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うかれてポンチる☆悠凜's『雨さん“あどりは”イメージストーリー』
元ネタの曲はこちら
→ ~あどりは~
***
初めて知る、この気持ちに。
最後であろう、この想いに。
忘れようもない、この記憶に。
恋なんて、その時限りのものだと思っていたのに。
一瞬の煌めき。一時のときめき。
その時に楽しめればいいものだと。
━なのに。
こんな想いをするなんて想像もしていなかった。
私にこの物思いを教えたあの人は、遠くの地でひとり逝ってしまった。
……私たちを置いて。
*
彼と出会ったのは冬。
私は彼付の世話係として紹介された。手っ取り早く言えば専任のメイドのようなもの。
冬でも暖かいこの地に、彼は療養でやって来たらしい。多少の看護知識を持ち合わせていたせいであろうか。私に担当が回って来た。
「ジェームスです。ジェイと呼んでください」
優しい笑顔でそう言った彼は、やわらかいブラウンの髪、何より、この街の海を映したようなブルーアイズ。だけど、その白い肌が、身体の弱さを表しているようだった。
歳が近いせいもあったのか、打ち解けてくれたようで、私たちは友だち同士のように色々なことを話した。その流れで、彼にどこが悪いのか訊いてみると、困ったように笑い、伏せ目がちに言う。
「どこがどう、って訳じゃないんだけどね……どうも弱くて困ってしまう。いい歳してこんな……親に心配ばかりかけて何も出来ないし」
詳しいことは知らされていないけれど、チラッと聞いた話では、彼は大企業の御曹子らしい。そうでもなければ、長期でこんな滞在は無理だろう。
「いつか返せますよ。何より、あなたが元気でいることが、ご両親にとっては一番の喜びでしょう」
私の言葉に嬉しげな笑顔を向け、
「ありがとう。きみは優しいね」
そんな風に言うのだ。当たり前過ぎることしか言えない私に。
身体が弱ければ心も弱い、なんて嘘だ。彼は懸命に闘っていた。病と孤独、そして不安と。強くなろうと必死に。
疲れのせいだったのか、最初こそ崩しがちだった彼の体調は、日に日に安定して行くようだった。
私は彼の具合が良さそうな朝方や夕方、海辺への散歩に連れ出した。潮風と、強すぎない陽の光は身体を強くするはずだから。
フルーツジュースやジェラートを手に浜辺を歩き、太陽の光がキラキラと反射する海を眺め、それだけのことに彼は嬉しそうに目を輝かせる。
「あなたの瞳は、この海の色と同じね。まるで宝石みたい」
私の言葉にビックリしたような顔をし、すぐにいつもの笑顔に戻ると、
「宝石と言うなら、きみの瞳の方こそ。吸い込まれそうに黒く輝いて……まるで黒曜石のように」
そう言って、私の目をじっと覗き込む。どこまでも広がる海を映した深く青い瞳に、真剣な面持ちで見つめられ、私は思わず目を逸らした。
毎日、彼の元へ通う私に、この街の生き字引と言われている近所のおじさんが溜め息混じりに言う。
「やれやれ、またかね。……いずれいなくなる男に入れあげるのは止めておおき。つらい思いをするのはお前の方なんだよ」
「ご心配なく。彼とはそんな関係にはならないわよ」
そう。そんなことになるはずがない。彼は療養に来ていて、私はその世話係なんだから。
━そう思っていた。あの夜までは。
それは珍しく嵐が近づいていた夜。低気圧の時は体調を崩しやすいから注意してくれと、事前に紹介所から聞いていた私は、夜通し隣の部屋に詰めていた。
雨と風の音に全てが遮断されたような世界。閉ざされた空間の中で本を読んでいる時だった。
気のせいなのか。何か、物音がしたような気がした私は、念のために隣の様子を見に行った。軽くノックをして呼びかける。
「……ジェイ?」
返事はないが、何か気配を感じる。何となく、嫌な感じ。
「ジェイ、入るわよ」
扉を開けると、ベッドにジェイの姿はなかった。続き間の開いた窓から吹き込む雨と風の音。カーテンが飛ばされそうにはためいているのがわかる。
「ジェイ!」
慌てて探し回ると、彼は開け放したベランダの手すりに縋るように座り込んでいた。
「ジェイ!どうしてこんな……早く中に……!」
必死で彼の身体を室内に引っ張り込む。どれくらい雨に晒されていたのか、ずぶ濡れだった。すぐにバスにお湯を張り、温まらせる。
額に触れると少し熱っぽいようだった。あんな風に雨に当たっていたら当然だろう。薬を飲ませ、ベッドに寝かせると、消え入りそうな声で言う。
「……ごめん……」
「……訳は明日でいいですから。とにかく今夜はゆっくり眠って。また少ししたら様子を見に来ますからね」
そう言って灯りを落とし、立ち去ろうとする私の腕を、彼の熱を帯びた手が掴む。
「……ここにいて……傍にいて……」
熱のせいで心細くなっているのだろうか。そう思った私は、枕元の椅子に腰かけた。
「大丈夫。ずっとここにいますよ。安心して眠って……」
そこまで言った瞬間、私の身体は思いもよらない強い力で引き寄せられ、引き込まれていた。
驚きで声も出ない私の顔を、彼が熱っぽい目で見下ろす。その熱っぽさは発熱のせいなのか。……それとも……それとも?
「……ずっと、ぼくの傍にいて……」
その言葉が意味する本当のところを、私の理性が必死に否定しようとする。
「……いますよ。ずっと傍に。だから、今はちゃんと休まないと……」
「……違う!そうじゃない!……ぼくが言っているのは……」
絞り出すように叫んだ彼は、押さえ付けたままの私に口づけて来た。唇も熱を帯びて熱い。常人なら大したことない微熱でも、彼にとってはこれ以上、熱が上がるのは危険だ。
「……ジェイ……!ダメよ!これ以上、熱が上がったらあなたには危険なのよ!話は熱が下がったらちゃんと聞くから……」
「……待てない!……今しかないかも知れない……!」
私の思考が一瞬、止まる。
「……どう言う意味?」
その質問に対する答えは、熱を感じる熱い息。思いがけず、力強い腕。抗おうとして抗い切れず、私は彼の熱い身体に飲み込まれた。
意識が途切れる瞬間、微かに聞こえたのは━。
『きみがずっと傍にいてくれたら、頑張れそうな気がする』
*
案の定、ジェイの熱は上がり、3日間寝込む羽目に陥った。お陰で私は自宅に帰れず、ずっと泊まりがけで詰めることになる。
「……ごめん……」
叱られた子犬のように謝りながらも、どこか穏やかな表情。熱で上気しているものの、青白いその顔を見ていると、彼のどこにあんな力があったのだろうかと不思議にさえ思う。
熱が下がり、少しずつ落ち着いて来ると、今度はまた油断出来なくなる。少し調子が良いと、すぐに彼は私を求めて来るのだ。彼の体調を見極めながら嗜めてかわしたり受け止めたり、時には添い寝だけしてやりガマンさせる。
拗ねたように、それでも私を抱きしめて離そうとしない腕に、満足気に眠る寝顔に、やはり彼は男なのだと認識させられる。
その寝顔を眺めながら、私は初めての気持ちに苛まれていた。男の人に抱かれて、切ない気持ちになったことは今までない。こんなに胸が締め付けられるような。
今、思えば、もしかしたら、私たちの未来を暗示していたのかも知れない。
━そして、それは突然訪れた。
*
あまり体調が優れないある朝。理由はわかっていたから、そのままいつものようにジェイの部屋を訪れた。すると、心なしか真剣な面持ちで俯く彼の姿。心がざわつく。
「ジェイ?何かあったの?」
顔を上げた彼は、じっと私の顔を見つめる。いつも浮かべる笑顔は微塵も見えない。
「……話があるんだ……」
そう言って、彼は私と向き合うように立った。
「両親から、一旦、家に戻るように言われたんだ」
ああ、お別れの時が来たのだ。私の脳裏には、単純にその事実だけが浮かんだ。だけど、私を驚かせたのは、次いでジェイの口から出た言葉だった。
「……一緒に来て欲しい」
何を言われたのかわからず、頭の中が真っ白になる。
「……何を言って……」
「ぼくと一緒に来て欲しいんだ。ずっと傍にいて欲しい」
あまりにも真っ直ぐに言うジェイ。そこにあるであろう、問題や障害など思いもせずに。
「……そんなこと出来る訳が……大体、あなたのご両親がお許しになるはずがないわ」
すると彼は、事もなげに言った。
「両親にはもうきみのことを伝えてある。一緒に戻る、と。きみがいてくれれば、ぼくはまだ頑張れる。そう話したら両親も認めてくれたんだ」
だけど私の頭の中は、彼の言葉のたったひと言に流れを止めた。
「……まだ頑張れるって、どう言う意味なの?……前にも言ってたわね。待てない、って。今しかないかも知れない、って」
ジェイの瞳が翳りを帯びる。
「……手術を受けなければならない。ここにはそのための体力をつけに来たんだ」
「……でも手術を受ければ……」
「成功率は50パーセントもないと言われた」
私の言葉を塗りつぶすように言った彼は、縋るように私を抱きしめた。
「いつまで生きられるかわからないと言われ続けていた。だから手術なんて受けずに、このまま死んでも構わないと思っていたんだ。……でも……」
腕に力がこもる。
「……生きたい……!きみと一緒に……初めてそう思った。きみがいてくれれば頑張れる、だから……」
震えながら縋りついて来るジェイの身体を抱きしめ、それでも私は「一緒に行く」とは言えなかった。
「ジェイ……私は一緒には行けない」
「……ぼくのことが……嫌い……?」
胸が痛くなるような目。
「そうじゃない。そんな訳ない。そう言うことじゃなくて、私はここから離れては生きて行けないの」
悲し気に私を見つめる彼の瞳に、罪悪感にも似た気持ちが湧き上がる。
でも、小さなこの街から出たことのない私には、大都会の喧騒の中に行くことなど考えられなかった。それはきっと、彼には理解出来ない感覚だろう。
「……だから、ここで祈ってる。いつも想ってるわ」
私の意志の強さを理解したのか、彼は小さく呟くように訊いて来た。
「……待っていてくれる?ぼくを」
確かめるように。
「待っているわ。ずっと。私たちはここで」
その言葉に、彼は一瞬だけ目を見開き、泣きそうな顔で私の身体をもう一度強く抱きしめた。
*
ジェイが発ってから2ヶ月ほど過ぎた頃。
アパートに戻ると、大家さんから声をかけられた。大家さんの部屋で、私に会いたいと言う人に待ってもらっていると言う。
そのまま部屋に伺うと、60代くらいだろうか……品のいい男性。大家さんにお礼を言い、すぐに自分の部屋にお通しした。
「はじめまして。私はジェームス様のご両親の代理で参りました弁護士です」
何となく、予感はしていた。
「……はい……」
私の様子に、恐らく、向こうも予想は出来たのだろう。静かにテーブルにトランクを置き、中から封筒と小さな箱を取り出した。
「本来なら、ご自身が伺わなければならないところを本当に申し訳ない、とのことで……ご容赦願いたい、と」
「……いえ、そんな……」
弁護士の男は、封筒を並べながら、重いトーンの声で告げた。
「まず、最初にお伝えしなければならないのですが……ジェームス様は……残念ながら亡くなられました。難しい手術だったようで……」
予想していたとは言え、実際に目の前に突き付けられた事実は強烈だった。気持ちと身体を起こしているのがやっとで、きっとひどい顔をしていたと思う。
「そして、これをあなたにお預かりして参りました。これはご両親様から、そして、これはジェームス様からです」
ジェイのご両親から私に?一体、何だろう?不思議に思って開けてみる。
「………………!」
ひと目見て、感謝の気持ちでいっぱいになった。きっと使うことはないけれど、気持ちだけで充分に嬉しかった。
そして、もうひとつ、それは受け取る訳には行かなかった。そのまま弁護士に返すと、驚いた顔をする。
「ありがとうございます。ですが、戴く訳には行きません。お気持ちだけで充分です、とお伝えください」
「本当にいいのですか?」
「はい。ジェイの……ジェームスからの……こちらだけ、ありがたく戴きます」
私の言葉に決意を読み取ったのか、弁護士は頷き、こう付け加えた。
「ご両親様からは、何か困ったことがあれば、いつでも言って来て欲しい、と伝言を預かっています。何かの折には、こちらの……私の方に連絡を戴ければ」
「ありがとうございます」
きっと、連絡することはないだろう。でも、その気持ちが勇気になる。
弁護士が去った後、ひとりでジェイからの預かり物だと言う小箱と封筒を開けてみた。
中には、黒と青の小さな石がついた指輪。同封の鑑別書らしきものを見ると、驚くことにそれは鑑定書で、その石は小さいながらも歴としたダイヤモンドらしかった。
「これも受け取る訳には行かなかったわ」
どうしたものかと困っていると、指輪の裏には小さな刻印。
━共に生きる━
そう刻まれていた。
こぼれそうな涙を堪えながら、封筒を開けると、便箋に手書きの文字。ひどく震えて歪んだその文字は、それでもジェイの筆跡に間違いなかった。
苦しい中、必死で書いたのであろう、そのひと文字ひと文字を目で追う。感謝の気持ちと、『愛している』の文字、手術前に書いたのか、手術後に書いたのか……『必ずきみたちの元へ戻る』と締められていた。
もう何も見えないくらいの涙に溺れて、私は泣いた。
泣いて泣いて……涸れることのない涙を流し尽くすように。
泣き明かして、ふと外を見ると太陽が夕陽に変わろうとしている。彼がくれた指輪と手紙を手に、私はふらつくように表へと出た。
夕陽の眩しさに、泣きはらして腫れぼったい目を細め、彼と一緒に散歩した浜辺を歩く。
もう彼はいないけれど、彼の形見と一緒に。
━生きたい━
生きなければ。
━愛している━
「……私もよ」
私は夕陽に向かって呟いた。