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魔都に烟る~part8~

 
 
 
 屋敷に戻ると、レイはすぐに自室へと引いてしまった。

 どこか、様子が違う。

 昨夜、知り合ったばかりの、しかも、あれを『知り合った』と言って良いのかわからないレベルの二人。その上、一緒に過ごした時間は今日一日だけ、と言うこの状況で。

 全く持って、彼の何たるかを知っている訳ではない。……ないが、何か、をローズは感じる。

 後ろ髪を引かれつつ部屋に戻り、化粧を落として夜着に着替えた。ベッドへ腰かけるが、気になって仕方がない。

 再びベッドから出たローズは、彼の部屋の前に立った。

 扉の前まで来てから躊躇う。ノックをしようとしては止め、止めては手を戻す、を繰り返していると━。

 『………………』

 『………………』

 微かに人の声が聞こえた。何を言っているのかはさっぱりわからないが、確かにレイの部屋の中からである。

 (……誰と話しているの?)

 耳を澄ますが、聞き取ることは出来なかった。

 「……レ……」扉を叩こうとした瞬間、「ローズ様」と自分を呼ぶ声に手が止まる。

 声の主を見遣ると、代々ゴドー家の執事を勤めている男で、確かヒューズと言う名前だったか。

 「今宵、セーレン様はもうお休みでございますので……」

 ややこしいな、とローズは思った。この屋敷内でレイのことを『セーレン』と呼ぶのはヒューズのみ。いや、屋敷外でもいないのかも知れない。彼以外は、社交界の人間も含めて『ユージィン』と呼んでいるようだ。

 では『レイ』と呼ぶのは?ローズはふと考える。レイに気があるらしい女たちは、ローズが『レイ』と呼んでいることにすら嫉妬しているようであったが。

 そこまで考えて、ヒューズが目の前にいることを思い出して我に返る。

 「……あ……今、中から声が聞こえたようだったから……」

 「気のせいでございましょう。私が先ほど寝屋のお世話を終えて、お部屋から下がったばかりですから」

 ローズの言葉に、ヒューズは眉ひとつ動かさずに答えた。その様子は、部屋に入るのを妨げるかのように感じられ、どこか解せない。

 「……でも……」

 食い下がるローズに、ヒューズが何か言おうとした、その時。

 「どうかしましたか?」

 静かに扉が開き、レイが姿を見せた。

 「申し訳ありません、セーレン様。ローズ様がお出でになりましたので、既にお休みの旨をお伝えしていたところでございます」

 ヒューズが心底申し訳なさそうに謝罪した。それを聞いたローズは、何となく自分が悪いような、半脅迫的に罪悪感を感じさせられる。

 「……ローズ?何かありましたか?」

 ヒューズの言葉に、レイがやんわりと問う。

 「……わ、私は、ただ……」

 とは言え、レイの様子が変だったから気になった、などと到底言えるローズではなかった。

 「ヒューズ。ありがとう。もう、下がって構わない」

 言い淀むローズを見下ろしたまま、レイがヒューズに命じる。

 「はい、セーレン様。では、私はこれで失礼致します」

 ヒューズが折り目正しく去ると、レイは再びローズに問うた。

 「私に何か用があるのではないのですか?」

 「……違うわ!私は……」

 勢いよく顔を上げて反論したものの、やはり語尾が失速気味になる。

 俯くローズの様子に、小さく笑みを浮かべたレイは、先ほどのように彼女の顎を掬い上げた。

 「……それとも……一緒に休みますか?私のベッドで……」

 薄笑いを浮かべ、睫毛を伏せがちに訊いて来るレイの様子は、明らかに嫌みを含んでいる。ローズは彼を睨みながらその手を払い除けた。

 「ふざけないで!誰がそんな……!」

 怒りと恥ずかしさを叫びにぶつけたローズは、プイッと顔を背けるとレイの前から駆け去った。

 そんなローズの後ろ姿を見送りながら、まだレイの顔は嫌みを含んで笑っている。

 ━が。

 直に、その顔から笑みは消え、眼差しに妖しくも強い光が宿る。静かに扉は閉じられ、廊下からは人の気配が消え失せた。

 部屋に戻ったローズは、扉に寄りかかりながら、走って乱れた息を調えた。

 (……何よ……!少しでも心配した私がバカだったわ)

 腹立たしい気持ちを抑えながらベッドの方へと歩いて行く。すると、何かの香りが舞って行くのを感じる。

 「………………?」

 不思議に思い、ローズは首を捻った。

 (何だろう……この匂い……)

 周りに注意してみると、その香りは自分の動きに合わせるように漂っている。

 少し考えたローズは、その香りが、レイが部屋の扉を開けた時に中から香った匂いであることに気づいた。

 (これ……本当に何の匂いなのかしら?)

 それは、今までローズが一度も経験したことがない、不思議な香りであった。だが、決して嫌な香りでもない。

 それでも複雑な気分なのは、それがレイの匂いであり、それを纏ったまま眠りにつかなければならない、と言うこと。

 ため息をつきながら、ローズはベッドへ入った。しかし、なかなか眠りにつけず、何度も寝返りを打つ。

 その間、思い出していたのは、レイのことだけではなかった。ずっと追い続け、ようやく捉えたと思ったのに、目の前から逃げ去られてしまった黒い影。

 (あれは……あの影は間違いなく……)

 だが、ローズは突然、もうひとつの謎も思い出した。

 訊きそびれてしまっていたが、クラーク子爵の子息・アレンは、一体、レイに何を相談したのだろう?

 いろいろなことが、次々と脳内に押し寄せて来るうちに、ローズはいつの間にか眠りに落ちていた。

 何かわからない、不思議な香りに包まれながら。
 
 
 
 
 
 
 

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