。バリバリのキャリアウーマンと見せかけて、先生はおれが生活状況を変えられないことも考慮の上で、彼女を選んでくれた訳か)
紹介する以上、条件を絞るのは当然の話ではある。だが、優一にとっては、そのためだけに教育されたような相手では物足りない。
単に『良家の令嬢』と言うだけではなく、従順過ぎず、かと言って気位が高過ぎず、無理をせず柔軟に生きている、などと言う難しい条件をクリアしたのが『三堂和沙』だったのだ、と納得した。何より、自分の好みを見抜く副島の目にも脱帽せざるを得ない。
とは言え、優一の方が好感を抱いても、和沙もそうであるとは限らない。それは、これから探り合って行くしかなかった。
「小半さんは、どうして副島さんの秘書になったんですか?」
それを察したのかは定かでないが、今度は和沙からの質問。
和沙の質問の意味が、秘書になったキッカケではなく、理由であることはすぐにわかったが、逆に優一は答えに窮した。
(何故……? そう言われると、考えたことがなかったかも知れない)
特に政治に興味があった訳ではない。まして、何になろう、と考えていた訳でも。
「改めて考えると、特に理由らしい理由はないです。在学中に先……副島から論文の評価をもらい、それで卒業後に秘書にならないか、と声をかけてもらいました。それもいいかと、言う程度で、特に深く考えることもなかったかも知れません」
何ら脚色することなく正直に答えた。
嘘など簡単に見抜かれそうであったし、何よりその必要性を感じさせない。
「そうなんですか? それでそのまま続けられているなら、小半さんに向いていたってことなんでしょうね」
案の定、事実を事実として、ただ、受け入れる性格であることが読み取れた。
「向いているかはわかりませんが、興味深くはあります。何より、副島の仕事を近くで見ているのは楽しいですし、力が湧きます」
『楽しい』などと不謹慎とも思いながら、やはり構えようと言う気にはならない。素に近い状態で話しても許される感覚は初めてに近く、新鮮だった。
「何度もお会いしている訳ではありませんけど、個人的な印象では、失礼ながら副島さんは少し口が重いところがあるように感じます。
もちろん業務上のことでは別なのでしょうけど、特に私的なことは口にされない……そんなところを読み取れて理解出来る方でないと難しい気がします。
そう言った意味で、小半さんは向いているように思いました。副島さんと少し似ているところがあると言うか……」
和沙の言葉にドキリとする。
「小半さんとはさっき初めてお会いしたばかりなのに、知ったかぶってごめんなさい」
あまり申し訳ないと思っていないような調子で、和沙は付け加えた。
「いえ、副島に似ているところがあるなどと、社交辞令でも嬉しい限りです」
もちろん本心である。優一の目の端に、和沙が微かに口角を上げたのが映った。
特に政治の世界に関心があった訳ではなくとも、足を踏み入れたからには目指すものも生まれる。副島の存在は、その目標として相応しいと、優一自身は判断していた。
「今日は本当にいい天気ですから、海も綺麗でしょうね」
海の気配を感じたのか、和沙がさりげなく話を変えた。
「そうですね。もうじき着きますよ」
少し走らせた後、優一は目的地の駐車場に車を入れた。
喧騒から離れ、海沿いに佇む建物。
海側が全面ガラス張りの落ち着いたカフェは、もちろん食事も楽しめ、夜はバーとしても使える。季節によっては、テラス席で海風を感じることも出来る。
「わあ~。オシャレなお店」
案内された店内で、和沙は素直に嬉しそうな様子を見せた。そう言われれば、優一とて悪い気はせず、つい顔がほころぶ。
「眺めもいいですね」
「ええ。私も気に入ってるんです」
窓際の席に落ち着くと、反射して輝く海に優一自身の目も輝いた。
「特等席だ!」
和沙が子どものように窓に張り付く姿に、優一は思わず吹き出しそうになるのを堪える。
「海、お好きですか?」
「はい。泳ぐのも好きです」
その返事に優一は納得した。すらりとした体型の和沙ではあるが、ある程度は鍛えている感じが出ている。
「でも、甘いものも大好きです」
運ばれて来たスイーツに笑顔が浮かんだ。
「私もです」
優一もつい本音でつられる。
「小半さん、何だか印象違います。甘いものなんか食べなさそうなのに……」
「美味しいものなら何でも歓迎です……まあ、手っ取り早く言えば雑食ですね」
優一の言葉にいたずらっ子のような目を向けたかと思うと、すぐに和沙は目の前のスイーツに意識を戻した。両手を合わせて瞑目する。
「いただきます」
そう言って食べ始めた表情を、優一はそれとなく眺めた。
そこで優一が初めて気づいたのは、向かい合って食べる相手が、嬉しそうか、美味しそうか、などとこれまで大して意識したことなどなかったと言うことだった。
もちろん、私的なことで向かい合って食事する相手──主に女性は、大抵笑顔ではあった。ただ、それは純粋に美味しくて喜んでいる笑顔、と言うよりは、優一に対しての社交的な笑顔であり、少し意味合いが違って来る。
(これが美味しそうに食べる顔、か……)
今さら、そんなことを考えている自分が可笑しくなる。惚れた腫れたではない分、冷静に見れるところは確かにあった。
それが、知らぬ間に変化しつつあった己の心境に影響されているからだなどと、優一は気づく由もなかった。
〜つづく〜