社内事情〔27〕~過去の気配~
〔大橋目線〕
*
『ロバート・スタンフィールド』と言う謎の男。そして謎の女の存在。
解決どころか、少しの進展も見ぬまま迎えた新年。
社内の誰もが落ち着かない時を共有すると言う、望ましくないこの状況を早く打破したい。しかし、手がかりとなる『敵』の姿も目的も見えない。
そんな焦りを感じ取ったのか、ある日、専務は社員を一同に集め、いつもの飄々とした体で一気に話し始めた。
「皆ももう大体のところはわかっていると思うけど、R&S社の件は今現在、ハッキリ言って難航中なんだよね~。リチャードソン氏の行方もわからないまんまだし~。でも、とりあえず今、片桐くんや藤堂くんが手を尽くしてくれている。伍堂財閥の方も動いてくれてるようだから、とにかく皆には、今は目の前の日常をいつも通り丁寧に熟して行って欲しいと思うんだよね~」
……仮にも総合商社の専務たる人にして全くふざけた物言いではあるが、専務のこの調子が、皆を安心させるかなり効き目の強い特効薬なのも事実だ。計算しているのか、本当にこれが地なのかは微妙で、地であれば正直複雑な気持ちにさせられはするが。
「ただ、いつもと違うな、ってことがあったら、どんなに小さなコト……『あれ?』ってレベルでもいい。教えてくれると助かるかな、うん。これは普段通りに過ごしてないと、案外気づかないものだからね。……ってことでよろしく~。以上で~す」
……本当にこれでいいのか、甚だ疑問ではあるが。
秘書室に戻る途中、片桐の後ろ姿を見つけた。思わず声をかけると、意外と機嫌が良さそうな様子。
「……ある意味、大したもんだよな」と片桐。
「……もしかして専務のことか?」
片桐が専務を褒めるなんて……いや、褒めてる、ってレベルじゃないかも知れないが、正直、おれを驚かせるには十分だった。
「この状況に於いても、あの調子を保てるんだからな。ある意味、上に立つ器、なんだろうな」
やたらと『ある意味』と言う枕詞が付いているところが片桐らしい。何だかんだと素直には褒めないところが。
「まあな。社長とは全く正反対のタイプではあるが、な」
片桐が頷く。
「だけど、片桐だってそう言うところがあるぞ」
さらに続けたおれの言葉に振り向いた。
「おれ?」
「ああ。片桐は顔にこそ出るが……って言っても、わかる奴にはわかるだろうが、わからない奴の方が多いだろうけどな。それでも、判断力や行動には一切の淀みがない。完全に公と私の境界が別れているんだろうな」
「それを言うなら大橋の方がよっぽど上手だぞ。顔にも出ない鉄面皮だろうが」
笑いを堪えながら片桐が言う。
「失礼な奴だな。人を能面みたいに」
「自分の顔を一日中鏡で見ててみろ。ほとんど変化しないから」
堪えるのを諦めた笑顔。こう言う顔が『人誑し』たる所以なのだろう、とつくづく思わされる。
おれたちが笑いながら話しているのを、数人の若い社員がまるで不思議なものでも見るようにして通り過ぎて行く。彼らには、片桐とおれの接点などわからないのだから当然と言えば当然か。まあ、接点と言うか、単に同期なだけなのだが。
「今回の件が片づいたら、たまには飲みにでも行くか」
珍しい、片桐からの提案。おれのことも、どちらかと言うと専務に対してと同様に避けていると思っていたが、そうでもないのだろうか。どちらにしても否はない。
「そうだな。ずいぶんとご無沙汰だし、それもいいな」
「そのためには、さっさとどうにかしないとな」
そう言って、片桐の顔が引き締まる。いつもの『営業の虎』の顔に。まあ、おれはどちらかと言うと、片桐のイメージは『虎』と言うよりは『豹』だと思うんだが……と言うか、この異名、一体誰が付けたんだ?
営業部に戻る片桐と別れ、おれは秘書室へと戻った。書類を揃えて専務室へと向かう。
「専務。午後からの予定ですが……」
おれが切り出すと、
「大橋くんはどう思う?」
……前置きなし。
「R&Sのことでしたら……」
「え、違うよ~。片桐くんのことだよ~」
……おれにはテレパシー能力などないのだが。まして、専務は本当に何を考えているのかわかりにくいタイプだ。しかも、話が三段跳びすることも珍しくない。長年の付き合いのおれですら、ついて行けてないことが少なくないくらいには。
「……R&Sの件を別にすれば、少し雰囲気は変わったように思います」
おれの顔を一度ジッと見つめ、それから視線を手元に戻し、何やら考えている様子。
「……やっぱり大橋くんも気づいているよねぇ」
「いえ……しかし、それがどうこう、と言うほどのことでは……専務は片桐課長に何か気になることが?」
「……う~ん……」
腕組みした手を顎に当て、専務はさらに思案顔を浮かべた。
「この間、赴任の内示を伝えた時の片桐くん……何か様子が違ったよねぇ」
「……そう言われて見れば、ほんの一瞬ですが、何か憂いがあるような素振りでしたね」
「昨今、片桐くんの周囲に漂う女の子の気配……関係あるのかなぁ」
専務がひとり言のように呟く。もし、片桐に女の影があるのが本当だとするならば、赴任に際しての帯同に懸念がある可能性は否定出来ない。
「ウチはどうしたって、『赴任』と言うことから片桐くんを切り離すことは出来ない。本来なら、彼は常に海外を飛び回っていて然るべき人材だ。そうさせられないのは……」
専務は言葉を区切った。珍しく言い澱むように。
「ウチが人手不足、だからだよねぇ……」
専務が言っている『人手不足』と言うのは、厳密に言えば、『今、営業部を担っている精鋭たちが、憂いなく思い切り動き回るためのバックアップが完璧に出来る程の人』が不足している、と言うことだ。
アシスタントたちだって、決して能力が低い訳ではない。その辺り、我が社の人事はかなり見る目があると思っている。名人事と謳われた多賀野部長から受け継がれている何かが。それでも……いや、だからこそ、お眼鏡に叶う人材との出会いは、なかなか思うようには行かない。
「確かに、幾ばくかは、片桐課長に本社にいてもらわなければ回りませんからね」
「そこがネックだよねぇ」
こう見えて、専務は本当に色々なことを見ている。そして考えているのだ。
「赴任してもらうのは免れないけど、それ以外のことは、出来る限り片桐くんの希望通りにしてあげたいと思ってるんだけどなぁ、ぼく」
━そう。
専務は本当に片桐を気にかけているのだ。普段があんな調子で、こう言うところを見せないから理解してもらえないのだと、おれは思うのだが。
そして片桐に対して、誰より責任を感じているのも専務だ。止められなかったことを。回避出来なかったことを。そして何よりも、片桐の断固たる意見を受け入れなかったことを。
「……片桐課長は、ご自分で最善の道を往かれる方です。ご心配には及ばないでしょう」
おれの本心に、何か意味ありげに顔を見つめると、すぐに宙に視線を投げかけて呟いた。
「……それはわかってるんだけどね……問題なのは、周り、だよね」
「専務……」
「まあ、仕方ない。とにかく今は目の前のこと、だね」
切り替えた専務は、おれが用意した書類に目を通し始める。
しかし、もう、おれたちのすぐ目の前に、過去の気配は現れていた。
~社内事情〔28〕へ~
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