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魔都に烟る~part7~
柱の影から窺うレイの目に、女がローズの方へと近づく様子が映る。
(……そろそろ止めた方がいいかな?)
レイが静かに一歩踏み出そうとすると、女の声が微かに聞こえて来た。
「……あなた、本当に私を怒らせたいようね」
必死で怒りを抑えているのがわかる声音。しかし、余裕は感じられない。
「私は別にそんなつもりありませんわ?吹っ掛けて来たのはあなたの方でしょう?」
返すローズの方には、揚げ足を取るくらいの余裕は感じられる。
まあ、彼女には別段、普通の女など怖がるものではないはずだ。そして身分や柵すらも、彼女を堰き止める理由にはならないだろう。
だが、ここで周囲にバレるような大喧嘩などされては困る。今後のことを考えれば。
レイは、静かに二人に歩み寄った。
「……彼女が何か失礼でも?」
手に取るように今までの経緯はわかっていたが、そこは突っ込まずに声をかける。
突然のレイの声に、女がハッと振り向き、ローズは無表情な目を向けた。
「……ユージィン様……あの……」
しどろもどろになる女。ローズに対する怒りはあっても、レイにこんな現場を見られたくはなかったのであろう。だからこそ、他の女たちが彼を足止めしていたのだから。
「彼女はまだ帰国したばかりで、こちらに慣れておりません。何か失礼がありましたら、私が代わってお詫び致しますので……どうかご容赦ください」
「……いえ……私は……別に……」
レイのやんわりとした言葉の中に、ローズを庇う含みを感じたせいであろうか。女は不貞腐れたような表情を浮かべ、両手でドレスを握り締めた。その手は震えている。
「……私……失礼します……!」
消え入りそうな声で言うと、逃げるように小走りで去って行った。
その後ろ姿をため息で見送ったレイは、ローズの方へと向き直り、ゆっくりと近づく。
「……大丈夫……ですね?」
「ええ。あなたの、今現在の大まかな状況がわかったわ。……モテ過ぎるのも大変ね」
嫌みを交えたローズの返事に、レイの口元に小さく笑みが浮かぶ。
「私自身が云々ではありませんよ。伯爵家、と言う肩書きに釣られて来るのでしょう」
「それも否定はしないけど……彼女たちのあの様子を見ていたら、それだけではないみたいじゃない?あなたのお眼鏡に適う女性はいないのかしら?」
レイは質問に答えず、ゆっくりとローズの腰を抱き寄せた。
「……ちょっ……!」
押し遣ろうとするローズの耳元に顔を寄せ、「……見られています」レイが小声で囁いた。ローズの動きが止まる。
「……さっきの彼女ですよ。私たちの様子を窺っています。どうやら彼女たち……本当に私たちの関係を疑っているようですね」
可笑しそうに笑う。しかし次の瞬間「だが、それでは困る」と呟き、そのままローズの腰を引き上げて唇を塞いだ。
「……っん……!」
レイが女に見せつけようとしていることは明白である。それがわかるからこそ、嫌であってもローズは振り払うことが出来なかった。
角度を変えながら何度も繰り返され、次第に深めて来る口づけに呼吸を忘れそうになる。目眩を起こしそうになり、レイの腕に支えられていなければ頽(くずお)れそうだった。
━と、走り去って行く足音が微かに聞こえ、それを確かめたかのように、レイはローズを解放した。
「どうやら行ったようですね」
ローズは、レイの腕の中からずり落ちるように足を着けると、大きく息を吸い込みながら彼の顔を睨み上げた。
「……何か?」
平然とした体でレイが問う。
「別にここまですることなかったんじゃないかしら?」
面白くなさそうなローズの言葉に、レイの方は、さも面白いと言わんばかりの口元。
「先ほど、彼女のお仲間たちに足止めをされましてね」
「……さっき、私を睨んでいた集団のこと?」
それが一体、何の関係があるのか、と言わんばかりのローズの口調。
「ええ。手っ取り早く彼女たちにわからせるために……」
レイはそこで一度言葉を切り、ローズの顎を掬い上げた。
「きみは産まれながらの婚約者、と言うだけではなく、その心と身体の魅力で私を捕らえて離さない女……と言うことになっていますので……」
「……なっ……!」
顔を赤くして驚愕したローズを見下ろし、レイはさらに意地の悪そうな笑みを浮かべる。ローズがそのレイに向かって何かを言おうとした、その時━。
「………………」
ふいにローズが辺りを見回した。
「どうしました?」
「……におうわ……」
ローズの言葉に、レイも注意深く辺りを見回す。
「残念ながら、まだ私にはわかりません。……行きましょう」
そう言って、レイはローズを促して出口へと急いだ。
「あらぁ、伯爵!もうお帰りですの!?」
二人が出口に向かっているのを認め、慌てて近づいて来るクラーク子爵夫妻。
「今宵はこれで失礼致します。彼女もまだこちらに慣れておりませんので……」
「……それもそうですわね。ぜひ、またお出でくださいますわね?」
レイの言葉に残念そうな表情を浮かべたものの、夫妻は次回があることの言質を取ろうとする。この辺りは抜け目ない。
「もちろんです。やっと彼女が帰国して……今宵はそのためのお披露目を兼ねておりますから」
その返事に満足そうに頷いた夫妻は、満面の愛想笑いで二人を送り出した。
その時、夫妻の息子・アレンが、柱の陰に隠れるようにして様子を窺っていたことに気づいていたレイではあるが、敢えて声をかけなかった。
子爵邸の敷地を出ると、彼は従者を先に屋敷へ戻らせて辺りを窺う。
「ローズ……どっちですか?」
「……あっちよ」
ローズが指差す方へ。少し身軽な格好に着替えた彼女を連れ、レイは夜の魔都を翔ける。
「……レイ」
眉根を寄せ、ローズがレイに呼びかけた。無言のまま彼女に視線だけを向ける。
「ひと足、遅かったみたい……」
「……そのようですね。ここまで来ると、私にもわかります」
目指す場所が間近に迫った、その時。
「………………!」
レイたちの視界の先に、彼らと同じように宙を翔け去る黒い影が映った。
「……あれは……!」ローズが叫ぶ。
影が飛び立った下方を見遣ると、霧と赤い微粒子に烟る光景。その中に流れる命の源流。
まだ温かいであろう、その脱け殻からは、既に生命の息吹は感じられない。
「……手遅れのようですね」
呟いたレイは諦めたように背を向け、ローズを連れて飛び去った。
━遥か彼方から向けられる視線には気づかずに。