薔薇の下で ~ Under the Rose 奇譚 ⑦ ~
【~Under the Rose~】 秘密で・内緒で・こっそり
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バレることは、端からわかってはいた。
山際産業の資料や、過去、標的にした女たちの情報を取り寄せたことを、何日も経たないうちに薔子は知っていた。
それは別に構わない。
そもそも、組織内の調査員を使って、彼女に知られないで済む方法などないと、わかっていたのだから。
そのことは別にして、丹念に遡って資料を確認した結果、ぼくはある事実に気づいた。つまり、ぼくが誘い込んだ女たちの経歴には、全員に共通する点があった、と言うこと。
それが、即ち『山際産業』だった。
吉岡怜子を含め、全員が全員、山際産業に関わったことがある女で、それを誘い込む役として、ぼくが割り当てられたことは、果たして偶然なのだろうか?
……いや、そんなはずはない。ぼくは、このために選ばれたのだ。
もしくは、たまたま『その役割を受け持つ男』として、ちょうど良く白羽の矢が立ってしまったか、のどちらかだ。そして、恐らくは前者。
吉岡怜子が最後につぶやいた、『あの時、山際産業に近づいたりしなければ』と言う言葉さえ聞かなければ、ぼくは何も考えず──。
いや、考えようとする力を美しい薔薇に奪われたまま、今まで通り、ただ、ここにいただろう。
*
「……山際産業で働いていたか、取り引き先の担当者として懇意にしていたか、そのどちらか、ってところか……」
資料を見る限り、大まかに分けるとそんな感じ。
けれど、それより気になったのは、その後のこと。何故か全員、その勤め先を辞めるに至っているのだ。しかも、中には解雇に近い、むしろ退職に追い込まれた、と言うような。
(……何かヤバいことに関わりでもしたのか……?)
この理由に核心があるような気がした。そこを突き止めれば、ぼくが知りたいことの全てを知り得るのではないか、と。
ぼくは更なる資料を要請していた。今まで通りに任務をこなしながら。
調書の件が耳に届くたび、薔子の物言いたげな表情は重さを増して行った。だが、ぼくはそれに気づかないふりをして彼女を抱いている。
ぼくにその件を忘れさせようと、彼女が必死になっているのはわかっていた。何とか以前のように、ぼくの気持ちを彼女一色に染め上げようとしていることにも気づいていた。気づく、と言うこと、それは即ち、ぼくの方が余裕があるとも言えた。
本来、薔子は巧者だ。
当たり前だ。彼女はこのために選ばれている女だ。顔も身体も、そして何より男を虜にする術(すべ)も、全て完璧に身に付けている。
現にこのぼくも、初っ端から瞬殺だった。
客観的に言って、これほどの女にお目にかかる機会はないだろう。主観的に言っても、恐らく最高の女と言って憚らない。
けれど──。
本当の意味で、ぼくの心を操れるのはひとりだけ。ぼくの心を動かせるのは。そして、ぼくの心を殺したのも。
そして彼女も、そのことに気づいているだろう。ぼくの本性に。それは、つまり、ぼくにとってはかなり危険な状態だ。
『彼女から引導渡される日が来るのかも知れない』
そう思いながらも、ぼくは知ろうとすることから、既に後戻り出来ない状態まで進んでいた。ここまで来てしまったからには、全てを知らずして──死ぬ訳には行かない。殺られる訳には行かない。
例え薔子にであっても邪魔はさせない。少なくとも、全てを知るまでは。
少しずつ、過去と共にかつての感覚を呼び覚ましておいた甲斐はあった。もう、二度と、その道を往くつもりはなく、封じ込めたはずのぼくの過去。本当に目的を果たす気でやるなら、ぼくは薔子に溺れたりはしない。
──薔子をぼくに溺れさせることはあっても。
*
山際産業について調べながら、任務もこなす日々。
任務を終えて部屋に行くぼくを、薔子が不安を押し殺した目で迎える。薔薇に包まれて恍惚として過ごすことをやめたぼくにとって、彼女のそんな表情は嗜虐心を煽るものでしかなかった。
飲み物を用意しようとしたのであろう、読んでいた資料をしまい、何も言わずに立ち上がった彼女を急襲し、後ろから抱きしめる。
「……京介……!」
いつもより強引なぼくの振る舞いに、彼女の身体に僅かな強張り。本能的に慄いているのを感じる。
だが、何も言わせない。抵抗する間も与えず、抱きすくめた背後から首筋とうなじに唇を這わせた。小さく呻いた薔子が、身体を前のめりにして逃れようとする。
「……待って、京介……今、飲み物を……」
「……いらない」
何とか気を逸らそうとした彼女に無慈悲なひと言で返し、ぼくは回した腕を胸元から滑り込ませ、引き千切るようにシャツの前身頃をはだけさせた。案の定、いつも通りシャツの下には何も身に付けていない。
消すことは出来ない過去の振る舞い。閉じ込めていた記憶を一気に呼び起こす。
懸命に自分を保とうとする薔子を、情け容赦なく煽り、じわじわと追い上げて往く。必死な姿がさらにぼくを駆り立て、それでも、さすがと言おうか、今まで貶めた女たちとは比べ物にならない忍耐力だった。
いつもなら、ある程度のところで彼女を解き放している。そのまま意識を手離せるように。
だが、今日は──。
ギリギリのところで止める。それを何度も繰り返すうち、さしもの薔子も限界のようだった。もう、ずいぶん前から息も絶え絶えの体、消え入りそうな声で懇願している。
「……京介……もう……」
女のこう言う状況と声は、かつてはぼくを残忍にさせるだけだった。そうやってぼくは、何人もの女を狂わせた来た。その報いを受ける時は、直に来るのだろう。
最後の最後まで追い立てると、薔子は声にならない悲鳴と共に大きく仰け反り、そのまま意識を失った。
ぼくはそっと彼女に薄絹をかけ、からからになった喉に水を流し込んだ。それから、全てを押し流すようにシャワーを浴びる。薔子と関係を持ってから、これも初めてのことだった。
部屋に戻っても、薔子が目を覚ました気配はない。ピクリとも動かない薔子を確認すると、常備してある気に入りのスコッチを片手にソファに腰かけた。
「……ん……?」
さっきまで薔子が目を通していた書類が、きちんとケースに入らずに一部が見えてしまっている。基本的に守秘義務があり、ぼくは彼女の任務関係のものには無断では触れない。……が。
微妙にずれた各書面の一部が、少しずつ見えていた。何の気なしに、見える箇所の文字を目で追っていた時──。
「…………っ…………!?」
思わず、視線と共に呼吸も止まる。
見えている、ある一枚に無意識に触れた。上に重なった数枚を指先でずらす。
二度と、見るはずのなかった文字。
生涯、口にしないと誓った名前。
(……これが、ぼくのしたことに対する報いなのか……?)
目の前に現れたものが、現実であるなどと到底信じられなかった。
『鏑木美雪』
その4文字が──。
── カ ブ ラ ギ ミ ユ キ ──
そのたった7文字が──。
ぼくを過去へと、一気に、そして確実に引き戻す。
*
天井から吊るされた一輪の薔薇が、呆然としたままのぼくを、普段と変わらぬ姿で見下ろしていた。