片桐課長のあれやこれやそれや〔結編〕
━翌朝。
里伽子が目を覚ますまで抱いていたい煩悩に打ち勝ったおれは、リビングで新聞を読みながらパソコンで現状確認をしていた。
いや、仕事のために煩悩に打ち勝った訳ではない。
ただ単に、あの状態からなだれ込んでしまったことへの、罪悪感にも似た小っ恥ずかしさに耐えられず逃げ出しただけ。里伽子が目を覚ました時、どんな目で見られるかを考えるのが怖くて……。
そうでなければ、本当なら、彼女が目を覚ましたところから、再びの戦闘態勢に……いや、まあ、それは置いといて。
(……コーヒーでも淹れるか……)
そう思った瞬間、カチャリと寝室の扉が開く音がし、おれはそのまま硬直して身構えた。
「……おはようございます……」
「……おはよう」
寝ぼけまなこの里伽子の挨拶に、至って平然を装いながら答える。
「……シャワー……お借りします……」
「……ああ」
里伽子と目が合わないように、新聞から目を放さないで短く答える。
里伽子が洗面室に消えると、おれは止まっていた息を吐き出して呼吸再開。こんなにビクビクしてるのも却って挙動不審なのだろうが。
少し放心した後、おれはキッチンでコーヒーをセットした。そのまま落ちる様子を眺める。
砂時計のように、少しずつ落ちるコーヒー。おれたちのこれからはどんな風になって行くのか。
こんな風にいつまでも暮らして行きたい。里伽子と一緒に。
……などと考えながら、落としたコーヒーをカップに移し、そのままキッチンで口をつける。
━と、その時。
「キャアアアアアアアアア!!」
「グ……フォッ!!」
つんざくような里伽子の悲鳴に、おれはコーヒーを流しに吹き出して派手にむせた。
ただならぬ里伽子の様子に、必死で咳き込みを抑えようとする。
「……!……里伽子……!」
ようやく胸の痛みが治まったおれは、まだ少しむせながらもバスルームへ走った。
「どうした!?」
勢いよく洗面室の扉を開け放つ。
……と、おれは目を剥いて固まった。
おれの目の前には、風呂上がりの上気した身体にバスタオルを適当に巻いただけの、しどけない里伽子の姿。
そして、里伽子が見ている鏡には、目を見開いて里伽子を凝視するマヌケ面のおれが映り込み、鏡の中の彼女は、おれのその姿に目を丸くしている。
おれは思わずゴクリと息を飲み込んだ。
こ、これは……何があったのかはわからないものの、何かまずい所に、まずいタイミングで飛び込んでしまった、と言うことだけはわかる。
訳もわからずおれが攻撃に身構えていると……いや、正確には身動きひとつ取れなかったんだが、里伽子が眉毛を吊り上げてすごい勢いで振り返った。
「どうしてくれるんですか!」
「……え……?……何が……」
おれがやっとのことで答えると、里伽子はさらに目を吊り上げた。
「泳ぎに行くつもりだったのに!これじゃあ、行けません!!」
「……え……って?」
おれのアホ丸出しの返事に、里伽子は頬を膨らませる。
「こんな……こんな……水着、着れないじゃないですか!」
よくよく里伽子の肌を見てみると。
「!!!!!!!!!」
おれは背中を冷や汗が伝うのを感じた。
そう、里伽子が言っているのは━。
里伽子の肌には、至るところに虫刺されのような赤い斑点。かなりの数だ。
間違いなく、昨夜、張り切り過ぎたおれが付けた『印』……無数のマーキングの跡、だった。
おれは再び息を飲んだ。
(ヤバい)
里伽子の目がこれでもか、と吊り上がっている。身構えるおれ。
しばらくおれの顔を睨んでいた里伽子は、
「もう、いいです!あっち行ってください!」
そう言って、プイッと鏡の方に向き直ってしまった。
だが、そのせいで露になった背中や太ももがモロに目に入る。そして鏡の中には里伽子の白い胸元がハッキリと映り、両方が同時に見えてしまうと言う、まさに天国。いや、そんなことを考えてる場合じゃないのだが。
固まったまま里伽子を凝視しているおれが、いつまでも鏡の中から消えないことに驚いた里伽子は、イラッとした様子で、
「ちょっと、早く出て行ってくださ……」
言いながら、再び、里伽子が振り返ろうとした瞬間━。
おれは、恐らく学生時代のマックスタイムより早い動きで里伽子に突進した。
そのままの勢いで、驚いて声を上げる間もなかった里伽子を抱えてベッドへ連行。
その後、散々、やらかしてなかせまくり……結局、また、シャワーを浴びるハメになった。
*
週明け、月曜日の朝。
「ふわぁぁぁ~~~」
第一段の仕事を一段落させたおれは、半分、アクビを洩らしながら身体を伸ばした。
「月曜日の朝からお疲れのようですね。寝不足ですか?」
例によって、朽木が探るように訊いて来る。
「……何、言ってんだ。また月曜日が来て、一週間が始まっちまったな、ってもんだろうが」
おれも適当に誤魔化す。
朽木は何か含みのある横目でおれを見ていたが、おれが知らん顔をしていると、その内パソコンに目を戻した。━が。
「そう言えば……」
少し経ってから、いきなり朽木が誰にともなく呟く。
「あ?」
おれが目だけで朽木の方を窺うと、それに気づいたのか、自分はパソコンから全く視線を動かさない……のに!
「さっき挨拶しましたけど、やっぱり寝不足でお疲れのようでしたねぇ……アジア部の今井先輩も」
「ーーーーーーーーー!!!!!」
くっそ!くっそ!くっそ!くっそ!くっそーーーっ!!
やっぱり、こいつ、ほんっとに、かわいくねぇっ!!
『片桐課長のあれやこれやそれや・結編』~おしまい~
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