角砂糖のような
まるで、角砂糖のような恋だった。
そう──角砂糖のような、という表現が相応しい、と思っている。
思い浮かべるのは、甘さ、だからなのだろうか。
そのまま含めば、ただ甘く、水に溶かしても、なお甘い。溶け込むその姿は、揺らめく陽炎のようでしかなくとも、確かに存在していることを何より舌で感じる。
では、コーヒーなら?
ほんの少しの姿さえ見えなくなる。けれど──。
そこに、いる。
水の中と違って、揺らめきほどにも見えない。
けれども、いる、のだ。
苦味の中にさりげなくいて、ぼくに存在を知らしめる。
ぼくの心に、痙攣しそうなくらい甘い揺さぶりをかけて来る。
甘いだけなら、角砂糖でなく普通の砂糖でいい。グラニュー糖でも蜂蜜でも。
いや、蜂蜜の方が相応しい気すらする。
蜂蜜の、甘い、けれど、スパイシーな余韻。喉の表面を、まるでなでるように通り抜けて行く一瞬に、ピリッと感じるあの独特の。
それこそが醍醐味であるかのような、そんな恋もあった。
かと思えば、交互に訪れる甘さと苦さの間(はざま)で、死にたくなるほど悶えながら、眠れぬ夜を越えた恋もあった。
それは、まるで舌に纏わりつき、それでいてすぐに消えてしまう、なめらかにとろけるチョコレートのような恋だった。
それでも、ぼくにとっては、やっぱり『角砂糖』。
今、記憶に残る中で、それがもっとも鮮やかな恋の味、なのだ。
焔の上で、カラメルがフツフツと沸き立つように、生きたまま炙られる責苦。焦げそうになる、ほんの爪先分手前の甘美な苦痛。
苦いのに甘い、甘いのに苦い、その時かぎりの一瞬。
喉の奥も焦げつくほど、身体の奥の熱さが、きみの中の熱と重なる。
互いに触れた表面から、そして内側からも溶けて往くのを感じながら、眩暈がするように甘い刹那。
そんな風に共有したきみとの時間すべてが、コーヒーに溶けた角砂糖のように、見ただけでは存在がわからなくなっていく。
確かに存在した、のに。
ぼくが見ていたのは、触れたらすぐに崩れてしまうのに、固そうに見えるその姿。
ぼくが味わっていたのは、目に見えずとも感じる、その限りない甘やかさ。
そうして、ぼくは今、ブラックだけを含むのに。
今はもう、その中に存在しない甘やかさを、つい探してしまうのは何故だろう。