薔薇の下で ~ Under the Rose 奇譚 ③ ~
【~Under the Rose~】 秘密で・内緒で・こっそり
*
彼を見つけたのは、偶然にも任務で使っているバーの片隅。私が奥まった半個室の席で人材を物色していた、まさにその時。
ちょうど男をひとり、仲間に引き入れたいと思っていたところに、彼は運悪く私の射程圏内に飛び込んで来た。
遠目で斜め後ろ姿を眺めていても、見れば見るほど条件にぴったりの魅力的な男。この男なら……。
そう思った瞬間、少しこちらを向いたその男の斜め顔を垣間見て、私は思わずグラスを取り落としそうになった。
(……あれは……)
何てことだろう。私には、一瞬で、その男の素性がわかってしまった。
仲間に取り込む相手として、条件は申し分ない……けれど。
彼を選ぶべきなのか、選ぶべきではないのか、どうにもならないくらいの迷いが過る(よぎる)。
私は迷いながらもその男から目を離せず、もう、とうに忘れ去っていたはずの過去に、遠く遠く思いを馳せていた。こんなはずではなかったのに……。
散々、迷った挙句、やはり目的達成のためには彼より最適な男はいないだろう、と私は判断した。調査担当の仲間に彼の素性を調べるように連絡する。
私が彼を知っていることは、出来れば仲間たちに知られたくはない。
そして、何よりの問題は─。
私に彼を落とせるか、と言うこと。
仲間に引き入れる、と言うだけのことなら、過去の話を持ち出せば、間違いなく彼は落ちる。でも、それだけでは不十分だ。
より重要なのは、彼が私に堕ちるか、と言うこと。
私にその力があるだろうか。そして、貫き通せるだろうか。何があろうと、最後まで。
*
仲間からの調査報告に目を通した私は、まだ迷いながらも彼に近づくチャンスを窺っていた。
幸か不幸か、彼は私たちが使っているそのバーの常連……とまでは言わないけれど、月に1~2度は訪れているようで、今まではたまたま、私とはタイミングが合わなかったらしい。
夏も盛りを過ぎようとする頃、私は動く決意をした。
彼は私に目を留めるだろうか。
それは賭けのようなもの。この目的のために、私は私なりに自分を磨いてはいるつもりだけれど、こればかりは好みと言うものがある。
週末の夜、彼がひとりカウンターで飲んでいるところを見計らい、私は組み立てたシミュレーションを脳内で確認する。
薔薇の香りを身に纏い、私は彼の射程圏内へと足を入れた。
幸いなことに、私は彼のお眼鏡には叶ったらしい。少なくとも興味津々。それは私を見る目でわかる。
『並木京介』━彼は私にそう名のった。
私は当然、今、使っている『薔子』と言う名を。
あとは、どうやって『私に』落とす、か。
警戒している風を装って引きながら、彼が諦めそうなラインを狙う。そこで、一気に触れるほど近くまで急アクセルで踏み込む。
私の方が驚くほど計算通りに、彼は私の張った蜘蛛の糸へと誘い込まれて来た。私にとっては、ここからが山場だけど。
彼の好みのお酒は、予め調査済みだった。強めに作ったそれで、限界ギリギリまで酔わせる。意識ははっきりしている、でも、ひとりで帰るのは厳しい、と言うレベルに。
彼の方から手を出させなければ、彼が自分の方から堕ちて来なければ意味がない。
触れそうで触れずに焦らし、顔と鼻孔をくすぐる香りと髪の毛、そして、眼差し━。
まるで手招きするかのように、彼の意識を誘う。
操られたように手を伸ばして来た彼が、壊れ物のように私の頬に触れる。
━いける……!
私は確信に近いものを感じた。あと、ひと押し。
彼の目が、私の目に囚われた一瞬を見逃さなかった。目を捉えたまま私は口角を上げる。
━瞬間。
彼は私を引き寄せ、唇を重ねて来た。押し開くように強引な口づけ。
予想通りの展開だった。
私は彼に両腕を回し、首の後ろに指を這わせる。
身震いするように反応した彼は、抱きしめた私の身体を返して来た。
自分から堕ちて来たのだ。━私へと。
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シナリオと、彼に身を委せながら、滲んで行く視界の中、天井から私たちを見下ろしている薔薇に問いかける。
本当に、これで良かったのだろうか、と。
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〔朗読してくださった方〕
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