新規合成_2020-03-01_18-03-32

呼び合うもの〔拾弐〕~かりやど番外編~

 
 
 
 帰りは優一(ゆういち)が運転する側に回った。
 助手席の和沙(かずさ)は、ぼんやりと窓の外を眺めている。
 
 ハンドルを握り、優一は今日という日の始めから終わりまでを思い返していた。
 
 正面から受ける車のライト、通り過ぎて行く街灯、それらが光の川のように背後に流れて行く。
 目に映るその様は、まるで脳裏を過って行く今日一日の出来事と同じようではないか──そんな風にも思える。
 
「……ごめん……」
 不意に和沙がつぶやいた。
 謝罪の意味を掴みかね、優一が横目で窺う。
「……何を謝られてるのかわからないんだが……」
「……もっと早くあの場所がわかってれば……生きてるうちに会えたのに、って……思ってたんだけど……」
 タメを押し出すかのように、和沙は重い口を開いた。
 
 聞けば、美鳥(みどり)が息を引き取ったのは、ちょうど優一と和沙が結婚式を挙げたのと同じ頃だったと言う。つい最近、四十九日の法要を終えて納骨したのだ、と。
 優一がその話を聞いたのは、ほんの数時間前のことだった。
 
 それよりも、和沙の言い回しは優一にあることを思い出させた。春先から初夏にかけ、彼女が落ち着かない様子を見せていたことを。
 
「もしかして……春先に言ってた『内輪のこと』って、このことだったのか……?」
 和沙が珍しくしょんぼりと頷く。
「何度、連絡しても、朗(ろう)は居場所を教えてくれなくて……伯父たちもやめておけ、って言うばっかりだったし……」
 彼らの対応は、和沙には理解しがたいようだったが、優一には当然と思えるところが大きかった。もちろん、和沙の気持ちもわからなくはなかったが、彼女と自分では考える立ち位置が違い過ぎる。
 
「……生きてるうちに会いに行っても、たぶん美鳥は会ってくれなかったよ」
「……どうして……?」
「……美鳥は知っていたはずだ。おれのことも全て。なのに、自分からは何も言って来なかった。それは、つまり、そういうことだ」
「……よくわからない……」
 和沙がうつむく。
 
「……けど、とにかく今日はありがとう。彼に会えて良かった。本当に。……想像してた感じとはだいぶ違ったけど」
「……違った? 何が? 朗が、ってこと……?」
「ああ。芯は強くても、もっと静かで穏やかなイメージ……何て言うか、秘めやかな印象を抱いてたんだが……」
 和沙が首を傾げた。
「……正直、あんなに気性の激しい男とは思ってなかった。……もっとも、聞いた話の印象から、おれが勝手に想像していただけなんだが……」
 
 今度は納得したように和沙が頷いた。
「それは、確かにその通りだよ。私が知ってる朗は、昔から穏やかで落ち着いてて……列(れつ)がヤンチャだったからなおさら差が際立ってたんだと思うけど、年長でまとめ役の陸(りく)にいさんとは違う意味でいっつも歯止め役だったし。余程のことがなければ、激昂することも、不機嫌になることもなかった。だから、朗のあんな顔、初めて見たし、あんな面があったなんて思いもしなかった」
 
 元々、その要素はあったのだろう、とも優一は思った。抑えていたか、出す必要がなかったか、そのどちらかだろう、と。
 
「朗を変えたのは……ううん。朗のああいう面を引き出したのは、昇吾(しょうご)くんと美鳥ちゃんの存在なのかも知れない」
「そうだな……」
 そこは優一も無条件に賛同せざるを得ない。大切な二人のために彼は変わった、変わるしかなかったのだ、と。
  
「どうしたの?」
 急に黙り込んだ優一に、和沙が心配そうに訊ねる。
 
「いや、不思議だと思って。何の関りもなく生きていくはずだったおれが、先生を通して自分が松宮(まつみや)の直系だと知り、引き寄せられたようにきみと出会い……きみという存在から彼や昇吾、そして美鳥にまで辿り着いた。朗くんと美鳥、美鳥と昇吾、昇吾と朗くん……巡り巡って。まるで何かに呼ばれたみたいな気がする」
 
「……そうかも知れないね。私の中に流れる、ほんの少しの朗と同じ血が、私のことまで呼んだのかも知れない」
 口元に小さな笑みを浮かべて賛同し、和沙は窓の外に視線を戻した。ライトが光の帯となって流れて行く様を眺める。
 
 その時、ふと、窓ガラスに優一の横顔が映っていることに気づいた和沙は、指でその輪郭に触れた。別の意味で、今日、初めて優一の素顔を見た気がしたのだ。
 
(……松宮は敷島に名前を変えても、もっと他の名前になったとしても、きっと続いて行く……この人の後も……)
 
 それは直感だった。
 だが、直感でしかなかったはずのそれは、やがて現実となって二人の元を訪れる。
 
 この後、彼らの間に産まれることになる、新しい命として。

 
 












~エピローグ~

 
 緑に囲まれたその場所に立ち、優一は『翠』の文字をじっと見つめていた。
 
(ここに初めて来たのは……あれは結婚してすぐだった……)
 
 腕に抱かれた2歳ほどの子どもが、黙り込む優一を不思議そうに見上げる。
 
「とーたーん?」
 
 呼ばれて目を向ければ、そこにはどこまでも深く濃いグリーンをたたえた瞳が、自分を見つめている。
 
「……緑朗(ろくろう)……ここには、おまえの叔母さんが眠ってるんだよ」
「おばしゃーん?」
「そうだ。おまえは産まれた時から叔母さんにそっくりだったんだ……目の色までな……」
 緑朗と呼ばれた小さな男の子は、父の言葉に大きな目をキョトンとさせた。
 顔立ちが似てはいても、さすがに目の色まで同じとは予想していなかった。緑朗が初めて目を開けた時、和沙と共に驚いたのも当然のことと言える。朗ですら、驚きを隠すことは出来なかったのだから。
 
 色素の薄い髪がなびくのを見ながら、遠い日の妹を思い出す。
「おまえの大好きな朗おじさんが、誰よりも大好きだった人だ」
「ろうおいたん、しゅきー」
 満面の笑みを浮かべる息子に、優一は目を細めた。
 
「優一さん」
 不意に呼ばれて振り返ると、4歳ほどの男の子の手を引いた和沙が歩いて来る。気づいた緑朗がパッと顔を輝かせた。
「かーしゃーん!」
「こら、緑朗! ちょっと待て! あんまりあばれるな!」
 母に向かって手を伸ばし、目一杯乗り出そうとする小さな息子を落とさないよう、優一は慌てて抱え直した。
「おとうさーん」
 優一の方には、和沙に手を引かれていた男の子が駆け寄って来る。

「昇一郎(しょういちろう)の定期健診、終わったわ。今回も異常なし」
「おつかれ。ありがとう」
「おとうさん。ぼく、ちゅうしゃしてもなかなかったよ!」
「そうか。偉かったな」
 答えながら、ジタバタして身を乗り出す緑朗を和沙に渡し、褒められて嬉しそうに脚にくっついた上の息子──昇一郎と呼ばれた──の頭をなでた。
 
「春さんが、朗が帰って来たからそろそろお茶にしましょう、って」
「そうか、わかった」
「ろうおいたん! ろうおいたんとこいくー! いくのー!」
 二人の声をかき消すように緑朗がはしゃぐ。
「はいはい、もう、すぐ会えるから、ちょっと待って! ……んもう! ……ほんっとに緑朗、朗のこと大好きよね!」
 半ば呆れる和沙だったが、あばれる緑朗を抱え、さも可笑しそうにつぶやいた。つられた優一からも笑いがこぼれる。
 
(……この子たちも、何かに呼ばれ、誰かと呼び合っているのかも知れないな……いや、だからこそ、おれたちのところに来てくれたと言えるのか……?)
 
 副島(そえじま)から聞いた、祖母・冴子(さえこ)の言葉が脳裏を過る。
 いつも昇吾と美鳥の背後に、優一の姿を探すような目をしていた、という祖母の。
 
『つながるものは、またつながる』
 
 それは本当かも知れない、と優一は思った。
 巡りめぐって、自分たちの今は、ここに在るのだろう、と。
 
「春さんとお義母さんが、張り切って美味しいお菓子をいっぱい作ってくれたのよ。ね、昇一郎」
「うん! おばあちゃんたちつくってくれた!」
「そうか。よし、じゃあ、ごちそうになりに行こうか」
 言いながら昇一郎を見下ろすと、今の元気な返事はどこへやら、和沙に抱かれた緑朗を何となくうらやましげな目で見ている。
(抱っこか……)
 昇一郎の求めに気づいた優一が目を細める。
「よーし、昇一郎。おまえは父さんが抱っこだ」
 勢いよく抱き上げると、濃い茶色の瞳を輝かせながら歓声を上げ、嬉しそうに父の首にしがみついた。
 
 歩き出そうとした優一は、ふと忘れ物に気づいたように足を止め、振り返った。それに気づいた和沙もまた、立ち止まって振り返る。
 
「……また来る……」
 墓石に向かってつぶやき、優一が目礼した。微かな笑みを浮かべ、和沙も追随する。
 
 それぞれに抱かれた子どもたちは、そんな両親の姿を不思議なもののように見つめた。にも関わらず、両親が礼を払っているものが侵さるべき領域であると、幼いながらに知っているかのようでもあった。
 何故かと言えば、両親が目礼する間、二人は一切声を発したりはせず、じっとおとなしくしていたのである。
 
「よーし、じゃあ、おばあちゃんたちのとこに行くか」
 
 遠ざかって行く四人を、静かに佇む墓石と、薫る風に揺れる新緑だけが見送っていた。
 
 
 

 
うつしみは一重の夢とかりの宿
いのりを櫂に笹舟とゆく
      (詠人・吉田 翠さま
 
 
現身や真魂留むる仮の宿
葉舟流るは儚き現世

 


 
 
 
 
 
〜おわり(後書きにつづく)〜
 
 
 
 
 
 
 
 

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