魔都に烟る外伝/終宴の始まり~part1〜
『その魂、必ずや救ってみせよう』
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『魔都』と呼ばれるヨーロッパ某国の都市。
表通りの華やかさの裏には薄暗い路地、甘美な退廃の香りが饐(す)えた空気を隠す場所。
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「……オーソン男爵の令嬢と結婚せよ、と? ……陛下が私に……?」
顎に指を当て、話を聞いていた若きクライヴ・カーマイン・ゴドー伯爵は、目の前に立つ使いの男に問うた。
「左様でございます」
静かに答える使いの男を、赤味がかったダークブラウンの鋭い目が無感情に見つめている。座していてもわかる長身。持て余すように脚を組み、やはりダークブラウンの髪を撫でるようにかき上げる。
「オーソン男爵の令嬢と言えば、確かしばらく前にアシュリー子爵と結婚し、先ごろ子も産まれた、と聞いたが……?」
使いの男は答えない。詳細を知らないのか、あるいは何も答えてはならない、と言われているのか。
──考えるまでもなく後者である、と読み、クライヴは頷いた。
「……陛下に申し上げよ。明日、ゴドーがお伺い致す、と……」
「……御意……」
恭しく敬礼をした使いの男は、伝言と返事以外は何も口から発することなく、静かに去って行った。
(……陛下は何を以て、私に結婚せよ、と仰せなのか……あの二人が離縁するなどとは考えられない……まさか、わざわざ離縁させてまで……?)
訝しみながらも、『明日になればわかること』と思い至ったクライヴは、その件に関する全てを思考の引き出しにしまい、書斎へと戻った。
*
翌日、登城したクライヴを、側近の男は全て示し合わせたように奥へと案内した。クライヴにとっては側近よりも勝手知ったる、と言う場所であるが、そこは敢えて任せる。
「陛下。ゴドー伯爵がお見えになりました」
『……通せ』
返事を確認し、側近がクライヴを恭しく中に通した。この城の主である男は、窓際に立ち背を向けている。背後で扉が閉まる音を聞きながら、クライヴは部屋の中程で足を止めた。
「 Your majesty 」
呼びかけると、ゆっくりと振り返った鮮やかな青い瞳がクライヴを見つめる。
「……二人の時は畏まった言葉は不要だ、カーマイン」
「 Yes, my lord 」
「リチャードで良いと申しておるに……相変わらず可愛げがないな。まあ、そこがそなたの良いところでもあるが……」
本気とも皮肉ともつかずに小さく笑うと、クライヴを椅子へと促した。だが、向かい合ったものの、双方とも一向に口を開く様子はない。そこに、沈黙を破るかのようにノックの音が響いた。
『陛下。お飲み物をお持ち致しました』
「……入れ」
テーブルに飲み物が置かれると、小姓に向かって小さく手を振る。
「しばらくこの部屋に誰も近づくでないぞ。他の者にも申し伝えよ」
「御意」
小姓が退室すると、ようやくふたりは話す態勢に入った。邪魔が入らないよう、準備が整ったと言うことである。そして、口火を切ったのはリチャードの方であった。
「……当然、用は昨日の件だな?」
「……ええ……」
互いの視線と思惑が交錯する。
「……不満か?」
「……それよりも疑問、です」
そう言いながらも感情の色のないクライヴの声に、顎に手を当てたリチャードの口角が持ち上がった。
「何を不思議に思うことがある? オーソンの家柄なら、そなたともそれ程に不釣り合いではあるまい?」
「“家柄”と言うのであれば、むしろ私の方が釣り合うところなどありますまい。しかし、逆に“血筋”の観点で言えば……」
一度、言葉を切ったクライヴが、意味ありげにリチャードの顔を見据える。
「……私と釣り合う者など、この世にそうそうおりませんよ……」
互いに視線すら動かさない数刻の間。
「……なるほど」
形だけのリチャードの返事に、今度はクライヴの口角がやや持ち上がる。
「……もし、あるとすれば……」
「……伝説の彼家のみ、と言いたいのか……?」
もったいぶったクライヴの言い回しに、リチャードが言葉を上塗りするように重ねた。
「……Yes, my lord 」
クライヴと視線を交え、ややしてリチャードは納得したように頷いた。
「……話を戻しますが、何故(なにゆえ)、よりにもよって私のような男に……?」
「申し分あるまい? そなたは伯爵、アシュリーは子爵……」
「私がお訊きしているのは、そう言うことではありません。おわかりのはず……」
何も答えないリチャードに、畳み掛けるように続ける。
「……何故、相思相愛で結ばれた者同士を離縁させてまで、とお訊きしているのです。まして、令嬢は男爵とは違い、『普通の』娘御と聞いております。子爵とは言え、アシュリー家ならそれこそ申し分ないはず……」
「……何故、『離縁させた』と決めつける?」
反論したにも関わらず、坦々と問う顔を見つめていたブルーの目が逸らされ、形の良い唇が短く息を吐き出した。見通されていることがわかっていての悪あがきに、己の心が諦めを決めたのだ。
「……それを知ってどうする?」
「どうする? これは異なことを……そもそも、父親である男爵はいざ知らず、娘御は承諾しておいでなのか? ……私がどのような男であるか、も含めて……」
「……レディ・マーガレットは委細承知しておる」
挑戦的なリチャードの物言いに、だがクライヴはさして表情を変えることもなかった。それどころか、逆にリチャードの目を覗き込む。
「……では、男爵の意図は? 理由(わけ)も知らされずに『普通の』娘御、しかも離縁された者を花嫁に、となれば、押し付けられたと思うても仕方ありますまい」
視線を逸らしたままのリチャードが、面白くなさそうに組んだ脚を小刻みに揺らした。それを見て取っても、クライヴは手を緩めようとはせず、じっとリチャードからの返答を待っている。
「……オーソンから申し入れがあったのだ……!」
苛ついた体を隠そうともせず、リチャードが不機嫌そうに言い放った。ふいっとそっぽを向く。それを見ても、クライヴの表情は特に変わらなかったが、そのまま終わらせもしなかった。
「……何を隠しておいでです?」
だが、リチャードはクライヴの質問に答えようとしない。
「……大方の予想はついておりますが、無言を以ってのご命令とあらば、私も後々のことについての責任は持ちかねますぞ。……時と場合によっては、男爵も令嬢も、その身の保証は……」
脅迫めいた、と言うよりは、あからさまな脅迫であった。クライヴがそれだけ告げて立ち上がると、見上げたリチャードも半ば腰を浮かしかける
「……カーマイン、待て……! そなたと言えど、今はまだオーソン家への手出しは許さんぞ……! 例え、オーソンのやり方がどうであれ、今はまだ、この国に必要なのだ……!」
「……ほう……?」
態度だけは高圧的に出たリチャードを冷たい目で見下ろしながら、クライヴは一言(いちげん)の元に突き放した。
「……それこそ、私には何ら関係のないことはご存知のはず。……オーソンが無事にいられるや否やは、貴方と彼しだい……」
声までもがあまりに冷たく、怯んだリチャードが唇を噛む。握った拳を震わせる彼を置き去りにし、クライヴは王の私室を後にした。
(……オーソンを利用しようとして、逆に乗せられたな……あの男の危険性はあれほど言っておいたのに……)
脳裏にオーソンの顔が浮かぶ。子どもの頃、父親である先代・ゴドー伯爵に連れられて出席した夜会で、初めて顔を合わせた時のことが。その時から、幼心に油断ならない男であることはわかっていた。父も警戒していた程だったのだから。
(……ここまで話が進んでいる以上、断ることは出来ないだろう……)
半分諦めて屋敷に戻ると、早速執事のフレイザーと見習いのヒューズを呼んだ。事の次第を話し、それとなく準備を始めさせる。
「……My lord……」
話を聞き終えたフレイザーが何か言いかけ、すぐに引き下がった。彼が言わんとしていることはすぐに察しがついたが、互いに敢えて確認はせず、ヒューズを連れて退室する後ろ姿を黙って見送る。
ひとりになり、小さく溜め息をついたクライヴは、机に向かいペンを取った。
『……このたび、当方、国王陛下の思し召しにより、貴殿ご息女とのお話はお受け致しかねる身となり候えば……』
進みかけていた見合いの顔合わせ。まだ日程を決めている段階ではあったが、顔合わせをすれば、それはもうほぼ本決まりと言えた。だが、国王の命とあらば、反故にされたとて否を唱えることは許されない。少なくとも表立っては。
「……一難去って、また一難……」
思わず口を衝いて洩れる。どちらにしろ、結婚自体、クライヴは乗り気な訳ではなかった。むしろ断りの理由を欲していた程なのだが、問題としてはオーソンの方が厄介であることは間違いなかった。
「……リチャードは自業自得だろうが、アシュリー子爵には気の毒なことだな。……まあ、私もリチャードの尻拭いをする訳だから、他人を気の毒がっている場合ではないか……」
自嘲気味に笑い、椅子に沈み込む。
(……オーソンは必ずこの国に仇なす存在になる。私としては、これ以上の厄介事を起こされる前に奴を何とかしておきたいところだが……)
クライヴにとっては、国家の行く末など大した問題ではない。そもそも、自分を『国民のひとり』などと考えた試しがなかった。『いつでも捨てられる』『いつでも出て行ける』対象でしかなく、今となっては真実かどうかも定かでないゴドー家の事始めに、思いを馳せながら冷笑する。
(……たまたま妙な力を持っていただけの、どこの誰ともつかぬ我が始祖も、今頃は苦笑いしているだろう)
とは言え、その力は必ず直系に受け継がれる。一定の条件と当主の意思さえ揃えば。どこかで途切れてもおかしくはないのだが、途切れたことはない。故に逃れられない運命である、とも言えるのだが。
(しなくて済むのなら、結婚などしたくはないが……そう言う訳にも行くまいな。……それにしても、ゴドー家を存続させることに、一体どれ程の意義があるのか……)
クライヴの個人的な考えとすれば、自分の代で終わらせたいとすら思っていた。この柵(しがらみ)にどれ程の必要性があるのか、どれ程の無意味な血を流して来たか、を考えれば。
今、また、この古き家の歯車に、巻き込むことになるかも知れないひとりの女──しかも普通の──のことを考えれば気も重くなる。共に連れて行きたい、と願う相手でもない。
(……ゴドー家を完全に終わらせるためには、私の力では足りない。放棄し、後継者を絶つだけでは終わらない……終わらせることが出来ない……だが……)
無表情な眉根に僅かに感情の波。
「……レディ・マーガレットでは、その“力”の母体とはなれまい……」
この後、どれだけの力を重ねて行けば『その力』を持つ者が誕生するのか──それはクライヴにも予想がつかなかった。下手をすれば、最適の相手に巡り会うこと自体が叶わないかも知れない。
「……伝説の……彼女でなければ無理なのか……だが、本当に存在していることは間違いないはずではあっても、伝承の出所すら定かでないのに……」
それ以前に、出逢えたとして『彼女』が自分を選んでくれる保証もない、などと考え、クライヴは自分で自分が可笑しくなった。だが、浮かぶのは苦笑いのみ。
どこの世界に、運命を変えるためだけに、自分のような得体の知れない力を持つ男のものになってくれる女がいると言うのか──。
「……運命(さだめ)のままに……」
在るしかない──己の憂いにそう結論付け、書き終えた手紙をフレイザーに託した。
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オーソン男爵令嬢マーガレット・ジェーンが、世間の驚きの中でゴドー伯爵クライヴ・カーマインに再嫁したのは、それからしばらく後のことである。
〜つづく〜