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課長・片桐 廉〔3〕~初ランデヴー編②
嬉しそうにメニューを見ながら、ひとり「ん……おいしそう」と迷っている姿は、意外なほど子どもっぽくも見えたが、そんな彼女の様子に何だかこちらまで楽しい気分になってくる。だが。
……これは決まるまで長引きそうだ。おれは心の中で覚悟を決めた。
「今井さん、先に飲み物だけでも決めよう。ビールにする?イタリアンだしワインにする?それともカクテルでももらう?」
おれの問いかけに、こちらを向く動きには子どもっぽさの欠片もない。やはりまろやかで女らしい仕草ではあったが。
「課長は何を飲まれるんですか?」
「おれは何でもいい派」
笑いを堪え切れずにニヤニヤしながら答える。
……と、実にあっさり「私もです」と返されて、おれの方が言葉に詰まった。
「……じゃあ、おすすめのワインでももらおうか」
「はい」
軽く返事が返ってくるところを見ると、本当に何でも良さそうだ。なのでお任せでワインをオーダーする。
「さて。料理はどうしようか。おすすめのコースにする?それともアラカルトで頼む?」
「……こちらのお店で課長のおすすめはありますか?あと課長がお好きなメニューとか」
じっとメニューを見ていた彼女が訊いてきた。
「おれは雑食で何でも食べるから。おすすめはスタッフに訊くといいよ」
「……じゃあ、本日のおすすめコースで」
即答。
……それより、今の「じゃあ」はどこにかかるんだ?
総合病院の待合室並みとは言わないが、長時間待ちを覚悟していたおれとしては、呆気ないほどの即決はありがたかったが。
スタッフに訊かなくていいの?やら、
アラカルトじゃなくていいの?と言う疑問やら。
ヘンな話だが、もう少し迷っている姿を見ていたかった、なんて気持ちもあったりして。
おれは何となく中途半端な気持ちを抱えながらも頷き、ワインを持って来たスタッフにオーダーする。
その時。
「あ、これ美味しそう」
小さく呟く声が聞こえた。
おれが「何?一緒に頼む?」と訊くと慌てたように顔を上げ、「いえ、食べ切れないと困るので」と言う。
「じゃあ、あとでお腹に余裕があったら頼めばいいよ」
おれの言葉に、笑顔を浮かべて「はい」と素直に頷く。
ワインを注いでいたスタッフがクスリと笑い、「かしこまりました」と言って戻って行った。
スタッフがいなくなると、今井さんが嬉しそうに店内を見回す。
「とりあえず、乾杯しない?」
口元を緩めたその表情に見惚れそうになりながら声をかけた。
「あ、はい」
こちらに向き直ってグラスを持ち、おれが差し出したグラスに合わせる。
「おつかれ」
「お疲れさまです」
軽く触れ合ったグラスが涼やかな音色を奏で、冷えた白ワインが彼女の濃い瞳を映す。
本当はワイングラスは当てない方がいいのだろうが、気分的に乾杯だと軽くでも当てたくなる。
「ん……おいしい!」
嬉しそうに笑う顔をみると、こちらまで顔が緩んでくる。こんな風に笑ったのは久しぶりかも知れない。
料理が運ばれてくるまでの間に、とりあえず硬い話は終わらせてしまおうと、合同企画についての見解を訊ねてみることにした。
「今井さんは説明会には一回しか出ないだろうけど、大まかな話を聞いてどう思った?」
「……う~ん……正直言うと、あまりに大まか過ぎて何とも言えないところなんですけど……」そう前置きした上で話し出す。
「うん」
「永田室長からの話は、私たち営業側の反応を確かめている、と言うか、試しているように感じました。その反応を見て、たぶん藤堂くんに営業側の懸念を払拭させようとしているんじゃないか、と」
実を言うと、おれもそれは感じていたのだ。いつもの企画の進め方と少し違う、と。
「何で、そう感じた?」
「え……って、いや……何となく……じゃなくて」
そう言ったあとで、少し考える様子を見せる。記憶を手繰っているようだ。
「あ、えと。永田室長が話してる間に、藤堂くんと雪村さんがすごい聞き取りって言うか書き取りって言うか……してたんですよね。あれって……」
おれは彼女の言うことにじっと耳を傾けた。
「雪村さんが企画室に異動になったタイミングで、元々、営業サイドだった藤堂くんと他方からの目線を絡ませて検証するためなのかな、って。今までの企画ってかなりの率でポシャってますから……」
なるほど、とおれは思った。面白い見解だ、と。
おれも、かつて営業だった藤堂の目線から懸念を取り除こうとしているのは感じていたが、雪村さんが異動したタイミング、とまでは考えなかった。
……ふと、今井さんを見ると、珍しく少し不安気な上目遣いでおれを見ている。
仕事モードに入り過ぎて、おれは知らないうちにかなり怖い顔になっていたらしい。怯えさせてどうするんだ、と苦笑いになる。
「ごめん。なるほど、と思って。……仕事の話はこれくらいにしとこう」
おれがそう言った時、ちょうどいいタイミングで前菜が運ばれてきた。
置かれた皿を見て「おいしそう」と嬉しそうに目をキラキラさせ、両手を胸の前で合わせて瞑目し「いただきます」と小さく呟く。
その仕草が、おれには何とも新鮮に見えた。真剣な顔で拝んでいる姿が、何かわからないけれど可愛らしいと言うか、綺麗さを際立たせると言うか。
日本人の食事の挨拶としては珍しくもない光景なのだろうが、普段、男所帯で掻き込むように食事をすることが多いおれが、お目にかかる機会は、ほぼ、ない。
「おいしい……!」
幸せそうな声に我に返り、真似して手を合わせてから食べ始める。
「ん。うまい」
「ですよね」
思わず顔を見合わせて笑顔になる。
それからは硬い話はやめ、少しずつ世間話に興じる。
「今井さんのご家族はどんな感じ?お父さん、仕事は?」
「父は公務員です。母は昔は働いて……いたのかな?働いてたところが想像できない人なんですけど。今は主婦ですね」
そんなことを言っているが、今井さんのお母さんじゃさぞかし遣り手だったんじゃないか?などと失礼かも知れないことを口走りそうになり、ぐっと言葉を飲み込む。
「もう、3人兄弟の真ん中なんで放任に近くて。そのくせ、しょっちゅう、入れ替わり立ち替わり連絡くるから……あ、父からは全然なくて助かるんですけど」
面倒くさそうに言うところが今井さんらしくて、つい、笑いそうになる。
だけど、今井さんはしっかり者の一番上なんじゃないか、と勝手に思い込んでいたから、真ん中と言うのは意外な気がした。
「3人兄弟の真ん中か……構成的にはどんな感じ?」
「兄と弟がいます」
なるほど。男に挟まれてるわけか。たくましいはずだ。しかも藤堂以下、ある意味、男の心中を察するのが早いのも頷ける。
こう聞くと、長子じゃなくても何となく納得がいくな。
「……課長のご家族は?」
ひとり納得していると、今度は今井さんが躊躇いがちに訊いてきた。
「おれん家?親父は普通の会社員。お袋は今井さん家と同じで今は主婦だな」
頷きながら聞いていた今井さんは、
「そして実は、おれも3人兄弟の真ん中。だから、何となく真ん中の感じはわかる」
おれのその言葉に少し驚いた顔をする。
「課長、真ん中なんですか?え、え、課長、構成は?」
「何と、おれも兄貴と弟に挟まれてる」
「ええーーー!すごい奇遇ですね」
そう言ってから「……これって奇遇って言うのかな」と悩んでいる様子が笑える。
「でも、おれと違って女の子ひとりなら大事にされたんじゃない?男3人だと本当に放ったらかしだけど……」
おれの言葉に、ものすごい勢いで否定が入った。
「全然っ!です。もう、名前からして適当、って感じで……」不満そうに洩らす。
「“里伽子”って名前が?……何で?ご両親、どう言う意味でつけたの?」
少し考える仕草をし、
「何かよくわからないんですけど。お伽噺に出てくる里って言うか……心の故郷(ふるさと)のような……みたいな。人の帰り着く場所になるように……とか何とか……」
うろ覚えなのか言いたくないのか、つまらなそうに答える。
「あんまり本人が、そのイメージない感じになると、ちょっと……」
自分の名前があまり気に入らないのかトーンダウンしていく。
普段、雪村さんに続くのではないかと思えるポーカーフェイスな今井さんだが、心の中ではいろいろあるんだな、などと考える。
だが━。
『人の帰り着く場所になるように』
何となくイメージが湧く。おれには。
「いい名前じゃない?音(おん)の響きも今井さんに似合ってる。……と、おれは思うけど……」
そう返すと、何となく恨めしい目で見られている気がする。……なんて思った途端。
「じゃあ、そう言う課長は……」
しまった!
実はおれも、自分の名前を話題にするのが好きではない。だから、普段、自分からは話題に出さない。
それでも彼女が名前の話題を出したのだから、当然、自分にも返ってくることは予想できたはずなのに……油断した。
答えるのを躊躇っていると。
「……課長は……ん?あれ?……課長の……下のお名前って、何でしたっけ?」
「…………(覚えてくれてはいないのか)…………」
今度はおれの方がトーンダウンする。
名前の話題を出されるのも嫌なのだが、覚えてくれていないと言うのも、これはこれで地味にヘコむ。
ま、違う部署の上長の名前なんて普通は覚えてないか……。
どう乗り切ろうかと沈黙するおれを、彼女が不思議そうな顔で見つめてくるので仕方なく答える。
「……“れん”……かたぎり れん……」
「……かたぎり……れん……」
彼女が確認するようにおれの名前を呟く。
何故だろう。
彼女が呼ぶと、まるで違う名前のように聞こえる。
「どう言う字を書くんですか?」
おれの物思いなんか知るはずもない彼女が、当たり前のように訊いてくる。そりゃあ、確かに当たり前の質問だ。彼女は何の気なしに訊いてきたに違いない。
しかし。
……名前に関する質問で、おれが一番訊かれたくない、答えたくない質問が、これだ。
それでも、彼女の真っ直ぐな視線を浴び続けることに耐えられなくなったおれは、仕方なく答える羽目になる。
「……广(まだれ)に兼ねる……」
「……广に兼ねる……」
彼女が、また口の中でゆっくりと復唱する。少し考えて。
「……ああ!廉価とか廉売の“廉”ですね」
グサッ!!
今井さんの言葉が刃(やいば)となって、おれの胸に突き刺さる。
「………(これ言われるのが嫌だったんだ)…………」
彼女は、おれの面白くなさそうな沈黙に全く気づかないようで、さらに情け容赦なく続けた。
「……“れん”……“廉”……」と繰り返し彼女が呟く。
……今井さん、頼む。頼むから連呼しないでくれ。
心の中で懇願するおれに、彼女は明るくさらなる追い打ちをかけてくる。
「課長にぴったりですね!」
ズドン!!!
おれは自分の胸を撃ち抜かれた音を聞いた気がした。
廉価・廉売、『安い安い』と連呼された挙げ句に、それが『ぴったりだ』と言われて平然としていられるほど、おれは鋼の心を持ち合わせていないぞ……。
もちろん、親たちはその意味でつけたわけではない。……と言ってはいたが、親父たちの性格を考えると果たしてどうだか。
どうせおれは安い男だ、と心が荒み、大人げなくも顔がふて腐れる。
「……課長?どうしたんですか?」
心配そうに訊いて来る今井さんの表情は魅力的だが、その悪気のなさが、なおさら罪だ。
「……まあ、3人になったのは結果的だけど。男3人なんて、ほんとーーーに扱いがいい加減になるから。兄貴がいた時点で、おれの名前なんか付いてりゃいい、くらいの勢いで。安い扱いでおれにぴったり……」
半ばヤケクソ。自虐的に言うと、今井さんはキョトンとした顔をする。
「あの……广の“廉”ですよね?かどとか境めとか折りめの。……えと、でも、私のイメージする課長にぴったりですけど。だって『人として守らなければならない、とする行動の順序に反することがない』とか、『欲につられてけじめを失わない』『欲ばらない』『私欲がない』『未練がましくない』『いさぎよい』とか……そう言う意味ですよね?」
……驚いて、思わず、彼女の顔を凝視する。
過去、名前の話題に触れた中で、この意味を取ってくれた相手は数えるほどしかいない。まして、女性では皆無で、大多数が『廉価・廉売』と言う例えに特化していた。
さらに彼女は、目を瞑り、曲げた人差し指を顎の下に当ててじっと考えるような仕草をし、
「……『見きわめる』『思い切りがよい』……そして、『自分ひとりの利益だけを考える気持ちを持っていない』……」
……と続けて、
「うん!やっぱり、片桐課長のイメージです!」
目をパッと開いてそう言うと、おれの目を真っ直ぐに見ながら今日一番(と言うかおれの中で過去最高)の笑顔をくれた。
恐らく、おれは、この時、完全に落ちた。
単純すぎるぞ、おれ。
だが、その後、さらに笑えたのが。
「清廉潔白の“廉”ですもんね」
……今井さん。『廉価・廉売』より、そっちの例えを最初に出して欲しかった。
別におれは『清廉潔白』ではないし、『自分ひとりの利益だけを考える気持ちを持っていない』なんて立派な男じゃないけれど。
~課長・片桐 廉〔4〕へ続く~