里伽子さんの大して長くもない日〔後編〕
(課長の)お母様と対峙したまま、私の脳内はフル回転だった。(珍しく)
……心の中で『課長の』と付けてはいても、まだ籍も入れてないのに、いきなり初対面で『お母様』はまずかっただろうか……。
これは噂に聞く、『まだ、あなたに“お母様”などと呼ばれる筋合いはありません!』的な……アレですか?
……そーゆう展開なんだとしたら……困った……。だって、じゃあ、一体何て呼べばいいんだろう。
縄張り争いで一触即発の猫のように見合いながら脳内はフル回転。しかし対策は浮かばない。無意識の内に、次の攻撃に身構えている自分に気づく。──と、その時。
「………………もう一度、言ってちょうだい………………」
(……はい……?)
こここここれは、『ちょっと、あんた、もう一度言ってみなさいよ!』的な……アレですか?
ど、どうしよう……。詰まった。将棋で言うところのチェックメイト!的な……って、それはチェスだった。
「……あの……」
固まっている私の目の前で、突然、(課長の)お母様が動いた。叱られる直前の子どもみたいに身体が強張る。
……が。
「お母様!」
……と、何故か(課長の)お母様が叫ぶように言いながら、身体の向きをキュッと直角に変え、胸の前で手を組んだ。……ハッキリ言って、謎の動きだ。
(……これ、何の動きなの……?)
「……お母様……!」
もう一度、今度は微妙に唱えるように声に出し、手を胸の前で組んだまま身体を捩じる。……またもや謎の動き……。
「……素晴らしい……」
今度は顔を上に向け、
「……何て素敵な響きなの……!」
鳥が翼を広げるように両手を広げ、目線も遥か彼方の空(と思われる)を見据えた。
(……だから……この一連の謎の動きは何なんですか……?)
何て言うか、いちいちポージングしてると言うのか、宝塚っぽい印象と言えばいいのか。
「お袋、メシ!お袋、風呂!お袋、お袋……!毎回、三回ずつ言われるセリフに、“お袋”“お袋”“お袋”……!ああ、鬱陶しい……!……かと思えば、今は連絡しても返信もない!」
そこまで一気に言い切ると、呆気に取られている私をクルッ!と振り返った。ギクッギクッ。
「里伽子ちゃん!」
滑るように近づいて来たかと思うと、ガシッ!と私の手を握る。目が迫って来てちょっと怖い……。
「……もう、里伽子ちゃんでいいわよね?」
「………………はい………………」
……ここで否定出来るワケがない……。
「もう一度、呼んでちょうだい」
……(課長の)“お母様”って、呼べってコトなの?(心の中、滝汗)
「……あの………………お、おかあ……さま……?」
恐る恐るなので、語尾、微妙な疑問形。
「……嬉しい!これからはずっと、そう呼んでもらえるのね!」
「……はあ……」
……ホントに目が潤んでるんですけど。怖いのでちょっと及び腰。
と思ったら、
「ごめんなさい。嬉しくてつい興奮してしまったわ。さて、じゃあ、お食事にしましょう」
……って、切り替え、はやっ!
外見もタイプもまっっったく違うんだけど、(課長の)お母様の様子は、私が良く知ってる誰かを思い出させる。
…………そうだ、この感じ……うちのお母さんにノリが似てない?(失礼ながら、何か絶望的な気分にさも似たり……)
そうは言っても、お母様のお料理は美味しかった。むしろ教わりたいくらい。『雑食だから何でも食べる』と言いながら、意外と課長の味覚が鋭い理由がわかった気がする。
「ところで、兄貴たちは?」
課長が今さらのように訊ねた。お父様の顔が少し曇る。
「……それがな……今日、来る予定だったんだが、ふたりとも仕事で帰れなくなったらしくてな。親族の顔合わせの時は必ず行くから、早めに日程を教えて欲しいと言っとったよ。……すまないね、里伽子さん」
「……いえ」
「本当に仕事かよ」
薄笑いで課長が呟くと、
「どうせふたりとも、よりにもよって、あなたに先を越されたのが悔しいのよ」
お母様が楽しげに笑った。途端に課長の顔が不貞腐れる。
「……よりにもよって、ってどう言う意味だよ」
「私だって、まさかあなたが一番最初に結婚してくれるなんて思いもしなかったわよ。下手したら全滅かとも思ってたくらい」
ぶつくさ言ってる課長に、笑顔のお母様がトドメの一撃を放った。課長の顔が能面になる。私は吹き出すのを堪える。お父様は遠慮なしに大笑いする。
ちょっとリアクションはアレだけど、直球でサッパリしてて、変に遠回しじゃない分、私には楽なタイプのお母様かも知れない。……まだ油断は出来ない、「かも」の状態だけど。
歳の近い男の子三人を育てるのって、きっと大変だ。こんな風に成らざるを得なかったのかも知れない。(限りなく、元々の性格のような気もするけど)
その後、食事を終えて後片付けを手伝っている時である。
「里伽子ちゃん」
……不意に来たっ!心の中で身構える。
「ものすごく面倒くさい子なんだけど、廉のことよろしくね」
……どう返せばいいのだろうか?何て答えても、『面倒くさい子』のところを上手くスルー出来る気がしない。
「……昔からね……廉が一番扱いが難しかった」
黙ったままの私を、悪戯っぽくチラリと見てから、お母様はコロコロと笑った。
「なまじ人受けは悪くないのよね。だから却ってややこしくなる。付き合いが深くなると、難しい性格なのが丸わかりになるから」
やっぱりお母様だ。課長の性格をちゃんとわかっている。
「悪い子じゃないんだけど、男からよりも女の子から見たら面倒くさいタイプよ、あの子は。一見、フェミニストに見えて、実はそうでもない。子どもっぽくてすぐ不貞腐れる。好意を持ってる相手には、それを隠そうともしない」
(うわわわわわわ!情け容赦ない!)
笑うに笑えず、かと言って肯定も否定もしづらい。笑いを堪えて引き攣った顔をしていると、お母様はニヤニヤしている。
「あの子に付いてくれる女の子がいて、本当に嬉しいのよ。それに念願の娘!世話かけると思うけど、どうかよろしくね」
「……いえ、そんな……私の方こそ、よろしくお願いします」
まだ油断は出来ない。出来ないけど……私、たぶんお母様のこと好きかも知れない。
*
そんなこんなで、結納と言うか、親族の顔合わせの日程が決まった。
ちなみに、この日、私が着ていたワンピースを、課長が妙に気に入っていたらしいこと、後になって知ったんだけど、だったら最初から紛らわしいこと言わないでよね。うん。
~里伽子さんの大して長くもない日・終~
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