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課長・片桐 廉〔12〕~急転回編

 
 
 
 ガッツリと買い出しに勤しんだ今井さん。里芋の煮物、思った以上に楽しみになってるおれは、荷物持ちとしてお役に立ちます、の心意気で米まで運んだ。

 ……危うく10キロ……(何とか5キロで済んだ)。

 それにしても、二人であれやこれや店を見て回りながら買い物をしていると、我ながら本当にアホだとは思うのだが、ドラマなんかで女の子がよく妄想している『私たち、まるで新婚夫婦みたい』な心境がわかる気がする。

 ……もちろん30男が考えるだけでもイタいのだから、当然、口には出さない。

 それでも、普段、しないことってのは、本当に新鮮な気持ちにさせてくれるもんだとつくづく思った。

 買い出しを済ませて今井さんの部屋に戻ると、彼女はまず、忘れないようにおれに服が入った袋を渡して来た。綺麗にアイロンがかけられて畳まれたシャツとジーンズ。

 それから、買って来た食材を手早く整理する。いや、本当に手際がいい。おれが見ていても何をしているのかわからないレベルだった。

 それが済むと下拵え(と言うのか?)を始め、米を研いだり、里芋の皮を剥いて下茹で(だっけか?)したり……見ていて飽きない。

「課長。退屈でしたらテレビでも観ててください。あ、何ならパソコン使われますか?」

 キッチンの入り口の脇、隅っこの方でジッと見ているおれに声をかけてくれたが、普段、見れないものだけにテレビよりも余程飽きない。

 ……手伝うことは出来ないから役立たずではあるが。

「いや、こっち見てる方が楽しい。あ、それとも、ここで見てたら邪魔か?」

 今井さんは一瞬『は?楽しい?こんなのが?』みたいな表情を浮かべたが、

「あ、いえ、それは大丈夫ですけど……こんなの見ててもつまらないんじゃないかと思って。じゃあ、飽きたら適当にテレビつけてください」

 そう言ってくれた。

「ああ、サンキュ」

 だが、おれはその後も、まるでドラマか映画のワンシーンみたいだ、なんて思いながら彼女が料理しているところをずっと眺めていて飽きなかった。

 包丁の音、ガスコンロの火、お湯が沸く音、立ち上る湯気、微かに漂って来る匂い。ガキの頃はお袋が食事の支度をしていると、腹を空かせたおれたち兄弟、男3人で食卓の近くをウロウロしたっけ。

 そう考えると、おれはお袋以外の女性が台所で料理をしているところなんて、まともに見てたことなどなかったことに気づく。おれ、この歳になるまで、どんな毎日送ってたんだっけ?

「あとは少し置いて味を馴染ませるので……もう少し待ってくださいね」

 おれがニヤケ顔でぼんやり眺めている間に、さすがの今井さんはすっかり作業を終わらせたようだ。慌てて意識を手繰り寄せリビングに戻る。

 今井さんが淹れてくれた、今度はコーヒーを飲みながら流れるゆったりとした時間。

 ……なるほど。『部屋でくつろぐ』と言う彼女の言葉の意味が少しわかった気がする。おれは自分の部屋でこんな風に過ごした記憶がほとんどない。

「少し早いですけど夕食にしましょうか。課長、もうお腹入りますか?」

 夕方の6時近く。今井さんが立ち上がりながら訊いて来た。

「ああ、全然、大丈夫。普通に腹減ってる」

 何気に肉体労働をしたせいだろうか?

 今井さんは小さなテーブルに、メシやおかずを盛りつけた茶碗や皿を並べながら、おれに目配せで合図して来た。おれがテーブルに移動して座ると、きちんと並べられた箸の傍に、湯気の立つ味噌汁の椀を置く。

「お口に合うかわかりませんけど……」

 そう言いながら、おれの横に座った。ちょうど、初めて二人で食事をしたイタリアンレストランの席と同じになる配置。

「いただきます」

 手を合わせるのもすっかり習慣になった。

「はい、どうぞ」

 今井さんも手を合わせて食べ始める。

 メニューは、白い御飯、キャベツと玉ねぎの味噌汁、おれにはよくわからないのだが、たぶんイワシか何かにキノコの何かを重ねて揚げてある?……うまい!それに、里芋・ニンジン・大根・イカの煮物。すっげーうまい!!そして、キュウリとワカメ?モズク?の酢の物。

 メニュー的にはたぶん……珍しいものではないのだろうが、とにかく、うまい。昼メシを食った定食屋より全然うまい!おれの味覚にドストライクだった。

 すっかり満足したおれは、入れてもらったお茶を啜りながらニヤけていた。……と、突然、携帯電話が振動する。

(お~い、勘弁しろよ~)

 内心、毒づきながら画面を開くと矢島部長。こりゃあ、無視は出来ない。「ちょっとすまない」と今井さんに声をかけて応答。

「片桐です」

『あ、片桐くん?休みの日にすまない。今、現地から連絡が入って、メールで問い合わせを送ったって言うんだ。それが英語じゃないんだよ。すまないが対応頼む。きみのパソコンに転送しといたから』

「はぁ……わかりました。英語じゃないってことはスペイン語か何かですか?」

『いや、たぶん、フランス語だと思う。……失礼、少しお待ちを……あ、報告は、直接専務秘書の大橋くんに頼む。あ、きみの自宅のパソコンに送ったからね』

「えっ!?ちょ、ちょっと待ってください、部長!おれはスペイン語はギリギリ理解出来ますが……」

 おれが最後まで言う前に、無情にも電話は切れた。途中でヘンな言葉が混じっていたところを見ると、誰かの接待中か何かのようだが、おれにとって問題なのはそんなことじゃない。

(フ、フランス語だとぉーーーっ!?)

 アメリカでは英語の他にスペイン語やフランス語も使われている。おれはスペイン語なら、まあ、ある程度は対応出来るのだが、フランス語はまっっったく!わからん。

 いったい、どうしろってんだ。社内でなら何とかしようもあるが……第一、おれのパソコンにはフランス語ソフトは入っていない。よしんば解読できても返事のしようがないのだ。

 切れた電話の画面を呆然と見つめるおれに、今井さんが心配そうな顔を向けて来る。

「課長……何かあったんですか?」

 相当、途方に暮れた顔だったようだ。

「いや、すまない。何でもない」

 何でもない顔になっていないだろうが。

「課長。何か出来る保証はないですけど、もしかしたら、ってこともあります」

 真剣な顔でおれを促してくれる今井さんに、恐らく、おれも少し甘えた気分になっていたのだろう、つい、話してしまいたくなる。

「……矢島部長からだったんだが……現地からの問い合わせメールが英語じゃないから対応して欲しいと。それがスペイン語なら、おれでも何とかなったかも知れないんだが、どうもフランス語らしい……」

 今井さんはおれの横顔を見つめながら、僅かに目を大きくして、意外なことを言った。

「あの……私、フランス語なら何とか理解出来ますけど……あ、スペイン語は全然ダメですけど」

 おれは驚いて声も出なかった。天の声かよ……目を見開いて今井さんの顔を見つめる。

「アジアの一部はイギリスやフランスの統治下だった国も多いので……」

 確かに、そうだ。だが……。

「私のパソコンからじゃ入るの無理ですか?」

「無理だな。パソコン限定で、パスワードだけじゃ入れない」

 そうなのだ。自宅のパソコンに転送されては、社に行っても意味はないし……どうする。

 おれのその答えに、勢いよく立ち上がった今井さんは隣の部屋に駆け込んで行く。

 数分後、着替えて来たのかさっきまでと違う服を纏い、いつもの通勤用バッグを担ぎ、パソコン用のバッグも抱えて姿を現わした。

「課長、行きましょう!」

「え……い、行くって……」

 呆気に取られているおれに、今井さんの檄が飛ぶ。

「課長の部屋に決まってるじゃないですか!課長のパソコンじゃないとメールの確認出来ないんですよね?私のパソコンにフランス語ソフト入ってますから、持って行けば何とか返事出来ます!」

 まだ固まったままのおれに、反論の余地のない今井さんのひと言。

「課長。社のことですよ。私も課長と同じ社の社員です。例え、部署は違っても、問題は全ての部署に関わって影響して来るんですから、出来ることは相互扶助です!……出来るかはやってみなくちゃわかりませんけど」

 ……うわ……惚れ直しそうだ。

「……そうだな。頼む」

 おれの言葉に力強い笑顔を見せた今井さんと一緒に、急いで部屋に戻ることになった。本当に、おれの勘違いとアホな早とちりがなければアウトだったに違いない。

 『人間万事塞翁が馬』と言う言葉が脳裏を過る。……いや、少し違うか?

 ……って言うか、おれが課長になれるなら、彼女、部長くらいになってても良くないか?万能過ぎないか?

 そんなことを考えながら家路を急ぐおれは、思いもかけずに運命の時を迎えることになる。
 
 
 
 
 
~課長・片桐 廉〔13〕へ続く~
 
 
 
 
 
 
 
 

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