社内事情〔5〕~謎の女3~
〔里伽子目線〕
*
今井里伽子(いまい りかこ)。29歳。
海外営業部・アジア部所属。美人でオールマイティにハイスペック。でも無愛想でかなり遠慮なし。つき合い始めた上司・片桐をその無自覚の魅力(?)でグダグダにノックアウト中。
*
つい、先日のこと。
アジア部の林部長が、何だか控え目な体で私のところへとやって来た。
林部長は見るからに人の好さそうな見かけなので、怖がっているか怯えているようにすら見える。
……ってか、あれ?もしかしてホントに怖がってたのかしら?
「今井さ~ん。悪いんだけど、今度、また行ってくれない?」
「はい?どこへですか?」
「え~とね。米州部の片桐くんと一緒に、夏に一度行ってもらったやつ……」
部長は、もう暑くもないのに汗を拭き拭きそう言った。もしかして冷や汗なの?
「……あ、あぁ~……伍堂財閥の定例会……ですか?」
「そうそう、それそれ。また片桐くんが代打らしくて、同伴を頼めないかと矢島部長から……ね」
「………………」
本来、専務の代理なら、優先的に各部署の部長たちのはず。なのに、巡り巡って片桐課長にお鉢が回って来るのは何故なの?
私の無言の間(ま)を、こっちが何か悪いことした気になるくらいのビクビクした様子で窺う部長。
……私、そんなに怖い顔してるのね。自覚はあるけど。
関係ないけど、実は、前回の定例会の時、土曜日が潰れたので月曜日に代休をもらえた。
定例会は、課長の車で那須まで連れて行ってもらってたので、そのまま那須にもう一泊して、ドライブがてら二人でプチ旅行をしたのだ。
初めての遠出。ま、半分は仕事だけど。
そんなことを思い出しつつ。
「わかりました。それで、今度はいつ、どこでしょうか?」
私の返事に、部長は心底安心した表情を浮かべた。どんだけ私のこと怖がってるの?
「来週末に、今度は軽井沢の方らしい。細かいことは片桐くんと直接打ち合わせてね」
「はあ……」
無事に用件だけ伝えて安心したらしい部長は、そそくさと私の元から立ち去った。
何か微妙な気分だわ。請け負ったんなら、詳細くらい伝達してくださいよ、部長。
それにしても━。
前回、同伴した時に不思議に思ったんだけど、課長、定例会の間、やたらと私に張り付いてるのよね。
それこそトイレも行かないで。私が化粧直しに行く、って言うと『ついでにおれもトイレ』ってついて来るし。
『正装は窮屈だ』って言ってたワリに、仕事とは思えないくらい、行くまでは何だかよくわかんないくらい機嫌良かった。なのに、着替えて会場に向かう途中くらいから、段々と面白くなさそうな表情になって来て。
ま、実際、仕事だ、って自覚したのかとは思ったんだけど。でも普段もスーツなのに、そんなに正装と違うもんなのかしら。女にはよくわからない。
とにかく、今夜逢うことになってるから、ちゃんと詳細訊いとかなくちゃ、なんて思っていたら。
……結局、詳細を聞かせてもらえたのは、翌日のお昼ゴハンの時だった。
*
━と言うような行程を経て、本日、当日、金曜日。昼過ぎに課長と社を出ることになっている。
晩秋と言うか、初冬の軽井沢なんて、雪の心配がある。だから列車で行って向こうで車を借りる、って話もしたんだけど。
結局、こっちから雪用のタイヤをつけたレンタカーで行くことに。
午前中、そろそろ昼休みも近い頃、出来る仕事を急いで片づけている私のところに、片桐課長が慌てた様子でやって来た。
「今井さん、すまない。専務の勘違いで、定例会の時間が聞いていた時間より早かったんだ。昼には出るから、用意してくれるか?」
『専務の勘違い』の部分を強調して言う課長に笑いがこみ上げる。専務ならありそう。
「わかりました」
「すまない。おれは車を取って来て、社の前に停めとくから」
そう言って課長は急ぎ足で出て行った。
(電車で行った方が確実なんじゃないかなぁ)
そうは思うものの、課長が決めたことだから仕方ない。とにかく用意をするためにパソコンを落として立ち上がる。
急いでロッカールームに向かおうとして、
「きゃ……!……あ、あ、ごめんね、東郷くん。ちょっと急いでたから……」
部屋の入り口のところで、外出から戻って来たらしい東郷くんとぶつかりそうになってしまった。
「……いえ、おれの方こそすみません。あ、あの、先輩、何かあったんで……」
「ホント、ごめんね!ちょっと急ぐから!」
東郷くんの言葉を遮り、ロッカールームに向けて廊下を駆け抜ける。まあ、大きな荷物はもう課長に預けてしまってあるから、着替えて手荷物を持つだけなんだけど。
軽井沢は寒そうなので、今日はとりあえずパンツスーツで出社した。普段はスカートばかりだから何となく慣れない。パンプスをショートブーツに履き替え、ダウンを持って玄関へと向かう。
玄関を出たところにある石柱の陰から、少し外れたところに立っている課長の後ろ姿が見えた。
━が。
「かちょ……」
呼びかけようとして、私は次の言葉が出て来なくなった。と同時に足も止まる。
課長の姿を認めたと同時に、その向かいに誰かがいるのがわかった。課長と向かい合っている人の存在が。
それが女性だとわかるのに時間はかからなかった。私より少し歳上くらいだろうか。小柄でおとなしそうな綺麗な人。
課長は、私に背を向けて立っているから顔は見えない。なのに、課長のその背中からは、今まで感じたことがないくらいに、向かい合って立つその女性に対する『拒絶』のような空気を感じる。
━そして。
その女性の顔をひと目見ただけで。
それだけで、私にはわかってしまった。
~社内事情〔6〕へ~
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