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魔都に烟る~part21~

 
 
 
 身動き出来ずに硬直するローズの目を見つめ、レイは口元を僅かに歪めた。

 「……ここまでの話は大丈夫ですか?」

 「……ええ……」

 ローズにはそう答えるしか術がない。

 微かに頷き、レイは口を開いた。

 「母は蔑みと、そして畏怖の目に晒されながら、それでもその絶対的な力、故に、秘蔵の巫女として育てられました。生涯を、そこに捧げるべく」

 自分よりも閉ざされた世界で、自分よりも抗えない境遇に身を置かされていた女の話に、ローズは不思議な感覚を抱いていた。同情でもなく、かと言って、尊敬でも怖れでもなく、しかし、己と重ねるには過酷な。

 「……母が18歳になる前のことです。ある依頼により、彼女はある場所……都市を訪れていた。そこで、針の穴ほどの偶然と言う名の必然の元……父と出会いました」

 「……ある都市?」

 ローズの質問にレイは頷いた。

 「東洋の魔都、と呼ばれている場所です」

 「……東洋の……魔都……」

 「そうです。その場所だからこそ、なおさら二人はお互いの特異な共通点に引き寄せられた。そして、さらに事態は動きました。その上で、父は母の持つ本当の力を知り、協力を……いえ……助け、を求めてしまった」

 レイのその言い方に、当時のゴドー伯爵がどれほど切羽詰まっていたのかが窺える。

 「柵(しがらみ)を、禁を、そして理(ことわり)も全て押し遣り、母は父に力を貸した。己の持てる全てを差し出して。引き換えに父は……」

 一瞬、レイは間を置いた。

 「生涯、二度と妻は持たない、と誓いを立てた、と」

 「……生涯……」

 「……確かに、引き換え、と言うには小さな代償に聞こえるでしょうが、それなりの貴族であり、当時20代前半だった父にとっては大きな問題だったでしょう。晩餐の際の女主(おんなあるじ)であり、招待された際に同伴する妻がいない、と言うことは」

 それはローズにも良くわかることだった。

 ローズの父である、前アシュリー子爵も、彼女の母と引き裂かれた後、独身を貫いていた。しかし、その上で何より厄介だった問題は、周りからの再婚を勧める声であったから。

 それでも彼は頑なに拒み続け、正餐の折には良き理解者であった友人女性を伴っていた。そして、決してローズを社交界の目に晒すようなこともしなかった。

 今になって思えば、父が自分を世間から隠すようにして育てていた理由が良くわかる。

 「……そして、明らかな目的の元、私はふたりの間に生を受けました」

 あっさりとした口調のワリに、その言葉の意味は重いものであった。

 「周囲は大混乱に陥りましたが、父が強気に出たようです。認めないなら、母を自国へ連れて行く、と。渋々ながらも周囲は私の存在を受け入れざるを得なかった。この国を公然と敵に回すわけには行かなかったからです」

 「レイはお父様の元で育ったの?」

 「11歳までは母の元で育ちました。ありとあらゆる力と術を、自在に使えるようになるべく。その間、父はふたつの国を行ったり来たりし、母や私から目を離すことはありませんでした」

 では、母と別れた後は?ローズの胸に疑問が過る。

 「母と別れたのは冬でした」

 まるでローズの心を読んだかのように、レイは話を続けた。

 「一年中、湖面が凍ったまま、決して溶けることのない不思議な湖があり、その畔に母は父と私を連れて行きました。別れの時が来たのだと、子どもだった私にも理解出来ました」

 子どもにとって、その心中は如何ばかりのものだったのか。ローズのように、記憶にないほど幼い頃に引き離される以上に切ないのではないか。それとも、その記憶に留められるだけマシであるのか。

 「向き合った母は私を見つめてこう言いました。『全てを託すこと……すまない』と」

 「……託すことをすまない……?」

 何故、レイを手離すことではなく、『託すこと』を謝るのかローズには不思議だった。一体、レイが託された全て、とは何なのか。

 「そして真っ直ぐに父と見つめ合い、ふたりは小さく頷き合った。次いで父は母を抱きしめ、最後の口づけをしました。その時、父の背中と手が震えていたのは覚えています」

 『目的』のための繋がりであっても、ふたりの間には情愛が生まれていたのであろうか。せめて、そうであって欲しい……ローズはそう願った。

 「父が母の身体を離すと、母は私の顔を覗き込んで抱きしめ、もう一度『すまない』と言ってから、後退るように湖の方へと近づいて行きました。その目は、何の感情も宿っていないかのように、まるで湖面のように静かで」

 レイは虚空に目線を向ける。

 「凍った湖面に差し掛かった母は私たちに背を向け、湖の中心に向かい、その上を歩いて行きました」

 ローズの握った手に、思わず力がこもった。

 「母の姿が見えなくなってしばらく経つと、突然、湖面から光の柱が立ち上がり、そこから離脱したような光の欠片がひとつ、私たちの方に飛んで来たのです。その光は私の前まで来ると一旦止まり、スーっと溶け込むように私の中へと消えました」

 「それは……」

 「それが、母から引き継いだ力、です」

 「……じゃあ……じゃあ、レイのお母様は自ら命を絶ったの……?」

 ローズの言葉に、レイは目を伏せた。

 「……端的に言ってしまえばそうなるのでしょうね。しかし彼の国の、その組織の思想では少し違う言い回しになります」

 「……え?」

 「命を還した、のです。力の継承により、自然へと」

 「結局、犠牲になって死んだってことじゃない!」

 ローズは叫んだ。息が荒くなっている。

 レイはローズが落ち着くのを待つかのように、ただ、無言で彼女の目を見つめた。

 「……ごめんなさい」

 「……きみの言う通りです」

 レイは静かに言い、ローズに水を注いだグラスを渡した。

 「しかし、力の継承に方法はふたつしかない。人としての良識を捨てるか、人としての生を捨てるか……母は自らの生をかけました」

 「人としての……良識……?」

 「……母の命から引き継ぐか……」

 そこまで言って、レイはかつてないほどに言いよどむ気配を見せる。ローズはただ待った。

 「母と交わるか……です」

 目を見開き、息を飲んだローズはそのまま硬直した。グラスを持つ手だけが震える。

 文字通り、究極の選択を前に、実の息子の前で己の命を絶った女性の存在に畏怖の念を抱いて。
 
 
 
 
 
 
 
 

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