呼び合うもの〔九〕〜かりやど番外編〜
そこからふたりの写真が続き、時に拗ねたり泣いたりしてはいても、どれも良い表情を浮かべている。
「朗(ろう)くんの写真がないですね」
不思議に思った優一(ゆういち)が訊ねた。
「ぼくが美鳥(みどり)と初めて逢ったのは、高校生になった夏です。それ以前の写真は、昇吾(しょうご)と撮ったものしかありません」
端末を開いた朗が、ある画面を差し出した。微妙に年齢差のある少年が四人、並んで笑っている。
「……これ、この左側の子が朗くんですよね? 隣が……昇吾くん?」
「そうです。あとの二人は、ぼくの兄と弟です」
食い入るように見つめる優一の目に、疑問の色が浮かんだ。
「似ていない訳じゃないけど……瓜ふたつと聞いていたほどではないような……」
「小学生くらいまでは、ぼくらはそんなに似ていなかったんです。むしろ、兄弟との方が似ていました。中学生になってからでしょうか……周りが驚くほど似て来たのは……」
そう言われて、倉田大樹(くらただいき)の言葉を思い出す。
「そんなこともあるんですね」
端末を返し、次のアルバムを開いた優一の目は驚きに見開かれた。
はじける笑顔が、そこにはあった。
やや中性的ながら華やかな顔立ちの少女が、鮮やかなグリーンの瞳を輝かせており、色素の薄いサラサラの髪の毛は風になびいている。
(これが美鳥……)
『夏川美薗(なつかわみその)』の様相しか知らない優一にとって、初めて見る『妹』の素顔だった。確かに、祖母・冴子(さえこ)の面影を色濃く受け継いでいる。
さらに優一は、一緒に写っている少年二人に驚いた。
「これは……本当に、どっちがどっちだかわからないくらい似ている……」
美鳥にとびつかれている二人は、髪型こそ少し違うものの、まるで合わせ鏡のように似ている。
「美鳥の左……向かって右にいるのが昇吾で、左がぼくです」
まさに双子のようだった。
「朗くんよりも、昇吾くんがすごく変わったんですね。そして、そうか……笑い方と言うか、表情の作り方が少し違うんだ……」
目を細めた優一がつぶやく。
「昇吾くんは美鳥と同じように満面の笑みで、朗くんは羽目を外してない感じ?」
「その通りです」
朗は苦笑した。以前、自分でも同じように思ったことがあったからだ。
「……三人で過ごした……たった二度の夏……」
聞こえるか聞こえないかほどの声で朗がつぶやく。
「どうして昇吾くんは、それまできみと妹を会わせようとしなかったんだろう?」
高校生になって初めて会ったと言う話を思い出し、優一は不思議に思った。昇吾と朗の関係性なら、もっと幼い頃に引き合わせていてもおかしくはない。
「独占欲じゃないの?」
和沙(かずさ)が初めて横から口を挟んだ。
「だとしたら、思春期以降に紹介する方が不思議じゃないか?」
「それもそうか……」
推理し合う二人の様子に、朗の口に自然と笑みが浮かぶ。
「これはぼくの予想でしかありませんが、恐らく、自分が高校生になり、美鳥が中学生になり、昇吾は初めて気づいたんだと思います。自分には、一生、美鳥を守り続けることは出来ないんだ、と……」
「どう言うこと?」
和沙が首を傾げた。
「昇吾にとって、美鳥は性の対象ではなかったから。それは美鳥にとっても同じで、あの二人は『男と女』ではありえないんです」
「そんなことで!? 別にお互いに恋人が出来ようが結婚しようが、助け合っていくなんて出来るじゃない!」
朗が「相変わらずだな」と言うように苦笑すると、優一も笑いを堪え、興奮して身を乗り出す和沙をなだめるように腕を押さえる。
「昇吾にとって美鳥は、いつも傍にいて、どんなことからも守ってやるべき存在、だったから。自分がそれを出来ない以上、代わりを探す必要がある、と……まあ、昇吾はそう思ったんだろうね。美鳥が気に入りそうで、尚且つ、自分の眼鏡に叶う男を、と……」
「で、白羽の矢が朗に立った、と……」
「……だったんだろうね。光栄なことに」
朗が肩をすくめた。
「とは言え、もし、美鳥が昇吾のことを望んでいたなら、恐らく昇吾はその気持ちを一生かけて受け止めていた、と思う。例え、昇吾の方に恋愛感情はなくても……」
「それは……」
「えーーー!」
優一と和沙が同時に静動対極の反応を示し、朗は吹き出すのを堪えた。
「昇吾にとって、美鳥はそう言う存在だったんです」
和沙は「よくわからない」と言う表情を浮かべ、優一は思い至ったような表情と浮かべる。
黙ったまま話を聞いていた夏川たちだが、そこには納得するような、懐かしむような表情が表れていた。
「何となく……きみたちの関係がわかった気がする。大樹の話だと、とにかく大切に思ってる、以上の理解は出来なかったけど……」
「倉田さんともお会いになったんですね」
「互いに呼び捨てに出来る程度にはね」
あの後、二人は何度か副島(そえじま)抜きで会っていた。副島には話していないこと──大樹が個人的に行なったと言う、昇吾たちへの小さな援護のことなども聞いている。
それは伏せた上で優一は伝えた。昇吾の死を悼んでいたこと、朗のことを気にかけていたことを。
「倉田さんには、本当にお世話になりました。あの後、昇吾まで匿ってもらったと聞いた時は驚きましたが……」
「たぶん、大樹の方が驚いてるよ。きみだと思ったら、同じ顔の別人だったんだから」
一同が仄かな笑いに包まれた。
語り尽くせないほどの時、優一は写真に見入った。
昇吾と朗と美鳥──三人で過ごしたまぶしい夏の思い出。
朗と美鳥の結婚式──昇吾の墓前で行なわれた『墓前式』の様子。
「ああ、本当だ。瞳の色が違う……」
優一がつぶやく。
「朗くんが言ったように、本当に翡翠のようだね」
美鳥を『翠(すい)』と呼んでいた時のことを思い出し、朗は組んで握った手に視線を落とした。
「……朗くん。せっかく会えたんだから、この際、訊いておきたい」
「はい?」
躊躇いを含みながらも真剣な優一の声に、朗が顔を上げた。
「その……今後、緒方(おがた)グループはどうなる? どうするつもりでいるんだ?」
そこにいた誰もが、朗の顔を窺った。動じる様子もなく、朗は瞬きと共に頷く。
「緒方は、列(れつ)が……ぼくの弟が継ぐことになりました」
「列さまに決まったのですか……!」
むしろ、夏川と佐久田(さくた)の方が先に反応を示した。
「はい。兄が継ぐか、弟が継ぐか、双方で何度も話し合ったようですが、最終的に列に決まりました。緒方と小松崎……どちらを継ぐにしても大変なのはわかっていることですから、どちらでも変わらない、と……」
「緒方社長の性格からして、陸(りく)さまが継がれると思っておりましたが……そうですか、列さまが……」
佐久田の言葉に朗が再び頷く。
「兄は緒方の叔父とタイプが似ていますから、そうなれば継続する上での影響は少なく、社員たちにも大きな違和感を与えることなく引き継げるでしょう」
「じゃあ、何で列が……?」
和沙も「意外」と言うように訊ねた。
「叔父の中で、次代を担うのは『昇吾』だったから。同じタイプが続くより変化を、との考えの方が強かったみたいで、確かにそれなら列の方が昇吾寄りですから」
「緒方社長にも、色々と思うところがおありなんですね」
「ええ。どちらにしても、これで関係が途切れる訳じゃない。それこそ、さっき和沙ねえさんが言ってたように、互いに協力することはいくらでも出来ますし、それはぼくも同じですから」
頷く夏川たちとは違い、優一だけが朗を凝視した。
「ならば、きみは?」
「え?」
朗が優一の目を見返す。
「きみは、これからどうするつもりなんだ? 朗くん」
和沙も朗を見つめた。
まだ若い歳下の従弟。妻を喪い、親友を喪い、これからどうして行くのか気にならないはずがない。
その心情を知ってか知らずか、朗は微かに口角を上げた。
「ぼくにはまだ責任が……やらなければならないことが山のようにあります。美鳥から引き継いだこと、今後のために付けておかなければならない道筋……それらが全て終わった暁には……」
「暁には……?」
優一が息を止めて反復した。
「ようやく、この『敷島(しきしま)』の全てをあなたにお渡しする前準備が整います」
「……何だって……?」
驚愕したのは優一だけではなかった。和沙も同様に息を止める。
「元々、敷島グループの資産は全て松宮家のものです。それを、生前の義父(ちち)の意向で、佐久田さんが書き換えて美鳥をオーナーとした……つまり、美鳥も昇吾もいない今、その権利も権限も、松宮家の正式な直系である優一さん……あなたにあると言うことです」
「馬鹿な……!」
思わず優一は叫んだ。
「そんなこと出来る訳がない……! おれは戸籍上は『小半優一』なんだぞ……! 第一、それを言うなら朗くん、きみだって……美鳥の配偶者として、きみにこそ権利があるだろう。美鳥がオーナーだったと言うなら、むしろ、その方が正当性はあるはずだ……!」
ここに来て、優一の中に松宮家の遺産のことなど微塵もなかったのは事実である。純粋に『家族』の話を聞きたかった、ただ、それだけのことだ、と。
だが、朗の口から出た説明は、優一の予想とは大きく違っていた。
「一般的にはそうなるでしょう。けれど、こと『松宮』に関して、そのルールは適用するに及びません」
優一と和沙は顔を見合わせた。
「……どう言うことだ?」
「松宮家の直系には、名前も家も、まして戸籍など関係ありません。重要なのは『血』……松宮の血を引いているかどうかであって、それ以外は大した問題ではない。松宮の血を引く者が、松宮の全てを受け継ぐんです」
「…………!」
ただ息を飲むしか出来ない優一の手を、和沙が再び握りしめた。
~つづく~
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