社内事情〔40〕~確信と自信~
〔里伽子目線〕
*
片桐課長は、仕事のことなら誰にも、隙も弱味も何ひとつ見せない人だ。どんなに厳しい状況でも、それを楽しんですらいるんじゃないか、ってくらい余裕を感じる人だった。
だけど、やっぱり課長だって人間。心が鉄で出来てる訳じゃない。
仕事では見えなかった部分が、ほんの少し垣間見えるようになった頃、私は課長についてあることに気づいた。
ほぼ完璧に近いスペックを持っていながら、課長には何故か、欠けている肝心なところがある、ってことに。
まあ、『お前が言うな!』って感じだろうけど。
でも、私はむしろそれに気づいた時に、本当の意味で課長に惹かれた気がする。たまたま課長の欠けている部分が、私の欠けてる感覚とうまく噛み合ったんだとは思うけど。
課長の周りにいる人は、たぶんそれに気づいてる人と、気づいてない人に二分化されている。さらにその中で、気づいて惹かれてる人と、気づかないで惹かれてる人がいて。気づかないで惹かれてる人が圧倒的に多いと思う。私もかなり経ってから気づいたから。
きっと、それで良かったんだと思う。
だって、そもそも完璧な人間なんていない。いるはずがない。
私は、私が実際に見て、実際に感じた課長だけを信じて、ちゃんと向き合って行きたいと思う。
今、課長の心の中は、昼間のことでいっぱいに違いない。ものすごい怒り、それも相手に対してだけじゃなく、自分に対しての怒りも感じる。自己嫌悪の嵐、って顔をしているから。私が襲われたことに、課長には何の責任もないのに、だ。
私を見つめていた目にも、窓の外を眺める目にも、見たことがない暗い翳りが巣食っていて、その中にはたったひとつの決意の色しか見えない。
……課長を助けられる、なんて思ってる訳じゃない。だけど、どんなことがあっても私は、この人の手を離しちゃいけない気がした。手を離してしまったら、この人はどこに行ってしまうかわからない。そんな予感。
だから私は、今から課長の決意に挑んでみようと思う。その決意を覆させるために。
例えどんな問題についてであろうと、我が社最強の営業課長に、その決定を覆させるために挑む、なんて無謀だってわかってる。なのに私は、何故か勝てる気がしている。絶対に負ける気がしない、根拠のない自信が私の中に確かにあって。
課長の決心を変えさせられる、と私は確信していた。本当に根拠は全くない。
私が話を切り出そうとすると、案の定、課長はそれを遮って自分の話から聞いてほしいと言う。それも計算済みだった。あっさりと順番を譲ると、課長は拍子抜けしたと同時に出だしを誤ったみたいで、これも私の思った通りの方向へと進んで行く。
(……勝てる……!)
私は確信した。……勝ち負けの問題じゃないんだけど。
課長は、私との事実上の関係を断ったところで、クルリと変われる人ではないから、そこを突く。
私は渾身の一撃を放った。
私は、私に何かあったとしても、課長が動じることなくいつもの判断を下し、それを実行してくれる、と約束してくれるなら。それを確約してくれるのなら、課長の元を去ってもいい、と思っていた。
だけど、それが無理ならば。……違う、「ならば」ではない。課長には無理だから。
だから『この人から離れちゃいけない』気がした。
自分の、その確信とも言える直感を『事実』にするために、課長の恐れにとどめを刺す。
*
翌朝、私がベッドを抜け出しても、課長は珍しく目を覚まさなかった。いつもなら、私がほんの少し動いただけでも目を覚まし、腕の中に巻き込もうとするのに。いや、無意識の時もあるかも知れないけど。
相当、疲れているんだろう。加えて、昨日のことから解放されたのもあるのかも知れない。
先にシャワーを借り、課長が起き出して来る前に、あり合わせで軽い朝食を用意。
しばらくすると、勢いよく寝室の扉が開いた。課長が、何かスゴい慌てた顔で姿を現し、キッチンに立つ私と目が合った瞬間、何ともバツの悪そうな表情を浮かべる。
「おはようございます」
いつもの調子で挨拶すると、
「ああ……おはよう……サンキュ…………悪い……先にシャワー浴びて来る」
言葉少なにそう言い、バスルームへと消えた。
私はテーブルにお皿を並べ、コーヒーを用意しながら待つ。頭の中を整理しながら。
少しスッキリした顔で出て来た課長と、だけどお互いにほとんど口を開くことなく食事を摂った。
私が後片付けをしていると、出かける予定を立てていない限り、大抵、課長はリビングで仕事を始めている。それが、今日はソファに座ってはいるものの、新聞を読んでる訳でもなければパソコンも開いていない。
肘を膝の上に乗せて支えるようにし、手を合わせたり、時に組んだり、どうしようか迷っているような、ちょっと内心落ち着かない様子だった。
そんな課長の様子を背中で感じながら、私は食後のミルクティーを淹れる。
私は今から━。
マグカップを課長の前に置いた私は、自分のカップを持ったまま隣に座った。課長の目線が私を追うのを感じながら、ミルクティーをひと口含む。
「……サンキュ」
そう呟いた課長が、肘を膝の上についたままマグカップを取り、同じようにひと口。
数秒の無言の間の後、私はマグカップをテーブルに置いた。
「……課長……」
「……うん?」
課長が前屈みの姿勢のまま、再び私の方に顔を向ける。
今日こそ、私は決めたことを課長に話そうと思う。
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