呼び合うもの〔六〕〜かりやど番外編〜
二人の話はトントン拍子に進んだ。
そうは言っても、優一(ゆういち)は副島(そえじま)サイド関連で、和沙(かずさ)は身内関連で、それぞれにしがらみの多い身である。結納はともかく、式までにはそれなりの時間を要した。
「この調子だと5月辺りだな」
「そうですね」
副島の言葉に頷く。
三堂(みどう)家側との兼ね合いを考えると、それ以上早めるのは難しく、かと言って遅らせるも良しとは言えない。
「しかし、小半(おながら)。和沙くんは5月でいいのか?」
「は?」
珍しいほど無防備な優一の返事に、さしもの副島も苦笑いを浮かべた。
「若い女性だぞ、小半。6月の方がいいとか、そう言った希望は聞いてないのか?」
ほんの一瞬、副島の言葉を脳内で反芻した優一は、己の間抜けさに呆然とした。老齢の副島に指摘されるようでは、どうにも救いようがない。
「お前らしいな。だが、まあ、彼女はそんな事にこだわるとは思えんしな」
結論づけ、副島は小さく笑うと話を戻した。
新居を選ぶに当たっては、和沙の方から沙代(さよ)と共に暮らせる場所を、と指定されたため、二人はその方向で探した。
これには沙代の方が恐縮し、しばらくは二人で暮らすよう勧めたが、それは和沙が受け入れなかった。
「和沙さん、本当にいいのかしら……」
新居が決まっても気になるのか、沙代が何度も口にする。
「母さん。彼女はダメなことを無理にやろうとする人じゃないよ。大丈夫」
「そう……?」
「ああ」
躊躇なく頷く優一に、それでも沙代は安心しきる様子がなかった。
正直、ひとりで暮らすことに自信満々とは言えなくなっている。家事などは全て自分でこなせるし、今のところ特別不自由はないが、この現状をいつまで保てるのか不安がない訳ではない。
もし、何かあれば、却って優一に迷惑をかけてしまう懸念も少なからずあった。
「楽しみだわねぇ」
それでも、息子の結婚、義理とは言え娘と過ごせる初めての時間に沙代の顔がほころぶ。母の笑顔は、優一にとっても嬉しいものだった。
年を越えて春になり、二人は新居内を整え始めたが、気になったのは5月が近づくにつれ、和沙が落ち着かない様子を見せるようになったことだった。はじめは式が近づいて気が急いている、くらいに考えていた優一だが、どうも違う気がする。
「何かあった?」
訊ねると、一瞬、何か言いたげな様子を見せながらも口を閉ざした。
「ううん。ごめんなさい。ちょっと内輪のことで……」
和沙の言う『内輪』が、いわゆる身内のことであるのか、それとも仕事関係であるのかは判断出来なかったが、『ちょっと』という問題ではないように感じる。
「何かあったら言って」
それでも、和沙の性格をわかって来ていた優一は、それ以上踏み込むのはやめた。
「……うん。たぶん、聞いてもらうことになると思う」
和沙の返事に、優一もただ頷いた。
やがて、新緑が輝き始めた5月の晴天の下、二人の結婚式は行なわれた。
*
新しい生活が始まってふた月。
暑くなり始めた頃、その時は訪れた。
「明日、一緒に行って欲しいところがあるんだけど……」
唐突な、それでいて妙に控えめな和沙の切り出し方。
「構わないよ。どこへ?」
「ごめんなさい……」
行先を訊ねれば突然の謝罪、顔を覗き込めば言いにくそうに口ごもる。
「行けばわかるんだね?」
今度も優一は追及をやめた。
ここに至っても言いよどむ理由には見当がつかないが、明日になれば疑問は解けるのだ、と。
翌日、優一は助手席に座った。
「……やっと話してくれるんだね」
硬い表情で運転する和沙に、訊くともなしに訊ねる。
「……ごめんなさい、ずっと言えなくて……でも、もう、すぐにわかるから……」
和沙の性格的に、優一に対して『言えない』ことなど少ないはずで、それでも言わない理由は容易く想像がついた。『言えない』のではなく、本当は『言いたくない』のだと。
家からさほどの距離もなく、車は高い壁に沿った道へと差し掛かった。壁に沿って進んで行くと、その距離で広大な敷地を囲んでいることがわかる。
ややして、規模にしてはこじんまりとした門が見えて来た。正規の入り口ではないのか、その門には名称の表記はなかったが、優一の目には何かの施設のように映る。
「ここは……?」
和沙は何も答えなかった。入り口で名を告げると、それ以上は特に手続きもなく門が開かれる。
「研究施設? ……いや、医療施設か?」
周囲を見回し、優一がひとり言のようにつぶやく。
「当たり……」
ひと言だけ答え、和沙は駐車スペースに車を入れた。押し黙った横顔に、初めて会った時でさえ感じなかったほどの緊張、そして葛藤を感じる。
フッと息を吐いた和沙は、じっと待つ優一に向き直り、そして微笑んだ。
そこは、本当に広大な敷地だった。
延々と続く緑、その木々に隠れるように佇む先進的な施設は、どうにも風景としてそぐわない。
その中を、和沙と優一は歩いていた。
強い日差しを豊かな緑がさえぎり、季節柄、汗ばみそうになって進む二人に涼を与えてくれる。
やがて、目の前にゆるやかな小高い丘が現れ、まるで「登って来い」と誘うように、頂までの道が敷かれていた。和沙は迷うことなく、その道を上がって行く。
頂に着き、目の前が完全に開けたところで、和沙は一旦足を止めた。視線の先には、優一たちに背を向けて屈んでいる男の姿が見える。
(誰だ?)
不思議に思いながらも、和沙の少し後ろで様子を窺う。
すると、じっと地面を見下ろしていた男がゆっくりと立ち上がった。
それを見、和沙は一拍おいて歩を進めた。意を決したような間の取り方に、彼女が何かのタイミングを計っていたのだと気づき、故に、己はその場に留まる。
気配を感じたのか、男が和沙の方を振り返った。その視線に若干の驚きが見て取れる。
「……久しぶりね」
言葉をかけると、男は和沙の方に身体ごと向き直った。
「本当に久しぶりだ」
嬉しそうに、それでいて切なげに目を細め、男も同意した。
「大変な時だったのに、何も出来なくてごめんなさい」
「いや、ぼくの方こそ……まだ、お祝いも言ってなかったね」
首を振りながら答える男の目が、後方に立つ自分を掠めたことに優一は気づいた。だが、それよりも気になったのは、下を向いた男の表情にひどく見覚えあるような気がすることだった。
(どこかで会ったか?)
仕事柄、覚えは悪くない方だと自負していたが、記憶バンクに該当する名前を見出だせない。
「……彼?」
男が和沙に訊ねたのが自分のことだとわかり、記憶を辿る作業は中断された。同時に、和沙が優一を振り返り、促すように合図する。
「……紹介するわね。主人よ」
和沙の横に並び、優一は男に会釈した。
「はじめまして。小半優一です」
ほんの束の間、男は優一の目を真っ直ぐに捉えた。
「……すぐわかりました」
そう言って、丁寧に敬礼する。
「はじめまして。小松崎朗(こまつざきろう)です」
「…………!」
瞬間、優一の脳裏を占めたのは驚きと困惑だった。
『小松崎朗』
その名が示すものは瞬時に理解出来ても、その名の持ち主が、どう和沙と関わって来るのかはわからなかった。
何より、『緒方昇吾(おがたしょうご)』と瓜二つだと言う情報と一致しない。見覚えがある気がしたのは似ているからだとしても、変装していたと言う『新堂龍樹(しんどうたつき)』の姿とは違うため、どうしても脳内で結び付かない。
「……朗は母方の従弟なの。あなたは何も知らされてないみたいだったから言えなくて……」
優一は息を飲んだ。
副島から和沙の身上書を渡された時、敢えて自分から本人の経歴以外を受け取らなかった。相手方の身元に関しては、副島を完全に信用していたし、そもそも三堂家と聞けばそれだけで間違いなかった。
何より、本人以外の情報に惑わされたくない、ということも大きかったのだが、それにしても、と思う。
「……式の時……小松崎の名はなかった……親族紹介の時も……」
和沙が睫毛を翳らせた。
「出席者名を変えて、親族席とは別に三堂グループ関係者の席にいたの。紹介の時も、ちょうどあなたの方がお義母さんだけだったから、こちらも両親と兄弟だけにさせてもらって……」
「何でそんな……」
「……だって、小松崎のこと、知ってるでしょう?」
含みのある言葉にハッとする。
『小松崎家』は、『松宮家』とは違う意味で日本を支えて来た一族だと。
「……そうですね。ぼくらは普通に『小松崎』と名乗りますし、出してはいけない、って法はないのですが……どちらかと言えば少ない苗字ではありますし、不特定多数の人間が集まる場では出さない、が暗黙の了解にはなっているようですね。
躍起になって隠すと逆効果なので、そこまでの必要はないとされてますが、知る人ぞ知る、以上の存在にはしないルール、ではあるので……」
朗がやんわりと付け足すと、優一はあまりに無頓着過ぎた己に愕然とした。
副島からの話とは言え、これでは『信用していた』と言うより『関心がなかった』と取られても文句は言えない。私的なこととは言え、秘書としても失格である。
「じゃあ、ここは……この施設は松宮家の……?」
そうであれば、副島から聞いていておかしくない。素性を明かされた時に全て開示されたはずで、覚えがないと言うことは、つまり副島も知らなかったのだ。
「元はそうです。今は敷島(しきしま)が管理していますが……」
「敷島? ここ数年で一気に台頭して来た、あの……?」
オーナーが若い女性らしい、と言うこと以外、一切が謎のグループとしか認識出来ていない。
だが、優一の心にはひとつの期待が生じた。
(もしかして、ここに……)
呼ばれたのではないか、と――。
~つづく~
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?