片桐課長のあれやこれやそれや〔承編〕
仕事と同時進行で『里伽子さま攻略』の作戦を練るのは容易ではなかった。何しろ、その週の主な仕事は専務の相手だったから。例によって、やたら内線は入るし、やたらメシに誘われるし、やたら何でもないことを訊いて来る。
業務で必要なことは、当然、おれだって手は抜かない。だが、本来、打ち合わせやら何やら、これは矢島部長の仕事のはずなんだが……。
そんな週の水曜日、おれはアジア部のシマで、里伽子が見慣れない女性と話しているのを見かけた。少し小柄で髪の短い女性と里伽子が親しげに談笑している。
(……誰だ?)
顔を確認しようと、おれは通りすがりに角度を変えて横目で確認した。
(……!……坂巻さん!?)
正直、驚いた。が、坂巻さんとわかって納得もした。彼女は里伽子と仲が良かったから。しかし、まだ赴任期間は終わっていないはず。……と言うことは一時帰国か。
藤堂の顔が脳裏を過る。二人がわかれてからもう4年。だが、まだ4年、とも言える。
藤堂と雪村さんの微妙な関係ことも相俟って、何となく気にかかる。
……とは言え、それ以上はおれにはどうすることも出来ない。あの時、おれには、もうあれ以上のことは出来なかった。そして、二人はわかれを選択したのだから。
━そして。
何より、藤堂も、もうあの時の藤堂ではない。
*
夕方から始まった専務との打ち合わせ。
途中で一旦区切り、おれは食事を兼ねての休憩に外に出た。もちろん専務には『一緒にごはん食べようよ~』とゴネられたが、聞かなかったことにした。
社に戻る道すがら、里伽子に電話をかける。すると、意外にもすぐに応答してくれた。……が。
「……金曜日の件だけど……」
『え、土曜日にしましょう。それに埋め合わせなんて必要ないですし』
まだそのこと言ってんの?的に反応される(泣)。
「……埋め合わせはともかく……いや、少し遅くなるかも知れないから、埋め合わせなんて出来ないかも知れないけど……」
『ですから、土曜日にゆっくりでいいじゃないですか』
「……いや、あのな……」
おれが言葉を発した瞬間。
『あ、すみません。人が来たので。じゃあ、そう言うことで』
会話をぶっ千切ろうとする里伽子。
「ちょっ!待て、里伽子!話はまだ……」
さすがのおれも、こんな話の終わらせ方には納得が行かない。いくらおれがゴネてるのだとわかってはいても。
『すみません。人が来たので、切・り・ま・す』
里伽子の言い方が少し尖る。いや、それより、人って……まさか、あの宅急便の男じゃ!
「里伽子、待て!切るな!このまま繋いでおけ……」
………………無情にも切られた(泣)。
くっそ!『じゃあ、そう言うことで』って何だよ!いや、マジであの男だったらヤバい!急いで里伽子のところに……と思った瞬間、
「片桐課長。専務がお待ちです。打ち合わせを再開してください」
大橋の無機質な声が響く。
くっそーーーっ!こうなったら、打ち合わせをさっさと終わらせるしかない!
しかし、そのあとで専務からもたらされた情報は、まあ、ふざけた伝え方だったとは言え、おれを驚かせるには充分過ぎる内容だった。
まさか、あの伍堂財閥が動くとは。
いったい、何故……。
そして、専務からのもうひとつの情報は、国内営業部の村瀬の件。おれの報告に対して、新たな情報が返って来たのだ。これは両方、藤堂にも知らせておいた方が良さそうだな。
おれは専務に解放された帰り際、藤堂に電話をかけてみた。しかし、応答はない。仕方ないので、詳細は明日話すことにして概要だけをメールで送っておく。
そのあとで、再び里伽子に電話するも応答なし。
━まさか!……と頭の中が真っ白になった瞬間、里伽子からのメール。
『友だちがもう寝てるので、申し訳ありませんが、今日は電話は出来ません。お疲れさまでした。おやすみなさい』
何だ、そりゃ!(泣)
……と、そうか。『友だち』ってのは坂巻さんか、と思い当たる。彼女が泊まりに来ているに違いない。
とりあえず、訪ねて来たのが配達人じゃなかったことでおれは胸を撫で下ろした。
しかし、里伽子さま……何であんなにクールなんだ……。おれだけが、ひとり熱くなってバカみたいじゃないか。
おれは一抹の虚しさを抱えて帰宅し、不貞腐れて眠りについた。
*
翌日は朝から藤堂と伍堂財閥の件、村瀬の件を話すも、時間が足りずに夜に持ち越した。
……とは言え、夜は現地からの連絡待ちが入ってしまったおれは、藤堂と社の近くで適当に晩メシを食いながら釘を刺す。思慮深いのは藤堂の長所でもあるのだが、自分の中に抱え込む悪いクセもあるからだ。
藤堂とわかれて仕事に戻ったおれは、朽木からR&Sの動きが止まったことを聞かされ、さらに悪い予感が沸き上がった。これは、こちらを意識している意図的な動きに違いない。
翌日の専務との打ち合わせの時には、その件も報告しなければならないだろう。
おれは大橋に予め話しておくことにした。大橋もおれの話に警戒の色を隠さないところを見ると、専務もかなり探りを入れていると言うことなのだろう。
おれが書類に目を通しながら三杉からの連絡を待っていると、朽木が珍しく遠慮がちに話しかけて来た。
「課長。あの、昨日、アジア部に来ていた女性はどなたかご存知ですか?」
「え?」
朽木も坂巻さんが里伽子と話しているところを見ていたらしい。そりゃ、そうか。
「ああ、あれはアジア部の坂巻さんだ。今、まだ赴任中のはずだが、一時帰国でもしたらしいな」
「……あの人が、坂巻先輩ですか」
朽木が少し驚いたように呟く。
「坂巻さんのこと、聞いたことがあるのか?」
「いえ……小耳に挟んだ噂程度です」
朽木は少し考えるような様子をして、躊躇いがちに答えた。
「……ふーん」
朽木には、深く突っ込まないことにしているので適当な生返事。
「課長。三杉くんから電話です」
根本くんの声で、坂巻さんの件は思考から霧散した。三杉からの電話を受けると、心配していた件は問題なく、順調に話が進んだことを知らされ安堵する。
……が。
ひとつ気になる報告を受けた。市場に微妙な動き、と言うか変化が生じたと言う。
これは、さっき朽木から報告があったR&Sの件と関連しているのではないか。おれは、この件も大橋に連絡を入れた。大橋からの返事も、すぐに専務に報告すると言うものだったところを見ると、気をつけておかねばならない。
そこで一度区切り、おれは根本くん、朽木と共にその日は退社した。
*
翌日、金曜日。
坂巻さんは昨日の夜も里伽子の部屋に泊まっていたらしく、結局、昨日も里伽子と話せないまま。
正直言って、おれは自分が女性に対して、ここまで執着心が強いとは思っていなかった。
だ・け・ど!
逢いたいんだよ、今日!!
もはや子どもの駄々こね以外の何物でもないことはわかっていて、それでも、どうにもならないくらいに。
おれは昼休み、最後のチャンスを賭けて里伽子にメールを送った。
『どうしても今日逢いたい。頼む』
もう、必死過ぎて自分でも笑えない。そして……返事は今のところ……ない(泣)。
返事がないことに落ち込み、さらにイラつきながら、ダダ下がりのテンションで専務との打ち合わせに向かうと、大橋が一瞬だけ、物言いたげな表情でおれの顔を見たのに気づいた。
こいつに突っ込まれるのだけは御免だ、と思い直し、一旦、頭の中から里伽子のことを追いやりリセットする。
昨日、大橋に予告しておいた件から専務へ報告。専務も珍しく真面目な顔で考え込む。
「片桐くん。その件、気をつけておいて。どんなに小さなことでも逐一報告欲しいな」
「わかりました。三杉にも気をつけるように念を押しときます」
その後、伍堂財閥の動き、そして何より合同企画の進行状況などの説明。専務は元々は企画を率いていたこともあり、今でも半分以上は足を突っ込んでいる状況だ。
営業サイドからの攻撃に、専務からの追撃。こりゃあ、藤堂も大変に違いない。
一応、真面目な打ち合わせを終え、おれは専務の『一緒にごはん食べようよ』攻撃を何とかかわして解放された。
━その帰り道。
里伽子からの返事は……ない。
『片桐課長のあれやこれやそれや・承編』~おしまい~
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