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声をきかせて〔第1話〕
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「しんどくないですか?」
仕事に関すること以外の言葉では、この言葉が、彼女がぼく自身のことについて発してくれた初めての言葉だったように思う。
でも、そう訊かれた時。
正直、ぼくはどういう意味でくれた言葉なのかわからなかった。
わからなかったのに。
なのに、ただ何故か、心が軽くなるのだけを感じた。
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彼女 ━ 雪村静希(ゆきむらしずき) ━ が、企画室に異動してきてから数日。人事異動の時期はとうに過ぎていたが、前任者の退職によって急遽決まった異動だった。
ぼくは数年前に営業から異動して来たが、彼女はつい10日ほど前に、総合部という、他の会社で言うところの総務とか庶務とかを兼任したような何でも屋の部署から異動して来たばかりだ。
だからと言うのか、それまではほとんど接点などない。とは言え、もちろん彼女のことは知っていた。彼女は入社直後から目立っていたから。……いろいろな意味で。
何よりも、人目を引くその容貌。ヘタなモデルや女優など太刀打ちできないほどの。
まず背が高い。そして、メリハリがある、と言うよりは細身でいてしなやかな身体は女性らしい。
加えて、その名に違わぬ白い肌、少し吊り気味で意思の強そうな大きな瞳、小ぶりな鼻に口角の上がった唇。
色素の薄いやわらかそうな髪の毛は、クセなのかパーマなのか、フワリと顔回りを彩り肩口にこぼれている。
ぼくの同期はかなりの美女揃いだと思うが、彼女はその中でも際立っていて、入社式以来、とにかく男子社員の視線が集中的に注がれていたのを覚えている。
配属先が違ったぼくは、たまに社食などで見かけたり、総合部に用事がある時に顔を合わせる程度だったけれど、社食で見かける時はいつでも、お菓子に群がるアリのように男子社員が取り巻いていた。
それなのに。
その後、ほんの数週間も経たないうちに、彼女を取り巻くアリ……のような男子社員はきれいに一掃されていた。
その理由は遠目に見ていても何となくわかるもので、それが彼女を目立たせるもうひとつの理由でもあった。
そう。彼女は、その類まれな美貌と共に、アリが取りつく島もないほどのポーカーフェイスぶりを発揮していた。俗に『クールビューティー』とでも言うのだろうか。
噂では、果敢にも彼女にアタックして、特攻隊よろしく玉砕した男が両手の指でも足りないほどだったらしい。……あくまで噂だが。
噂とは言っても、彼女を見ていると何となく頷ける気もする。別に感じが悪いというわけではないが、必要最低限の受け答え以外は全くしないような印象を受けるから。
それでも仕事に関しては、一切、悪い話は聞こえて来なかったところを見ると、期待を裏切らない遣り手のようだ。
実際、この10日ほどの彼女を見ていてわかったのだが、理解力が高いので飲み込みは早いし手際も良い。何よりも応用力が高く、硬そうな印象からは想像もできないくらいに内面は柔軟で融通が利く。
前任者の急な退職による異動だったせいで、彼女は引き継ぎらしい引き継ぎをしてもらえない状態での着任となってしまった。もちろん、前任者も出来る限りの詳細な引き継ぎ書を作成してはくれたが。
ところが彼女は、その引き継ぎ書だけで仕事の大部分を消化してしまったようで、ぼくがサポートすべき点は周りや取り引き先との関係性、そして今現在の企画室のカラー……みたいなものだけで済みそうだ。もちろん、それが一番大きな問題ではあるのだが、業務だけでも理解してくれた時点で3割は楽になったと言っても過言ではない。
この事実を見るに、彼女に去られた総合部も相当イタかったと想像できるが、こちらも正直、忙しい中でのサポートを充分に行なえるのかは疑問だったし、本当にありがたい人選だったと言える。
ただ、ひとつだけ。ひとつだけ小さな不安があった。もちろん、内勤的業務に関して彼女への不安は一切ない。ないのだが。
企画室は、文字通り企画の運営が主たる業務のひとつだ。当然、社内の別部署だけではなく、社外の人間相手にもプレゼンを行なうし、マーケティングも行なう。ヘタをすると社長たちを相手にしなければならないことにもなる。
あのポーカーフェイスぶりを見ていると、果たして彼女にディベートを望めるものだろうか。口数自体が極小の彼女に。
理論立てやシナリオの作成は完璧に熟すだろう。……が、プレゼンはそれだけでは成り立たない。話し方や熱意、極論を言えば声音にすら左右される時がある。もちろん、見かけには何ひとつ難はないが。
かつて営業にいたから言えた立場ではないが、営業の中にはかなり荒い人間もいる。厳しいノルマの八つ当たりとばかりに、まるで喧嘩をふっかけてくるような口調の人間だって珍しくはないのだ。
そこまで考えて、些か先のことまで考え過ぎている自分を戒めるように頭を振った。それは自分がフォローすればいいだけのことだ。そこを、こそ。
元々、最初から全部を熟せる人間などいない。ディベートだって同じことだ。彼女はそれ以外の業務を、たった10日程度で修得してくれた。それだけでも驚くべきことだし、ありがたいくらいだ。それ以上を望むなんて贅沢すぎる。
……そう思い直した。
しかし、このしばらく後、ぼくは彼女の真の力……かも知れない力……を見せつけられることになる。
***
その日、ぼくは企画室の永田室長に呼ばれ、ミーティングルームへと向かった。
ミーティングルームに入ると、既に総合部の正木部長と米州部の矢島部長、片桐課長が座っている。
「遅くなりました」
ぼくがテーブルに近づくと、片桐課長が親しげに片手を挙げてくれた。彼は営業部時代のぼくの直接の上司だった人だ。
「藤堂くん、忙しいところ突然悪かったね」
永田室長が声をかけてくれた。
「いえ。しかし、この面々で打ち合わせとは……いったい何が起きるのか怖いですが」
冗談めかして言うと、
「うん。実は、本来なら欧州部とアジア部にも出席してもらう予定だったんだが。双方ともに時間調整が間に合わなくてね。とりあえず米州部にだけでも概要の説明をしようというわけだ」
室長の説明を受けてわかったのは、欧州部とアジア部も……と言うことになると、かなり大がかりな合同企画になりそうだ、と言うこと。懸念していたことが現実となりそうな予感がする。雪村さんにも早めに根回しした方が良さそうだ。
「総合部の正木部長には、ある程度の予定が決まった時点で会場やら手配をしてもらわないといけないのでね。時間がある時は参加してもらおうと思っているんだ」
なるほど。確かに、細かい手配は総合部に頼むのが一番いい。最初から参加してもらえれば、細々としたことも理解してもらいやすいだろう。
それからは、室長から大まかな企画の予定内容と具体的な目標の説明。
この企画はまず、営業サイドからの正確な現状報告がなければ進めることは難しそうな話だ。逆に、必ず営業への説明も必要になるはずだ。……と言うことは、やはり。
米州部の矢島部長からいくつか質問が入り、次回の日程候補を全員が提示した後、初回の打ち合わせは解散となった。
企画室に戻ろうと、ミーティングルームを出たところで片桐課長に呼び止められた。
「藤堂くん!」
足早にぼくの方に近づいて来る。
「久しぶりだ。君と打ち合わせをするなんて」
心なしか、嬉しそうに声が弾んでいる。
「はい。課長とは、企画室に異動になってからは初めてですね」
そう返すと、笑顔の中に困ったような表情を混ぜ込み、
「まったくだ!君が異動してしまってから米州部は大変だったよ」
そんな風に言ってもらえるのは、社交辞令であっても嬉しいものだ。軽く会釈をすると、
「ところで、今夜、空いてるか?」
課長はそう続けた。珍しい。お誘いのようだ。
「はい。特に予定は入れてないです」
その答えに、
「おいおい。金晩だぞ。花金。若い男が予定を入れてないって何だよ」
笑いながら、自分のことは棚に上げて言う。
「そういう課長こそ。それに今時、花金なんて言いませんよ」
そっくりそのままお返しすると、
「おれは君を誘おうと空けといたんだよ。せっかく打ち合わせで顔を合わせるんなら、と思って。久しぶりにゆっくり話したいし……一杯どうだ?」
まるでいたずらっ子のような表情で笑う課長を見て、一緒に仕事をしていた時と変わっていない人柄を感じ、思わずこちらも笑いがこぼれる。
「はい。ぜひ」
課長は嬉しそうに頷いて、
「いい店、見つけたんだ……と言っても、人から教わったんだけどな」
ウィンクしながら白状する。本当にいつ見ても、男の目から見ても、変わらぬ魅力的な空気を発する人だ。
「終わったら駅前で待っててくれ」
そう言って、急ぎ足で営業部の部屋へと戻って行った。
課長の後ろ姿を見送り、自分も企画室へと戻る。企画室の皆、特に雪村さんには、打ち合わせの内容を綿密に伝えなければならない。企画の内容だけでなく、彼女にこれから必要なこと、やってもらうことになるであろう仕事、やってもらわなければならないこと。
企画室の古参メンバーは、各々の役割を既にしっかりと把握してくれている。企画の内容を説明すると、即座に理解し、それぞれの持ち場を素早く大まかに割り振った。もちろん、これから予定はどんどん変わって行く可能性が高いので、あくまで現時点での割り振りだ。
それを確認し、それぞれが業務に戻ったところで、ぼくは雪村さんとの個人面談に取りかかった。
まず、彼女に企画の内容自体の確認を促すと、ぼくが考えてる以上に的確に理解してくれているのがわかる。本当に頭のいい人だと感心するばかりだ。
そこで、近いうちに必ず、プレゼンテーションやディベートを行なわなければならない可能性があることを説明することにした。今日・明日と言うことではないが、具体的に企画が動き出せばすぐにもその機会は訪れるだろう。
「雪村さんは今まで総合部だったし、プレゼンやディベートなんかはそんなにやったことないよね」
後込みされないように遠回しに切り出してみる。
「特にないです」
全く動揺した気配もなく、淡々と返事が返って来る。本当に必要最低限の単語のみだ。
「うん。総合部ではあまり必要ないからね」
やんわりと『企画室では必要だ』というニュアンスを出してみたが、それに対する反応はない。
「………………でも、企画室ではこれから必要になって来るんだ」
仕方ないので説明を続ける。が、これにも特に反応がない。
「しゃ、社内外のプレゼンとか、場合によっては論争になることもある。もちろん、なるべくそうはならないようにしたいものだけど……」
続く無反応にイヤな予感が過る。もしかして怖じ気づいてしまっているのでは…………
「練習しておいた方がいい、ということですね」
…………ないようだ。
「うん。少しずつでもね。最初のうちはぼくもフォローするから」
ぼくの言葉に、彼女は全く表情を変えないまま、
「わかりました。ありがとうございます」
……棒読みにしか聞こえない。
「手始めに、次回の営業との報告会で1項目だけやってみてもらおうと思うんだけど。出だしのところを……」
そこまで言ったぼくに、
「わかりました。まとめてみますので、出来上がったら確認をお願いします」
…………個人面談、強制終了。
ぼくは半分くらい放心した状態で、静かに立ち去る彼女の後ろ姿を見送るしかなかった。
~つづく~