片桐課長のチョーゼツ長い日〔中編〕
自分の喉の鳴る音が、ゴクリと耳の中に響く。立ち上がったおれに軽く会釈をすると、
「……初めてお目にかかる……里伽子の父です。娘がお世話になっております」
言葉少なに、しかし、威厳のある挨拶。
……すごい迫力だった。
身長は間違いなくおれの方が高い。体格的にもおれの方がデカいだろう。だが、年輪と言うか何と言うか、とにかく凄味がある。
この感覚は、式見の社長に初めて会った時の感覚に似ている。頭の片隅に、十数年前が思い起こされた。
「はじめまして。片桐……廉、と申します。本日はお忙しい中、ありがとうございます」
交渉時の脳に何とか切り替え、おれはいつものように返した。
「……ま、お掛けください」
促されたおれは、再びソファに腰を下ろした。正面から向き合う。
(……渋い……何とも言えない男っぽさ……何より目が真っ直ぐだ……だがそれより……)
まともに面(つら)を合わせ、第一印象はそんな感じ。正直、どこをどうしてもお母さんと結びつかない。このお父さんとあのお母さんが、どこでどうなって結婚に至ったのか。
そして思ったのは、里伽子に似ている、と言うこと。いや、正確には里伽子が似ているのだが。顔立ちといい、特に目が似ている。
ここに至って初めて、里伽子は父親似だったのだ、と知った。恐らく、もし里伽子が男で、年齢を経たらこんな感じになるに違いない。
「……一応、ある程度の経緯は聞いておりますが」
静かに、おれに本題を促す。前置きはなし。話が早いところも里伽子は似ている。おれも覚悟を決めた。
「……はい。本日は、里伽子さんとの結婚をお許し戴きたく伺いました」
……これが言えただけで、肩の荷が3割は降りる。もちろん、この後の展開にも油断は出来ないが。
お父さんは静かにおれの顔を、いや、目を真っ直ぐに見つめた。……お父さんの隣にいるお母さんは、と言えば、ひとりで目をキラキラさせ、おれと里伽子の顔を交互に見ている。
小さく頷いたお父さんは、里伽子に目を向けた。
「……そう言うことだな?」
「はい」
ものすごい簡単な確認の言葉と返事。このふたりは間違いなく親子だ、と思わされた一瞬。
「互いの気持ちに間違いがないのなら、私からは何も申し上げることはない。娘をよろしく頼みます」
そう言って、静かに頭を下げる。
(……えっ、それだけで終わりかよ!?)
……あまりに呆気ない。ドラマよろしく、難航する展開を予想して身構えていたおれは、あっさりとクライマックスを通り越してしまい焦る。
まあ『一発、殴らせろ』とまで言われるとは思っていなかったが、根掘り葉掘り突っ込まれる覚悟はしていたのだ。里伽子は美人だし、他にいい見合い相手がいたのに、とか何とか、勿体ぶりくらい言われるかも、と。
「……あ、いえ、お許し戴きありがとうございます。……こちらこそ……よろしくお願いします」
お父さんは黙礼し、お母さんはキラキラの目をして、組んだ手をクネクネワキワキさせている。
「じゃあ、お話も終わったところで、お食事にしましょう!里伽ちゃん、手伝ってちょうだい!」
歌うように言うと、里伽子を連れて出て行ってしまった。
……まさか、密室(鍵は開いてるが)にお父さんとふたりきりで取り残されるとは……!(大汗)男ふたり、向き合って座ったまま沈黙。
(……く、苦しい……!)
何か話した方がいいのか、このまま沈黙を守った方がいいのか……。どうしたものかと考えあぐねていると━━。
「……片桐くん……」
ヒッ!来たぁ!脳裏をイヤな汗……。
「……はい」
必死に冷静を装おう。
手を顎に当て、少し迷うような素振りの後、お父さんはおれの顔を見た。
「……あれは……里伽子は……」
「……は……?」
また言いにくそうな間。
「……どんなものなんですかな……その……普段、女として、社会人として……」
「…………(え、え~と?)…………」
何をどう答えりゃいいんだ?この質問……。
「いや、あれの実の親を前にして、本当のところは言いにくいかとは思いますが、ここははっきりと……」
「……は……」
……これは……アレだな。
その言葉にノセられて、うっかりバカ正直に答えると、理不尽にも親御さんの逆鱗に触れて結婚の許可も取り消された挙げ句に「貴様のようなヤツに娘はやらん!二度と近づくな」的な扱いを受けると言う……アレだな。
心の中をザカザカ流れる汗を感じながら、答えに窮するおれの様子に、お父さんは自分の顎を摘まむようにしながら首を振った。
「……失礼した。私の質問の仕方が良くなかった。こんな風に訊かれては、誰であれ、答えようがないに決まっている」
お父さんの自己完結の言葉に、おれはひたすら黙ったまま。すると、今度は違う方向から来そうな気配。
「……親の私が言うのもナンだが、あれは……娘はそこそこいい娘に育った、と思っております」
(確かに、確かに)
心の中で力説しながら頷く。
「……だが!」
(ひっ!?)
突然の大声(今までのトーンより弱冠)に硬直するおれ。
「……きみもわかっていると思うが、何と言うか……こう女らしい愛想と言うか、空気と言うか……表情にしろ態度にしろ、やわらかさに欠ける時があると思うのだ……と言うより、それが常になっていると思う……」
……返す言葉に窮する。実の親とは言え、あまりに的を得ている上に、親であるが故に容赦がない。
「……きみから見て、里伽子はどうなのか。親バカではあるが、娘を信頼はしている。娘の人を見る目は間違っていないとも思っている。……私の目から見ても、きみは娘の結婚相手として申し分ない男と見たが、果たして娘自身はきみに見合っているのか。これからのきみの立場を考えると、娘にその度量はあるのか……確かに、実の親から訊ねられてバカ正直に答えるのは難しいとは思うが……」
静かに、だが、一気に心情を吐露したお父さんは、さすがに色々言い過ぎたと思ったのか、言葉を止めた。
「……いや、つい興奮してしまって……」
恐らく、かつて里伽子のことで何かあったに違いない。それを懸念しているんだろう……お父さんは。
おれは、バカ正直過ぎず、かと言って、嘘臭くならないように、言葉を選んだ。おれが知っている里伽子に関する事実が、事実としてそのまま伝わるように。
「……失礼なことも申し上げるかも知れませんが……」
一応、前置きをすると、お父さんは『構わないから言ってくれ』と言うように頷いた。
「……仰る通り、確かに里伽子さんには、少し表情が固かったり、発言がストレートだったりするところはあるかと思います」
お父さんが小さく頷く。
「しかし、それはどこでも、誰に対しても、と言う訳ではなく、相手も、そして場も選んでいます。仕事に関して支障が出たり、取引先からクレームがつくような態度を示したことは一度もありません。むしろ、営業成績としてはトップクラスです」
おれの説明をじっと聞き入っている。
「そして、人が気づきにくいところ、あまり目につかないところ、に気を配り、さりげなく手をかける、と言う細やかさも兼ね備えています。……私が自分でも気づかないところまで、静かに後ろでフォローしてくれていて、しかもそれを滅多なことでは気づかせない……むしろ、本当の意味で女らしいのではないか、と……」
……身を乗り出されてちょっと怖い……。
「……おれ……私は仕事だけでこの歳まで来て、もう他人と生活するなど無理だと思っていました。他にも理由はありましたが、まずは、今さら生活サイクルを崩すことは出来ないし、そのサイクルで我慢してくれるような女性がいるとは思えなかったからです」
「……ふむ……」
「……その考えを、簡単に覆したのが里伽子さんでした」
「……ほう……」
「……一緒に生きて欲しい、と初めて思いました」
「………………」
「……恐らく……いや、間違いなく、苦労をかけるでしょう。海外赴任もあれば、朝も早く夜は遅い。そして、その苦労に見合うものを返せるとすれば、この気持ちしかありません。それでも……」
「……それでも……?」
「……いつも隣にいて欲しい、と……我儘だとわかっていても……」
乗り出していたお父さんが、背もたれに寄りかかった。
「……そして、彼女はそれを受け入れてくれた。……自分が仕事を辞めてまで、私について来てくれると……だから、私はせめて仕事を頑張るしかありません……里伽子さんが認めてくれたのは、その自分、ですから。私は、彼女が私を選んだことを後悔しないよう……努力することしかお約束出来ません。……こんな……苦労する前提で申し上げて申し訳ないですが……」
目を瞑り、何か考え込んでいたお父さんがおれを見る。
「……良くわかりました。私にはもう何も憂いはありません。娘をよろしく頼みます」
本当の意味で、肩の荷が下りた瞬間だった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
その時、玄関が勢いよく開く音。
「おー!姉さん、もう帰って来てた!彼氏は?彼氏は?」
どうやら里伽子の弟が帰って来たらしい。
「もうすぐゴハンの支度出来るから、その時に紹介します。上に行って奏輔を呼んで来てちょうだい」
お母さんがまともに受け答えしている……当たり前か。
「……課長……お父さん……食事の用意が出来ましたので……」
応接室に顔を覗かせた里伽子が言う。お父さんとおれは何となく顔を見合わせて頷き、同時に立ち上がった。
「行きますかな」
「……はい」
そして、里伽子の兄弟との対面となる。
~つづく~
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