里伽子さんのツン☆テケ日記〔4〕
どうやら、お互いに触れられたくなかったらしい共通の話題=名前の話題、は何とかやり過ごしたみたい。
その話が終わった後は特に地雷みたいな話題もなく、運ばれてくる美味しい料理に意識が持ってかれてる状態。うん、どれもとっても美味しい!
ワインもすごく美味しい。いいワインなのもあるだろうけど、スタッフの人もチョイスがうまいんだと思う。だって雰囲気もいいもの。
こうなって来れば会話もそこそこはずむ。……『はずむ』と言っていいレベルかはわからないけど。
でもさっきまでの、あの寒々しい雰囲気に比べたら……うん。今のところ問題ない。たぶん。
「今井さんは、何かスポーツやってた?」
その雰囲気に合わせたように、課長が無駄に無難な話題を振ってきてくれた。
「……そうですね。試しも含めたら、片っ端から手を出しては性に合わないものは切り捨てて行く感じで。身体を動かすのは嫌いじゃないです」
課長は「ああ、やっぱりね」みたいな顔で頷いてる。私、体育会系に見えるのね。そうですか。
「性に合わないスポーツって?」
「団体でやる球技とか、あんまり合わなかったですね。テニスは少しは続きましたけど……バスケとかバレーボールは競技そのものよりもチームプレーが面倒で」
課長……何でそこでも頷いてるんでしょうか。そこ、納得するところと違うんですけど。私、チームプレーが得手でないように見えますか。そうですか。
課長の態度がちょっと面白くない。何だか私のことを『わかってる』風な感じで。
「課長も何かスポーツされてました?」
……ならば、と逆質問してみる。
「おれも今井さんと少し似てるかもな。あちこち手を出してはやめたり、また始めたり。でも、まあ、ワリと頑張ってたのは水泳かな」
なるほどね。私の予想は当たっていて、ついつい「やっぱり」と、また言葉になって出てしまった。
「何で?おれ、いかにも水泳やってたように見える?」
不思議そうな、面白そうな、興味津々って顔で訊いてくる。
わかりますよ。見るからに、ですもの。でも、この様子じゃあまり指摘されたことないのかしら?
「はい。肩とか広背筋の感じとか……」
……って、何で笑いそうになってるの?
「普段、服着てる状態でわかるの?スーツなのに」
課長、何ですっごい笑いを堪えてる感が丸出しなの?
「はい!初めてお逢いした時に、すぐわかりました」
そうよ。
入社して海外営業部の部屋で見かけた時……いや、厳密にはもう少し前だけど、ひと目でわかったわ。「この人、絶対、水泳系のスポーツしてた」って。自信満々の予想が、6年の歳月を経て正しかったと証明されてスッキリよ。
ひとり心の中で満足している私に課長は、
「泳ぎは今でも行きたいくらいだけど、なかなか行けないな、これが。大学時代に水球にも誘われて、何回かやったけど “死ぬ!” って思って断念した」
大真面目な顔で力説。その真顔の方に笑いを誘われる。失礼かもだけど、ホンキで笑ってしまった。……なのに、何故、嬉しそうに笑ってるの?課長まで。
「でも、腕の感じとか……何か武道っぽいことされてたのかな、とも思いましたけど」気を取り直して探りを入れる。
課長の顔が「えっ」って感じに焦ったのがわかり、思わず心の中でほくそ笑む。ムフ。
「……当たり。ま、武道っても空手とかはちょこっとだけど。ボクシングもパート部員みたいな感じでやったことあるな。剣道と弓道はおれとしてはかなりやってた方。今井さんじゃないけど、ひとりで出来る弓道が一番頑張ったかな」
「奇遇ですね。私も弓道はやってました」
またもや「やっぱりね」と思いつつ。うん。調子が上がって来たわ、私。お酒のせいかしら。
「へぇ。今井さんなら様になりそうだな」
「う~ん……どうでしょう?」
課長はそんな風に言うけど、そんなこともなかったような……。あんなのは、誰がやってもそれなりになるもんじゃない?なんて考えていたら、
「下級生に憧れられたりしなかった?」と、課長。
あ、そーゆうことね。そう言えば、そんなことあったわ。何が格好良かったのか、私にはさっぱりわかんなかったけど。
「あ~そう言えば、弓道やってる時、やたら下級生の女の子に声かけられたかも……」
その答えに、また半笑いを浮かべながら、ひとり頷いている。……何か面白くない。
「他には?」
まだ、来るか。じゃあ、ちょっと路線を変えて……。
「他ですか。スポーツって言うか、ワンシーズンだけチアやらされたり……」
「ぐっ……!」
そこまで言ったところで、課長がワインを気管支にぶっ込んだらしく、派手にむせた。
え、事故なの?それとも私のせいなの?
「課長!大丈夫ですか!?ワインが気管支に入ったんですか!?」
とりあえず背中をさすってあげると、口元を押さえながら「大丈夫だから」と小さい声で言う。
まさか、何か良からぬ想像でもしたのかしら。
そう思いつつ、課長がひとまず落ち着いたとこでダメ押しの追撃。
「あ、でも、あと水泳もやってましたよ」
「ぐふっ……!」
「え、あ、課長……!」
……決まったわね。
やっぱり、何か、を想像したんだわ。すっごい自己嫌悪っぽい顔してるもの。さらに笑えることに、背中をさすっていると、課長が微妙に私の顔から視線を逸らすことにも気づく。ムフフ。
課長は深呼吸して、呼吸を調えた。でも、たぶん、本当に調えたのは脳内の方で、必死に沈静化してたに違いない。
ま、想像されるうちが花だ。
でも、ここはひとつ、ちょっと釘を刺しておこうかな、と。
「課長の剣道とはちょっと違いますけど、棒術を少しだけやったり……」
ほんのちょっとカジッただけだけどね。
あら、課長、目がすごい真剣になった。
「なぎなたとか……」
初段か2段取ってそれっきりだったかな。
お、課長、何となく顔をしかめてる。
「フィットネスボクシングとか……」
ちょっと誘われただけだけどね。
うわ!課長、すっごい歯を食い縛ってるみたい。
よし!ここだ!
「あ、あとスポーツとも武道とも違いますけど、日舞やってました」
いきなり方向転換してみる。
ま、ほんのお習い作法程度だけど。人によるかもだけど、日舞は習うのにものすんごくお金がかかるのよ。
そしたら……え?
いきなり、課長の顔が変わった。表情が……え、何、何、何、何なの、この表情って……。
「日本……舞踊?すごいね。何でやろうと思ったの?」
課長がすごく優しい目で訊いてくる。
「弓道を始めた時に……着付けも含めて、着物での動きや所作に慣れた方がいい、って勧められて……ま、道着と着物じゃ全然違うんですけど」
何で私がこんなにドギマギしなくちゃならないの。
……って言うか、何、この穏やかな顔。課長がこんな顔をするなんて……。
「……似合いそうだな……」
……そんな顔で、そんなこと言わないでよ。
困惑した私は、思わず眉間がコイル巻きになる。
「……課長。何を想像されてます?」
「は……え……?……何を……って?」
今度は課長の方が困惑した表情に早変わり。
困ったような、納得いかないような、そんな課長の顔を見て安心する。何だろう、これ。わかんないけど、でも、とにかくその様子にホッとして口元が緩む。
困惑したままの課長なんか置き去りで話しの続き開始。
「陸上もやりましたよ。今でもたまにジョギングしたりはしますけど。短距離はそこそこ学内ではいい線行ってて……」
「……そうなんだ」
課長の答え、完全に守りに入ってる。
「最高で100メートル12秒くらいでした」
「……………………」
でも、たぶん、課長はもっと脚速かったんじゃないかしら。予想だけど。
それにしても、課長の表情がもう百面相になってる。こんなにいろんな表情をする人だったのね。もう、隠そうにも隠せなくなっているところがホント可愛い。
ほらほら、あの顔。
きっと、『くっそー。いくつも歳下の女に~』なんて考えてるに違いないわ。
そう思ってたら、急に穏やかな顔になった。……え、今度は苦笑いしてる?
何かコロコロ表情が変わってるんだけど。
……って、え……?
さっきよりも、もっと、もっと優しい、穏やかな目。
何で、そんな目をするの。そんな目で見ないでよ。どうしていいかわからなくなる。
……と、私が泣きそうな気分になった時、助け船が来てくれた。
「片桐さま。お料理のご注文はこれで最後でございます。あとはデザートになりますが、如何致しますか」
スタッフの人、オーダー時の私の様子をしっかりと覚えてくれていたみたいで、わざわざ確認を入れてくれた。
「今井さん、どうする?何か追加する?」
いつもの様子に戻った課長が訊いてくれたけど、ここはダメよ。いくら何でも、私でも、ダメ!一瞬、間をおいてから、「……いえ、大丈夫です」と答える。
「本当にいいの?ウチに着いてから『お腹減った~』なんて思っても遅いよ?」
お願いだから誘惑しないでってば!ちょっと強気に「大丈夫です……!」と断る。
そしたら課長、また笑うの堪えてるし。
「じゃあ、デザートを変えてもらったら?少し多目に変えてもらえるよ」
笑いを堪えてる感丸出しの課長の言葉に遠慮しようとしたら、課長ったら、何と有無を言わさずにスタッフの方へ私の分だけ盛り増しのデザートをオーダーした。
「お飲み物は何になさいますか?」と訊いてくれたスタッフの方に、
「おれはホットコーヒーで。今井さんは?」答えながら、私にも訊いてくる。
「……課長と同じで……」思わず上目遣い。
……何か課長にめちゃくちゃ軽くあしらわれてる気がする。まだ笑い堪えてるし。見れば、スタッフの方までが笑ってる。
それからデザートが運ばれて来るまでの間、何か落ち着かなくて、また能面仕様になってたと思う。
やっぱり課長には勝てないのかな。別に本気で勝とうなんて思ってるわけじゃないけど。
何だか、本当に心の中が全部バレてる気がして……。
それに、盛り増しのデザートがどれくらいなのかはわからないけど、きっと、私は大食い女に見られることになるに違いない。はぁ~。
そして━。
運ばれて来たデザート盛り増しは、まあ、私の想像よりはちょっと多かったけど。全然、普通に食べれるレベル。
ん?心なしか課長の顔色が悪くなったけど。食べたかったのかな?自分もこれにしなかったことを後悔してるのかしら。
「課長。課長は良かったんですか?こちらにしなくて……」
「いや、おれは大丈夫。その分、結構、パン食ったから……」
課長が慌てたように遠慮する。
確かにイタリアンはパンが美味しい場合が多い。私も結構食べたけど、確かに課長、かなり食べてたかも。
「……じゃあ、お言葉に甘えて、いただきます」
そう言って、再び、手を合わせてデザートを戴く。美味しい。幸せ。
食べてる私を、また課長がニコニコしながら見てる気配がする。もう大食い女で構わないわよ、とヤケになった。
なのに課長は「本当に何でも食べるんだ?」って、その表情のまま訊いてくる。
「はい。余程、激辛とか激甘とかでなければ、甘くても辛くても何でも戴きます」
私がそう答えると、少しホッとしたような顔をする。
……って、あれ。もしかして、私が能面仕様になって機嫌悪そうだから気にしてくれてたのかな。どうしていいかわからなかっただけなんだけど……。
ふと、私の手が止まる。
課長なら知っているだろうか。
知っていることだけでも教えてくれるだろうか。
今なら、訊いてもいいだろうか。
「……今井さん?」
食べる手をとめて考え込む私を、心配そうに覗き込んだ課長の声。
そのまま数刻。私は躊躇いがちに声を発した。
「……片桐課長……あの……」
「ん?」
課長が優しい目で私を見つめながら訊き返して来る。
「……あの……あの時……」と躊躇いがちに切り出した私。
「……あの時?」不思議そうに私を見る課長。
私の勇気はそこで途切れた。
「……いえ、すみません。何でもないです」
話題を逸らすように、またデザートを食べる手に意識を集中する。課長は首を傾げながら、不思議そうな顔で私を見ていた。
この時に、勇気を出して訊いておけば良かったのか。だけど、訊いたからと言って、いったい何になるのか、と言われたら答えられない。
だって、ただ、自分が『知りたい』と思う気持ちのためだけに、過去のあれこれを穿り出して一体何になるのか。何かが変わるとでも言うのか。
きっと、課長ならほとんど知っているだろう。私の知りたいことを。でも。
また食べることに専念しだした私は、デザートなんてあっという間だった。コーヒーも戴いて、全て終える頃にはかなりいい時間。
私は失礼して化粧室へ向かった。
化粧を直しながら、私が知りたいこと、を課長に訊いていいものか考える。知りたい。訊きたい。
でも。
やっぱり、もう終わってしまった過去のあれこれを引っ張り出すことに躊躇いがある。考えながらの化粧直しも済んでしまい、課長をあんまり待たせるワケにも行かず、結論を出せないまま戻った。
仕切りの傍まで行き、ふと見えた、課長の顔。
あの顔は。
仕事の時の、しかも、ここ一番の正念場、と言うときの顔だった。
怖い。険しい。厳しい。真剣。そんな言葉では到底表すことが出来ない顔。私も数えるほどしか見たことがない。
ゾクっとするような、鳥肌が立つような、目を奪われるような、囚われたら二度と逃げ出せないような。
本当に文字通り、私はその場で固まっていた。目を奪われたように、魂を抜かれたように、ただ課長の顔を凝視していた。声を発することも、瞬きすることも忘れて。
私が立っていることに気づいた課長は、一瞬のうちにさっきまでの穏やかな顔に戻る。
「……すみません、お待たせしました」
金縛りが解けたように、でも、やっとのことで私は声を出した。
「……よし、帰ろうか」
いつもと変わらない課長が私に笑いかける。私は少し引き攣った笑顔を浮かべて頷いた。
課長が予め頼んでおいてくれたらしいタクシーにお店の前から乗り込む。課長が当たり前のように私の家の場所を告げると、タクシーは滑るように走り始めた。
「今日はつき合ってくれてありがとう」
後ろに流れていく光の束。その中に浮かび上がる課長の笑顔。
「……とんでもないです。こちらこそ、素敵なところに……ありがとうございました」
小さく会釈をしながらお礼を言うと、課長は優しく頷いてそのまま黙り込んだ。
そのまま、お互いに無言の時。
タクシーの中で隣り合わせて座っていると、ちょっと動けば触れ合うくらいの距離。傍に感じる課長の気配。堪らない、ざわつくような落ち着かない感覚。
あと、どれくらいで家に着く?そんなことを考えていると。
「そろそろですけど……どの辺りですか?」運転手さんの声。
「あ、次の信号を左に入って、最初の角を……」気まずい空間を中和するように、急いで答える。
もうすぐウチに着く。もうすぐ。
私が住んでるマンションは6階建てマンションの3階。課長はマンションの向かいにタクシーを待たせて入り口まで送ってくれた。
「課長。今日は本当にありがとうございました」
「いや、おれの方こそ楽しかったよ」
「私もです」
課長の優しい目に、つい、訊きたい気持ちを抑えきれなくなりそうで。きっと、訊いたら課長は困るか、驚くか……もしかしたら怒るかも知れない。
……と。課長が何かを言いかけた、その瞬間。
「……あの……課長……」
私は。声を発してしまっていた。
課長の目を見た一瞬。
課長のその目差しが。その表情が━。
私は目を離せなくなってしまっていた。
どうして……。
それ以上、言葉を出せないで固まる私に。
「ん?どうした?」課長が優しく問う。
「……課長……私……」
言葉が出てこない。もう訊けない。目が離せない。
そんな私の顔を見つめて、私の言葉を待っていたはずの課長は、思いもよらない言葉を私に放った。
「……また誘っていい?」
思わず、息を飲む。そして、同じように課長が息を飲む音も聞こえた。
実際には、ほんの一瞬だったと思う。
「……はい」
笑って適当に濁そうと思っていたのに。気づいたら私はそう答えていた。
だけど、課長も同じように驚いていた。瞳孔が開くように目を見開いたから。
これからどうなるんだろう。そんなことは知らずに。お互いに立ち竦む。
「おやすみ」
その空気を打ち破るように、課長が囁くように言った。
「おやすみなさい」
何とか同じように返し、振り返り、会釈しながら、部屋に戻った。
部屋の灯りを点けて窓を開ける。そこには、こちらを見上げている課長の姿。課長から私の姿がわかったかはわからないけれど。
私が部屋の灯りを点けるのを確認しようとしていたみたいで、その後すぐに、向かいに待たせていたタクシーに乗り込んだ。
走り去っていくタクシーを窓から見送りながら、私は取り返しのつかないことをしたんじゃないか……と、心の中では迷いが嵐のように渦を巻いていた。
~里伽子さんのツン☆テケ日記〔5〕へ つづく~
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