魔都に烟る~part22~
「……それが出来ないから……お母様は命を絶ったの?」
「そうでしょうね……」
レイの言葉の中に、感情を読み取ることは出来なかった。
「その後、私は父に連れられ、ここに来ました。正式な次期・伯爵として」
「お母様の亡骸は……?」
「母は今も、当時のままの姿で眠っているでしょう……凍った湖の底で」
一瞬の間の後、レイは静かに言った。そこにも、やはり感情の色は見えない。
「こちらに来て、私はきみのこと、ガブリエルのこと、三家のこと、そして三家や王室に関する詳しい状況を徹底的に教わりました。そんな頃です。きみの父上とお会いしたのは」
ローズの瞳が湿度を帯びて揺れた。父のことを思い出せば、胸にこみ上げる懐かしさに震える。
「その時に、きみの話も聞いたのです。ルキア・ローズ」
「……私のこと……?」
「名前を聞いた時に、すぐにわかりました。警戒しているのだ、と。名前に強くこめられた護符……本当に知りませんでしたか?」
ローズは頷いた。自分の名前の由来についてなど、父から聞いたことがなかった。
「ローズは言わずと知れた……薔薇は力の強い花です。これだけでも護符になりますが、きみにはこれだけでは不十分だったのでしょう」
父は、不安にさせたくなくて、ローズには何も話さなかったのであろうか。名前の由来、ガブリエルたちとの関係性、全てを己ひとりの胸に抱えたまま。
「そして“ローズ”よりも強力なのは“ルキア”の方……」
レイはの言葉に我に返る。
「“ルキア”の語源はラテン語のルークス(lux)━つまり『光』……きみの名前の意味は“光の薔薇”です」
(……光……薔薇……)
ローズは心の中で呟いた。
「きみが知らなかったようなので、敢えて指定通りローズと呼んでいるふりをしていましたが……私はいつも“ルキア・ローズ”と呼んでいました。“ルキア”の音は聞こえていなかったでしょうが」
ローズはその言葉でようやく思い当たった。レイがいつも、口の中で何かを唱えているように感じたことを。
「護符は唱えるだけでも、その力を増します……特に、力のある者が唱えれば」
ローズの名前だけでなく、レイは常にそうやって護符を唱えていたに違いない。━そんなことを考えながら、ふと、ローズは頭の片隅に思いつく。
「……レイの名前にも……何か意味がこめられているの?」
控えめに切り出すローズ。その顔を一瞬見てから、レイは頷くように睫毛を伏せた。
「……ええ。私の名前で、ゴドー家の当主として、他家への対応のために付けられた名は“ユージィン”だけです」
自己紹介の時、初めて聞いたレイのフルネームに驚いた記憶が甦る。貴族であれば、ミドルネームやら珍しくもないことはわかっていても、サードネームまであるとは思わなかったからだ。
「ファーストネームとサードネームは、実はこの国の言葉、としての名前ではありません」
「え?」
ローズは言葉の意味がわからずに戸惑う。
「サードネームの“セーレン”は、文字にするとこう書きます」
そう言って、レイはサイドテーブルにあった紙に、文字のような記号のような、ローズが見たこともない、不思議な形の文字を書き記した。
━清蓮━そう記されている紙。
「…………?」
不思議そうに眺めるローズに、レイは静かに説明を始める。
「東洋の文字で、左側が“セイ”、右側が“レン”を表しています。“セイ”とは清いこと、浄化することを表し、“レン”は植物で、いわゆるロータスです。こちらも霊気を宿した花とされています」
「これが文字なの?しかも、このふたつの塊でそう言う意味になるなんて……何だか不思議ね」
率直な疑問の言葉に、レイの口元に微かな笑みが浮かんだ。その表情を見たローズは、突然、彼が自分よりも年若いことを再認識する。
「じゃあ、ファーストネームの“レイ”にはどんな意味が?」
そんな考えを打ち消すように、ローズは慌てて話題を戻した。レイの瞳に炎のような光が灯る。
「“レイ”は━零━と書き……厳密に言うと、古来からの意味とは少し違うようですが、基本的には0……何もないことを表しています」
「……え……それって……」
ローズの胸の中には、何故か、何かモヤモヤとした感覚が湧き上がった。自分でも理由がわからないくらいに。
「……特に難しいことはありません。起きてしまった悪しきことを、理(ことわり)に則って無に返すことですから」
(本当にそれだけなの?)
事もなげに言い放つレイの様子に、却って疑いの芽が頭をもたげる。
「オーソン男爵は自分の娘、そして孫を使ってでも、三家のトップにのしあがるつもりです」
レイは話の流れを三家の方へと傾けた。
「……おじい……オーソン男爵は……一体、何が目的なの……?」
『お祖父様』
ローズは、思わずそう呼びそうになる自分を留める。
「延いては王室をも操る算段……なのでしょう」
「……まさか!そんなことが……!」
『できる訳がない』
そう言おうとして、ローズの言葉は尻窄みになった。どうして、そう言い切れるであろう。その根拠が全くないことに気づく。
(娘や孫までも道具のように使う人なのだ。ガブリエルと……そして私の祖父は……)
押し黙ったローズの心中を読んだのか、レイは静かに言葉を発した。
「恐らくガブリエルは、オーソン男爵と万全を期して、早々にやって来るでしょう」
長く話したせいなのか、レイが疲れの色を見せる。その様子に、ローズはレイの調子が万全ではないことを思い出した。
━そして。実際には、そう長くない数秒。
少し思案の表情を浮かべていたローズは、やがて意を決したように静かに立ち上がった。