里伽子さんのツン☆テケ日記〔1〕
※この話は『里伽子の社内レポート』のつづきになります。
*
はてさて。いったい何なのかしら。
何かよくわかんないんだけど、この間、米州部の片桐課長に唐突に食事に誘われたのだ。
課長の言うことには、『合同企画の件でアジア部の見解も聞いてみたい』し、『今井さんとも一度ゆっくり話してみたかった』って。
へーーー。3へぇ、くらいだわね。うん。
ま、別に断る理由もないからいいんだけど。突然、何なんだろう。
*
片桐課長に誘われた直後、私は不覚にも欧州部の東郷くんに捕まってしまった。何てこと……。完全に油断していた。お陰で一緒に社食に行くハメに陥る。
社食に向かう廊下を歩きながら、東郷くんはいつもと変わらないご機嫌な様子でニコニコしている。対照的に、私の顔は能面みたいに違いない。ただでさえ無愛想の自覚があるって言うのに。
「里伽子先輩。さっき片桐課長と何を話してたんですかぁ?」
「朽木くん見なかった?って」
言葉数、最低限に、極まれり。……一句。
たぶん。たぶんね。彼は悪気なく、純粋な好奇心から訊いているだけ、なんだと思う。思うんだけどね。訊かれた方は重要事項を選んで訊かれてる、としか思えないのよね。鋭い、と言うか、鼻が利く、と言うか。
さてさて。どうやってはぐらかすかな、と。
「でも課長、一回、行こうとして、また立ち止まってましたよね?」とか私の方を窺う気配がする。
まーーーったく。よく見てるわ、この坊や。
「どれくらい前に見かけた?って」
「ふ~~~ん。そうですかぁ」
……信じてないな。ま、信じようが信じまいが、そんなこと私の知ったこっちゃないわ。
少し時間をずらしたのに、社食はかなりの混みようだった。トレーを持ちながら空いてる席を探していると、「里伽子せんぱ~い。ここ、空いてますよ~」と遠くから声が聞こえる。見ると欧州部の紅一点、南欧担当の南原友萌(なんばらとも)が手を振っていた。
南原さんは、小柄で猫みたいにクルクルな目が可愛い子だ。欧州部には他に女性がいないし、私とひとつ違いで歳が近いのもあって、たまに食事に行ったりもする。そんな関係なので、私は彼女を友萌と呼んでいた。
東郷くんと近づいて行くと、同じテーブルに米州部の朽木くんがいる。さっき片桐課長が捜していた彼だ。朽木くんは私の姿を見ると、ウソくさい笑顔を浮かべながら会釈した。
「今井先輩、東郷先輩、お疲れさまです」
「お疲れさま、朽木くん。さっき片桐課長があなたのこと捜してたけど……会った?」
座りながら訊くと、朽木くんが目を剥く。
「え、ホントですか。うわっ。行かなくちゃ」
「あら。社食じゃないかって教えたら、行ってみる、って言ってたけど……人が多くて見つけられなかったのかしら」
すると友萌が「片桐課長さっき来てたよ。キョロキョロして、そのまま行っちゃった」とのんびり言う。
「ちょ!南原先輩、それ、早く教えてくださいよ!ヤバい、ヤバい、ヤバい!マジで行かなくちゃ!」
朽木くんは半ば立ち上がりながら残っていたゴハンをかき込み、「お先です!」と言いながら急いでトレーを持って戻って行った。
「だって、朽木くんを捜してると思わなかったし……」
後ろ姿を見ながら友萌は呟くように言ってるけど、片桐課長がここに来てキョロキョロしてたら、米州部の誰かを捜しに来てると考えるのが自然だと思うのだよ。まして朽木くんが自分の目の前にいるんだからさ。……ま、いいけど。
その辺が天然な友萌だけど、実は欧州部切っての才女なのだ。いや、海外営業部切って、と言っていいかも知れない。
何しろこのボンヤリ感満載の様子でいて、日本語以外に6ヶ国語を操るツワモノなのだ。そして武道の有段者でもある。……何の武道だったかは忘れたけど、人は見かけによらない。いや、実は演技なのかも知れない、と私は踏んでいる。
「ところで里伽子先輩。今度の合同企画……こないだ先輩、説明会に出たんですよね?どんな感じでした?」
友萌はいきなり話が急展開する。これは珍しいことではない。ある意味、東郷くんと似ているところがある。
「ああ。津島課長の代理で出た説明会のこと?まだ段階的によくわからなかったな。しかも、私、もう出ないし……」
「そっかぁ~。津島課長が戻られたら、先輩が出ることなくなっちゃいますもんね」
向かいでは東郷くんがモグモグと食べているけど、目があっちこっちしている。私たちの会話に潜り込む隙を虎視眈々と計っているらしい。
「そう言えば、新しく企画室に異動になった雪村先輩も出席してたんですか?」
友萌。その質問、ヤバいわ。やめて。東郷くんの目がキラーンと光ったのを私は見逃さなかった。タイムリー過ぎてホント勘弁だわ。
知らん顔して「出てたわね」と答えると、東郷くんから、
「雪村先輩って、藤堂先輩や今井先輩と同期なんですよね?」
来たよ、来たよ。
「うん、そうよ」
「入社した時からあんな感じなんですか?」
「う~ん。雪村さんは総合部に配属されちゃったから接点ないのよね。でも、入社当時からあんな感じだったと思うわよ」
『あんな感じ』ってどんなん?と思いつつ、適当に誤魔化してみる。
「何で急に企画室に異動になったんでしょうねぇ?」
「さあ?補充人員に適任がいなかったんじゃない?」
私に訊かないで、と思いながらやっぱり適当に返事。
……してたのに、「雪村先輩って彼氏とかいるんですかね?」まさかの展開!いきなりの友萌参戦!!
友萌ーーーっ!!爆弾落とすのやめてーーーっ!!!心の中で絶叫する。
「ね、南原先輩、気になりますよね!」食いつく東郷くん。
「うん。あんなに綺麗な人だもんね~」天然な友萌。
もう、白目出そうよ、私……。この流れで行くと、確実に昔話に関する矢のような質問が浴びせられるに違いない。背中を嫌な汗が伝うような気がする。
そう思い、逃げ口上を脳内構築しているところへ救世主……になるかも知れない人が現れた。
「お、ここ、いいですか?今井先輩」
そう言って、私の隣にトレーを置いたのは北欧担当の北条くん。彼は友萌と同期なので、やっぱり私よりひとつ下だ。
「お疲れさま、北条くん。どうぞ、空いてるわよ」
「じゃあ、失礼します」
「遅めなのに、今日すごく混んでるわよね」
「広報部とデバイス部だかの打ち合わせが押してたみたいですよ。時間をずらさない方が良かったみたいだ」と北条くんも苦笑いしている。
北条真斗(ほうじょうまさと)。
彼は欧州部の中では若手と言えるけど、実力的にはトップの営業だ。片桐課長や藤堂くん、ましてや東郷くんとはちょっと違うタイプ。淡々として、何を考えているのかわかりにくい。私は、米州部の朽木くんは北条くんに似たタイプだと思っている。見た目の系統も近い。
そんな私の脳内なんか知りもしない東郷くんが、会話を戻したくてウズウズしてる様子。そんな彼に「中岡先輩から聞いた?」と訊きながらお昼を食べ始めた北条くんに、(その調子よ、北条くん!)と心の中でエールを送る。
「来週の打ち合わせの件ですか?い~え~内容とか全然。日程だけしか聞いてません」
話を差し替えられた東郷くんがつまらなそうに返事をする。
「……ん。合同企画の概要を説明するとか言ってたけど」と言う北条くんの言葉に、
「でも里伽子先輩の話だと、まだ何かよくわからないみたいな……」友萌が交じる。
話の流れが変わって「しめしめ」と思いながら、逃げるタイミングを計っていると。
「えっ?今井先輩、例の説明会に出られたんですか?」
ぐっ……!まさか北条くんが食いつくとは……!
何と言う不覚……!……に、逃げ損ねた……!
「ん……ん~……津島課長の代理で今回限りね」などと得意の棒読み。
「そうでしたか。実は今回の合同企画、ちょっと期待してたりするんですよ。何しろ、あの藤堂先輩と雪村先輩がタッグを組んだ企画なんて……すごくないですか?」
ちょ、ちょ、ちょ、話題をそっちに持ってかないでーーーっ!!再び、絶叫。
「……そうね」完全に棒読み体制発令。
「北条先輩!先輩は雪村先輩って彼氏とかいると思いますか!?」
待ってました!とばかりに東郷くんが絡みつく。ひぇ~。
「雪村先輩?どうかな。何しろ、あれだけの美人で、しかも才媛だから、そこらの男じゃ太刀打ち出来ないだろうし、第一、歯牙にもかからないんじゃないかな」
北条くんは特に興味も感慨もない様子で答えた。
「藤堂先輩とだったらお似合いだと思いませんか~?」と、ぐいぐい行く東郷くんに、
「ああ、藤堂先輩となら誰も文句のつけようがない組み合わせだろうね」と、さらりと返す。
「藤堂先輩って、あんなにモテモテなのに浮いたウワサが全然出ませんよね。やっぱ、理想が高いのかな~」また友萌がボンヤリと会話を上乗せすると、
「それ言ったら片桐課長の方が、じゃないですか?昔は知らないけど、少なくともおれが入社してから一度も聞いたことないですよ」東郷くんがイキイキと便乗。
「まさか、女に興味ないとか……?」友萌が妄想を爆発させ、
「え、えぇ~!?もしかして藤堂先輩狙いとかっ!?」
東郷くんまでが怪しい方向へ舵を取る。と、そこに終止符を打たせたのが北条くん。
「……片桐課長も藤堂先輩も今の状況はわからないけど、少なくとも片桐課長が男狙い、ってのはないと思うよ」と平然と言い放った。
「何でわかるんですー?」無邪気に訊く東郷くんに、北条くんは、また、あのウソくさい笑顔で「ん~?ははは」と誤魔化す。
「でも、藤堂先輩と雪村先輩の動向は、企画の内容と同じくらい気になるね」なんてはぐらかしてる辺りが、やっぱ、胡散臭いわ、彼。
すると「……北条先輩は雪村先輩みたいなタイプ、どうなんですか~?」東郷くんが上目遣いで窺う。
……そう行くか。急に矛先を変えたわ、この子。
「おれ?そりゃあ、あれだけの美女だからね。悪い気はしないけど。でも、おれはどちらかと言うと『打てば響く』タイプの方が好みだから」
へぇ~。そうなんだ。……って、どーでもええわ!と、私はふて腐れ気味にコーヒーを含んだ。
「え、じゃあ、里伽子先輩みたいな!?」
ぐふっ!!!
私の脳内は盛大にむせた。もちろん、顔は能面仕様だ。
「今井先輩?そうだね。今井先輩なら美人だし頭も切れるし、申し分ないね」
やんわりとウソくさい笑顔で宣う北条くんに、心なしか東郷くんと友萌の目が期待でキラキラしてるのが気になる。……だ・け・ど・ね?
北条くんはね。一筋縄じゃあ行かないタイプなのよ。あなたたちは、まだ知らんだろうけど。その証拠を、今、見せてあげよう。
「あら、まあ。北条くんにそんな風に言われたら、お世辞でも悪い気はしないわね」
週に一度、見せるか見せないか、ってレベルの営業スマイルで応える私に、
「お世辞なんてとんでもない。本心ですよ」とスマートに返す。やるわね。
「じゃあ、南原さんなんてどう?打てば響くし」
ま、違う方向に響く可能性もあるけど、なんて心の中で思いつつ、さらにスマイルをグレードアップして訊いてみると、東郷くんと友萌が揃って「えっ」と言う顔をする。
「いいですね。キュートですし、どんな返事が返ってくるか意表を突かれるところがまたソソりますね」
北条くんのさらりとした返事に、東郷くんがポカーンとした顔、友萌も自分のことを言われているのに反応も出来ないくらいに鮮やか過ぎて、目の前でエサを盗られた猫みたいな顔をしている。
ほらね。北条くんはこーゆう人なのよ。目の前にいる女にケチつけるような真似は絶対にしない、ってこと。雪村さんが目の前にいたら「ぼくにはもったいないくらいなんですけど」くらいニコニコしながら躊躇いもなく言ってのけるのよ。
さて、そろそろ時間も良い頃合い。撤収用意!一気に行くわよ。
ほくそ笑みながら「さて、私は戻るわね」と言うと、北条くんが「あ、おれも戻らなくちゃ」と立ち上がった。東郷くんと友萌がしゃべりに夢中になってる間に、彼はしっかりと食べ終わっていたのだ。ま、私もだけど。モグモグと食べてたワリに東郷くんはツメが甘い。
箸を持ったまま呆然としている二人を置いて、私と北条くんはトレーを持って「お先に」と席を離れる。「今井先輩、持ちますよ」と然り気無くトレーを持ってくれたりする、これが北条真斗と言う男なのだよ、お二人さん。
だけどね、北条くん。
実は私は踏んでいる。あなたが狙っているのは、ホントにホントは友萌だって、ね。
化粧を直した私は気分上々で仕事へと戻った。
これから訪れる連続嵐の気配など、この時の私は知る由もなく。
~『ツン☆テケ日記〔2〕へ つづく~
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