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〘異聞・エジプト〙セトの花嫁

 
 
 
 始まりは無であった。
 
 水で満たされた『ヌン』と呼ばれる無から最初の神が生まれた。
 
 創造主アトゥムの誕生である。
 
 後に太陽神ラーと同一視されることになるこの神から、男性神シュウ(大気の神)と女性神テフヌト(湿気の神)が生まれた。
 さらに、シュウが空を支えて大地と分けたことで、テフヌトとの間に男性神ゲブ(大地の神)と女性神ヌト(天空の神)が誕生した。
 
 仲が良すぎるゲブとヌトは常に一緒におり、太陽を運ぶことが出来ずに困ってしまったラーのため、シュウはゲブ(大地)とヌト(天空)を引き剥がして道を通した。
 
 別々になった天と地の間に新たな世界が始まり、そこにゲブとヌトの子として生まれたのが、オシリス、イシス、セト、ネフティスの4柱である。
 
 植物の神オシリスは豊穣の女神イシスと、戦いの神セトは葬祭の女神ネフティスと夫婦になった。
 オシリスはイシスとの間に天空神ホルスをもうけ、一方的にオシリスに焦がれたネフティスとの間には図らずも冥界神アヌビスをもうけた。セトに不義を知られることを恐れたネフティスは、我が子アヌビスを葦の茂みに隠すが、その子はイシスの養子として育てられた。
 
 一方、王となったオシリスの人望に嫉妬したセトは、兄を殺して遺体をバラバラにし、ナイル川に投げ棄ててしまう。しかし、イシスが遺体の破片を拾い集め、アヌビスに修復させた。アヌビスはオシリスの遺体の破片を繋ぎ合わせて包帯で巻き、これが木乃伊の起源であると言われる。
 
 これ以後、オシリスは冥界を統べる神となった。
 
 やがて時が過ぎ、成長した天空神ホルスはセトに戦いを挑んだ。
 80年にも及ぶ2柱の戦いは、ホルスの勝利を以て終結することになる。
 
 
 ……と言うのが通説だけど、もちろんこの話にも逸話があったって知ってる?


 




 
 バラバラにされてナイル川に遺棄されたオシリスのパーツを拾い集めたイシスは、ネフティス、アヌビスと共にその修復に挑んだ。
 
「可哀想なオシリス~。セトにこんな目に遭わされてぇ~……すぐにアヌビスが元に戻してくれるからね~」
 
 大泣きしているネフティスを邪魔そうに見ながらも、アヌビスは丁寧にオシリスを繋ぎ合わせていた。隣で見守っているイシスは、ネフティスのことなど完全に無視している。
 
「これで大体整ったかと思うのですが……ただ、あの、イシス様……」
 
 アヌビスが言いにくそうに口ごもった。
 
「どうしました?」
 
 イシスが問いかけると、アヌビスはモゴモゴしている。
 
「気になることがあればお言いなさい。どんなことでも構いません」
「は……」
 
 敬愛する養母にして偉大なる大魔女に諭され、アヌビスは頭(こうべ)を垂れた。
 
「偉大なるイシス様、畏れながら申し上げます。オシリス様のご神体、生前と寸分違わぬお姿に、と自負しておりますが……」
「ええ、オシリスは生前と寸分変わりありませぬ。見事ですよ、アヌビス」
「は……」
 
 イシスの誉め言葉にも、恐縮と言うよりむしろ困ったような表情を浮かべる。
 
「しかしながら1ヶ所だけ……不完全なところがございます」
「不完全なところ?」
「そ、その……玉体のパーツが一つ足りませぬ……」
「けれど、もう周囲にオシリスの遺骸の欠片はありませんでした。足りぬと言うのであれば……わたくしが拾い損ねた、と言うことですね」
「い、いえ、そのような……! これだけのパーツを集めるのはさそがし大変であったこと、誰の目にも明らかです。しかし、大事な箇所が足りませぬ。元のお姿と比べて遜色あること申し訳なく……」
 
 項垂れ、跪くアヌビスの肩にイシスは手を置いた。
 
「拾い切れなかったわたくしの責です。恐らく、魚に食われてしまったのでしょう……こればかりはわたくしにも……」
 
 無念そうに目を閉じ、だが、すぐにアヌビスを見据える。
 
「ところで、どこが足りぬのですか? 何かで補填しなければ……」
 
 またも、アヌビスは口ごもった。
 
「アヌビス? どうしました?」
「は……その……大事な箇所にございまして……」
 
 ボソ声のアヌビスとイシス、ネフティスの間に微妙な空気が流れた。
 
「……はい?」
 
 間の抜けたネフティスの声音に、アヌビスがさらに身体を縮こめる。
 
「……ですから、その……大事な……局所、にございます……」
「──────!!!」
 
 次の瞬間イシスは、叫び声をあげようとしたネフティスの口を押さえて羽交い締めにした。バタつく彼女を押さえ込んだままアヌビスに視線を向ける。

「アヌビス。一度、冥界に赴いた魂は現世に留まることは出来ません。わたくしが何とか魔術で身体を補填し、魂を吹き込んで後、冥界へと送りましょう。オシリスなら、きっと冥界をも見事治めてくれるはず……」
「ははっ……!」
「後はわたくしに任せておきなさい。そなたはネフティスを休ませてやってちょうだい」
「畏まりました、イシス様」
 
 ──……アヌビス……──
 
 部屋を出ようとしたアヌビスは、オシリスの声を聞いた気がした。しかし、その身体はピクリともせずに横たわったままで、気のせいであったと思い直し、その場を後にした。
 
「ふう……」
 
 その時、深く息を吐き出したイシスの背後で、微かに空気が震えた。
 
『イシス……』
 
 そして、その空気に溶け込む声が、耳ではなく脳に直接響く。
 
「オシリス……」
 
 イシスが近づくと、オシリスは繋がったばかりの身体を動かそうとプルプルしている。
 
「まだ完全にくっついてないから、あんまり動かない方がいいわよ」
『ひどいよ、イシス。私はとっくに意識が戻っていたのに、魔術で声を出せないようにしていたのはきみだろう……!』

 さめざめと泣いて──実際には動けないし涙も出ていないのだが──訴えるオシリスを、イシスが呆れたように見下ろした。
 
「あなた、いくら何でも油断し過ぎよ。セトに殺されちゃうなんて。ネフティスを宥めるのにどれだけ苦労したと思ってるの? 勘弁して欲しいわ……って言うか、どうせセトになら殺されてもいいとか考えてたんでしょ」
『う……っ』
 
 坦々と言い放つイシスにオシリスはぐうの音も出ない。
 
『そんな風に言うならきみだって……! そのまま捨て置いてくれればいいものを、私の身体を拾ってた時、ホントは大事なトコロも見つけたのに見ぬふりして魚に食わせちゃったじゃないか……!』
「そうよ。でも結果的にはこの方が良かったでしょ?」
『何でやねん! 大事なトコよ!?』
「だって、あなた……ホントはセトのこと好きだったでしょ?」
『────!!!』
 
 冷ややかに見下ろされ、オシリスはじわりと冷や汗が滲むのを感じた。(実際には発汗機能未だなし)
 
『な、なななななんのこと?』
「わたくしを誰だと思っているの? 大魔女の名を欲しいままにしているわたくしを。始めから知ってたわよ。あなたがセトのお嫁さんになりたがってたこと……ん? 逆ね。ホントはセトをお嫁さんにしたがってたのよね」
『────!!!!!!』
 
 まさに全身滝汗心境のオシリスだったが、転がったまま身動き一つ、反論一つ出来ない。
 
「あなたは国のために力を尽くし、人々に慕われる努力もした。だから、こうなったからにはせめて願いのひとつも叶えてあげようと思ったのよ」
『はいぃ?』
「この先、何年かはセトが国を治めることになるわ。けど、いずれわたくしたちの息子ホルスが地位を奪還すれば、セトはあなたのいる冥界に赴くことになるでしょう? そうしたら、その時はセトの花嫁にでも何でもおなりなさいな」
『え……飛躍し過ぎてない?』
「イヤなの?」
『……イヤじゃないです』
 
 重ねて言うが、イシスに勝てるはずはなかった。
 
「そう言うことよ」
『イシス……』
「セトが受け入れるかどうかは知らないけど……ボソッ」
『ん? 何か言った?』
「いいえ……そろそろ魔術が効いて来るはず……動けるようになって来たんじゃない?」
『あ、ホントだ』
 
 オシリスはゆっくりと起き上がった。
 
「では冥界に送るわよ」
『ちょっと待って! イシス、最後に一つだけ。話を蒸し返すようで悪いけど、そこまでしてくれるのに、何で私の大事なトコは見捨てたの!?』
 
 イシスはじっとオシリスを見つめた。オシリスも見つめ返す。
 
『イシス……?』
 
 質問に答えずにイシスが呪文を唱えると、オシリスの身体が淡く光を放った。
 
「さあ、何故かしら……」
 
 互いの姿が次第に薄れゆく中で、オシリスはイシスが浮かべた嘘くさい笑みに戦慄した。ドヤ顔にすら見えるその顔に。
 
『イシス……! きみ、まさか……きみもホントはセトのことが好きだったの!?』
 
 答えはなかった。だが、消える直前、オシリスはイシスの勝ち誇った笑みを見た。
 
 ──イシスゥゥゥゥゥーーー!──
 
 今までオシリスがいた寝台を見つめ、イシスは気高い(と見せかける)笑みを浮かべた。
 
「それはね……あなたのことがホントに好きだったネフティスのため……って言うのも少しはあるわ。今後、妻は娶れないようにね。いずれ冥界に大好きなセトを送ってあげるから、せいぜいお頑張りなさいな。女好きのセトがあなたを受け入れるかはわからないけど(ボソッ」
 
 
 つぶやいたイシスは、鈍感なセトがたそがれて夕焼けこやけになる姿を想像してほくそ笑み、1柱ひとり満足げに甦生の間を後にした。
 
 
 
~ひどいけどおしまい~
 
 
 
 
 

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