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2月が終わりではじまりだった
2月も中旬に差し掛かった仕事上がり。落ち込む気持ちが米俵のように肩に食い込み、身体まで重くする。
「はぁ~……」
世間ではバレンタインも間近だと言うのに。
『バレンタインは、新しい彼氏にチョコあげたいから』
ほんの数日前、彼女だった彼女──ヘンな言い方だが──から、いきなりそう宣告され、あっさりフラれた。
池山智之(いけやまともゆき)32歳、男。
付き合って1年。結婚を視野に入れ始めた矢先の、青天の霹靂的な出来事に眩暈すらしそうな寒空の下。
「何がいけなかったんだろうか……」
うまくいってる、と思っていたのは自分だけだったらしい。あまりの温度差が身にしみる。しかも、『新しい彼氏とバレンタインを過ごす』と言うことは、ぼくは相当な間、彼女の心変わりに気づいていなかったのだ。
「はぁ~……」
もう、ため息しか出て来なかった。──と、その時。
「落としましたよ?」
突然、背後から女性の声。振り返ると、髪の長い女性が、ぼくがいつの間にか落としていた(らしい)小さな箱を差し出している。
「……あ……!」
彼女にプレゼントしようと、プロポーズしようと考えながら買ったもの。今となっては、あの恥ずかしいまでに真剣に選んでいた時間が、幻であってさえ欲しくなる。
「……す、すみません……ありがとうございます……」
歳の頃は30歳くらいだろうか。抜群とは言わずとも綺麗な人だ。……失礼な言い方かも知れないが。
「大事なものなんじゃないですか?大切に扱わないと、お相手の方に通じてしまいますよ」
そう言って、その女性は微笑みながら踵を返した。
「……もう必要ないけど……」
気づいたら声に出してしまっていた。消え入りそうに小さい声だったけど。だけど、それでも彼女には聞こえてしまったらしく、足を止めてゆっくりと振り返った。
(……しまった……)
後悔したけど、もう遅い。聞こえてしまったのだ。
(……気まずい……)
ぼくの顔を見上げる視線を感じ、どうしていいやらわからずに目が泳ぐ。
「……あ、や……その……」
しどろもどろで、別にする必要のない言い訳を考えている自分がナサケナイ……。
「……場合によっては、返品される、と言う手段も使えるかも知れませんよ。……指輪には罪はありませんからね。御縁は他にあるかも……」
「……えっ……?」
驚くぼくに軽く会釈し、彼女は再び踵を返すと去って行った。
(……どうして中身が指輪だってわかったんだろう……?)
……いや、不思議に思うのはぼくだけで、見る人が見れば、この大きさや包みで想像はついてしまうものかも知れない。ぼくが疎いだけで、見るからに、なのかも知れないし。
(……物に罪はない……か……)
中身がバレた云々より、確かにその通りだと思った。
お金云々の問題じゃない。ぼくじゃない誰かに買ってもらえれば、この指輪だって、きっと喜ばれて大切にされたんだ。そう考えると、捨ててしまおう、と言う気持ちにブレーキがかかる。
……もちろん、返品された物なんて縁起悪いと思う人もいるだろうけど。
(……一応、明日にでも、返せるかどうかだけでも訊いてみよう)
物は試し、だ。
*
翌日、ぼくは恐る恐る指輪を買ったお店の扉を開けた。
……カップルしかいない。いや、ひとりの人も少しはいるか……。買うために入る時は、恥ずかしいながら決死の思いだったから、あまり良く覚えていない。
「いらっしゃいませ。どのような物をお探しですか?」
お店の人に声をかけられ、焦る。一体、何と言って切り出せばいいのか。決意して来たワリに弱腰な自分。
「……あ、いえ……とりあえずちょっと見させて戴いて……」
……情けない逃げ口上。
「ごゆっくりご覧ください」
遠ざかって行く店員の気配。その間に、店内を見るフリをしながら、必死に出だしを考える。
どうしよう。
どうしたら。
どうなるの。
……変な三段活用みたいだ。だけど、こうしていても時間は着々と過ぎて行く。いい加減、切り出さなければ──と、その時。
「ご用件、承ります」
突然、かけられた声にビビる。
「……あの……あ、や、別に……」
「交換やサイズのお直し、ご返品などはこちらで承りますが?」
(えっ!返品も!?)
思わず店員さんの方に目を向けた。何でわかってしまったのか……いや、ぼくからそんなマイナスな空気が放出されてしまっていたのか!?不安な気持ちで顔を見た瞬間。
(……えっ……?)
立っている店員さんには見覚えがあった。
確か、ぼくが必死の形相で選んでいる時に、担当してくれていた人だ。かなりの長時間、商品と睨めっこするぼくを、辛抱強く待ってくれ、そしてアドバイスをくれた人。
その時のことは、ほとんど覚えていないのに、最後に包みを渡してくれた時の笑顔が優しくて、それだけは記憶に残っていた。
(……それじゃあ、返品ってバレるはずだよなぁ……)
どうにも気まずい。そんなぼくの心の中を読んだのか、その人は「こちらにどうぞ」とカウンターの椅子に促してくれた。
「先日、指輪をお買い求めくださったお客様ですね」
「……はい……すみません……こんなこと……」
その人は首を振る。
「いいえ。捨てたりしないでくださって良かったです。指輪には罪はありませんから」
聞き覚えのあるセリフに、ぼくの中で時間が止まった気がした。俯いていた顔をゆっくり上げる。
「……お箱代はご返金出来ませんが……」
手続きの書類を見ながら静かに言うその人の顔を、ぼくは食い入るように見つめた。見覚えがあるのは、それだけじゃない。
(髪の毛アップにしてるけど……制服着てるけど……でも、この人は……)
視線を感じたのか、目線を上げたその人は、驚きでマヌケ面のぼくにニッコリと笑いかけた。
「きっと、御縁のある指輪は他の子なんですよ」
……昨日、指輪を拾ってくれた人だ!
「……はい」
口から素直に返事が出た。この人が言うと、何だか本当にそんな気がしたから。
彼女とはあっさりと終わってしまったけれど、何かがはじまる予感……まあ、予感だけだけど(撃沈予感)。
*
ちなみに、実はこの人がぼくより4歳上だと言うことを知るのは、もう少し後の話。
〜おしまい〜
*****
〔朗読してくださった方〕
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