魔都に烟る~part13~
食事の間、ローズはひっきりなしにレイの様子を窺っていた。
いつもと変わらぬ澄ました顔が癇に障るものの、その変わらなさに救われているところもあることに気づく。それはそれで複雑な気分ではあるが。
しかし食事を終える間際、それは突然訪れた。
「ローズ。後で私の部屋へ来てください」
力を失った手から滑り落ちたスプーンが、わずかに残っていたスープと引き換えに飛沫を上げる。
瞬きも出来ずにその光景を眺めながら、ローズは震える唇から必死に声を絞り出そうと試みた。
「……わ……かったわ……」
やっとのことで発したのであろうローズの返事を聞くと、レイは微かに頷いて席を立った。
静かに横を通り過ぎて行く気配を感じながらも、ローズはまだ目線も動かせないまま、ただ茫然としていた。
*
レイの部屋の扉の前。ローズは手をノックの形にしたまま立ち尽くしていた。躊躇う気持ちを代弁するかのように手が動かない。
レイの部屋に入るのは決して初めてではなかった。だが、昨日の今日である。
目を強く瞑り、呼吸を飲み込んだローズは、意を決して扉を叩いた。
「どうぞ」
ただの返事の声にさえ、緊張する自分がおかしくて苦笑いになる。静かに扉を開けると、窓の外を眺めていたレイがゆっくりと振り返った。
「……何の用かしら?」
必死に虚勢を張っていることが、自分でもありありとわかってしまう声。
しかし肝心のレイの方は、そんなローズの内心などお構いなしの変わらぬ体で、口元には意地の悪そうな微かな笑み。
「……今日はいろいろと……きみとちゃんと話をしておいた方がいい、と思いまして……」
小さく頷くような仕草で、レイは曖昧な言葉を放った。
「……いろいろ……?……何……?」
引き気味に問うローズに、
「……もう少しはっきりしてから、と思っていたのが徒になりました。今後のことを考えても、確認しておいた方がいいでしょう」
真っ直ぐにローズの目を見据えて返す。
だが、その目から一切の感情は読み取れなかった。怒りも、そして、冷たさすらも。あまりの感情の静かさに、鳥肌が立ちそうになる。
「……ローズ、こちらへ」
そんなローズの様子など意に介さず、レイは変わらぬ調子で奥の扉の方へと促した。
その扉の奥へは、ローズも未だ足を踏み入れたことはない。未開の場所、と言うより、むしろローズにとっては『開かずの間』のイメージだった。
息を飲み込み、扉を支えながら立っているレイの脇をすり抜ける。
何か恐ろしいものであるかのようなイメージを抱いていたその部屋は、入ってみれば特に何の変哲もない部屋に見えた。
強いて言うなら書斎に近い。棚と言う棚は膨大な本で埋め尽くされ、一角にあるガラス扉の棚だけが、小瓶や箱、何か不思議な容器やらの保管場所になっているようである。
だが、徐にグルリと見回したローズはあることに気づいた。
部屋の四隅に不思議な貼り紙。そして、あちらこちらにも何やら貼り付けてある。
そして何より、一歩、足を踏み入れた時から微妙に感じる、波動、とでも言うのであろうか。不思議な振動のようなものを感じる。
訝しげなローズの表情に気づいたのであろうか。ガラス扉の中から、不思議な形の小さな壺らしきものを取り出したレイは、ローズの方へとそれを差し出した。
(……!この匂いは……!)
その壺のような容器からは、つい先ほどレイから漂って来た香りが。そして、それは紛れもなく、真犯人と出くわした夜の。
「東洋の香と言うものです。液体ではなく、煙で香りをつけるものですが、この香りには強力な魔除けの力があります」
ローズの心を読んだかのように、レイの方から説明して来た。その言葉に、ローズは無言でレイの顔を見返す。
「ローズ。きみは自分の持つ力の根源が何か、わかっていますか?」
「……根源?私の力の?」
「そうです。きみの持つ、その普通の人間では持ち得ない力の理由です」
ローズは困惑した。自分の素性はともかく、力の出所のことまで言われるとは想定していなかった。
「……何が言いたいの?」
怒りか、怖れか、声が震える。
「言葉のままですよ。きみの力が、何故、存在するのか」
「私が人ではないとでも言いたいの!?」
怒りが怖れを凌駕したのか、思わず大声になったローズを一瞥し、レイは少し睫毛を下げて変わらぬ口調で答えた。
「そんなことは言っていません」
その言い方が、却ってローズの気持ちを逆なでする。
「私は、人よ!」
さらに興奮気味に言い放ち、肩で息をしながらレイの顔を睨み上げた。
「その通りです。あなたは紛れもなく、純粋な人間です。その力は人外のもの、ではない」
「……ならば、一体、何が言いたいの……?」
「きみの力を強めているものに気づいているか、と言うことです」
「………………?」
その表情から疑問を読み取ったのであろう。ローズに向かって静かに手を伸ばしたレイは、身構えて硬直するその首筋にスルリと手を添わせた。
「きみの力を強めているのは……恐らくはご両親がきみの身を案じて施したのでしょう……強力な『護符』です」
「……護符……?」
「そう。きみの力は、きみの身が危険な時に強く現れる。まずは、その瞳に。だからこそ、奴はきみの瞳を閉ざすために、まず気絶させたのです」
俄かには信じがたい。自分さえ知らなかったことを、まるで見て、聞いて来たかのように語る男の顔を見据える。
「そして、最大の護符はきみの名前。しかし自分のことを“ローズ”と呼ぶように言った時……きみがその意味に気づいていないことがわかりました」
その手に触れられた首筋が、しだいに熱を帯びたように熱くなるのがわかる。
「さらに、きみのその身体に施された護符の効力を、弱体化させた者がいます」
その言葉に、ローズはハッとしたように身体を震わせ、「……やめて……」消え入るような声を絞り出した。
「きみもその相手を知っているはずです」
「……やめて……!」
しかしレイは、狼狽えたローズにお構いなしの視線を向ける。
「きみの力を弱めるために、きみの身体を奪った男……即ち、真犯人、です」
「やめて!」
目を見開き叫んだローズは、レイを見上げ、そのまま瞬きすらせずに立ち尽くした。そして、気づいてしまった。
━本当だったのだ。最初に言っていた通り、この男は自分の全てを『視た』のだ、と。