魔都に烟る~part5~
今宵、クラーク子爵夫妻が主催すると言う、それなりの規模の夜会。
「……私はあなたの、ニコニコと愛想良くしてる可愛らしい婚約者を演じればいいの?それとも気位が高い婚約者?」
ローズの投げやりな質問に、レイはチラリと目を向けると、また口元に薄笑いを浮かべる。
「……どちらでも。きみが演りやすい方で……ボロを出さないで済む方、で結構ですよ」
「…………!」
とことんまで嫌みなレイに、ローズは何も返さずにそっぽを向いた。その様子を見たレイが、さらに可笑しそうに口元を緩める。
子爵邸に到着し、ローズをエスコートしたレイが入り口に姿を見せるや否や、会場内がどよめいた。あっという間に、ヒソヒソと耳を寄せ合う者たちの坩堝(るつぼ)となる。
「まあ、ゴドー伯爵!お珍しいですこと!」
恐らく、これが主催者である子爵家の夫人なのであろう。派手に着飾った中年の女性が、主のクラーク子爵と思しき男性を急かしながらいそいそと近づいて来た。
「ご無沙汰しております、クラーク子爵。そして夫人」
レイが挨拶をすると、予想通り二人の視線はローズの方に釘付けである。それをわざわざ促したかのような間。
「ご紹介が遅れましたが、私の許嫁、ローズ・アシュリーです。長く離れておりましたが、このたび、こちらに帰国致しましたので……」
微妙にうまくボカした紹介である。
「お初にお目にかかります。ローズ・アシュリーと申します」ローズも無難に挨拶をする。
一瞬、何を言われたのかわからない、と言うように、ポカンとした表情になった夫妻。直後に顔を見合わせ、満面の愛想笑いを浮かべた。
「んまあ!何てお綺麗な!ねぇ、あなた」
興奮しながら同意を求める妻の、有無を言わさぬ勢いに押され気味で頷く子爵。
「こんなに素敵な方を隠して、おひとりで愛でて楽しまれるなんて……伯爵もお人が悪うございますこと」
夫人は科を作り、意味ありげな半眼開きの笑みを浮かべる。その様子に、気持ちが悪くて鳥肌が立ちそうになったローズは、懸命に平静を装った。
「隠すだなどと人聞きの悪い。私も長く離れ離れで滅多に会えず、寂しい思いをしていたのですよ。やっと一緒にいられるようになったのです」
如何にも爽やかな笑顔で、思ってもいないことをシレッと返すレイに、ローズは呆れを通り越して感心しそうになる。
「まあまあ、そうでしょうとも。こんなに美しい方と離れ離れでは……ねぇ」
夫人の視線や仕草が、ローズにはどうにも気持ち悪く感じられて堪らなかった。
「……と言うことは、ご結婚も間近と言うことですかしら……?」
期待に胸を膨らませる、と言う表現がピッタリの夫人の興奮ぷりに、レイは再びシレッと返す。
「まだ、具体的な予定は決めておりません。彼女の家族はまだ帰国しておらず、ひと足先に単独で帰国したので……」
「あらぁ!では、ローズ様は今お一人で!?」
完全にレイが誘導しようとしている方へと、夫人の興味が流れているのが手に取るようにわかる。
「いえ……私の屋敷に。どうせ、遠からず一緒に住むことになりますので、慣れてもらうのにちょうど良い機会かと……」
「んまぁぁぁ!では、もうご一緒に!」
その言葉に、近くにいた数人がレイたちの方をちらちらと盗み見ている。
レイが、敢えて、同じ質問を何度も受けなくて済むよう仕向けているのは明白であった。策士の彼に、ローズの口元が思わずほころびそうになる。
「おい、お前……」
子爵が嗜めるように夫人の腕を引いた。はっと我に返った夫人は、再び、満面の愛想笑いを浮かべて言葉を取り繕う。
「まあ、私ったら……すっかり長話をしてしまいましたわ。ローズ様、どうぞ楽しんでいらしてくださいね」
「ありがとうございます、夫人」
ローズが膝を折りながら礼の言葉を述べると、さらにグレードアップした愛想笑いで頷き、他の客への挨拶に戻って行った。
「……わかりやすい人ね」
嫌みを交えたローズの感想に、レイがフッと笑う。
「きみよりもさらに、ね。だが、これで明日には、きみのことがほぼ街中に知れ渡っているだろう」
「私のはあなたのせいよ」
ムッとしてローズが返すと、レイは微かに笑っただけであった。
「さて。では挨拶廻りと行こうか」
そう言ってローズの手を取り、顔見知りの客たちへと声をかけて廻る。すると、レイの目論み通りと言おうか……彼女の素性は、先程の夫人の絶叫によって、ほぼ、全招待客に知れ渡っていた。
全身に刺さるような視線を無数に感じてはいたが、生来の負けず嫌いなのか気位が高いのか……ローズは全くと言っていいほど意に介さず、無難な挨拶を返し続ける。
その中でも、一際、強烈な一個集団が目についた。その会場の中では際立った華やかさを誇る若い女性たちが、数人で固まって様子を窺っている。
彼女たちの目当てがレイであることは、ローズから見ても一目瞭然だった。
予てより目をつけていたレイに、女性の影がないと思っていたところへ持って来て、突然のローズの出現。彼女たちにとっては寝耳に水だったことだろう。
(なるほどね。ああいう面倒な存在がいるから、滅多に宴には出てなかった、ってことね)
ローズはひとり納得した。
確かに、情報を仕入れるためには、待っているだけでは事足りない。だが、厄介な女性陣に掴まったら身動きは取れない。ローズはそのための障壁と言うことらしい。
それならそれでいい、とローズは思う。自分もレイを利用しようとしている立場なのだから。
ローズは、終始、自信ありげな顔でレイの傍らに立ち、そのことに次第に慣れていった。元々、育ちが悪い訳でもないようで、顔立ちに至っては明らかに美人の部類である。
━その時。
「ゴドー伯爵。少し宜しいですか?」
ひとりの若い紳士がレイに声をかけて来た。
「これは……クラーク子爵の……」
「はい。アレンと申します。実は、少々ご相談したいことが……」
どうやら主催者であるクラーク夫妻の息子らしい。年の頃はレイと同年代くらいであろうか。
「私に……ですか?……何でしょうか?」
「はい。あの……ここでは……申し訳ありませんが、こちらで……」
話しにくそうな様子で口ごもり、広間の外へと促す。
「……ローズ。ここで少し待っていてください」
「……では、私は少し風に当たってまいります」
二人が歩いて行くのを見送ったローズは、ひとりテラスへと出て宙を見上げた。
月が、今宵も大きく輝いている。時に神々しいくらいの金色に、時に禍々しいほどに赤く。
小さく息を吐き出す。━と。
「……あなた、本当に伯爵の婚約者なの?」
背後から不意に女の声。無言で振り向いたローズの目に映った女。
先ほど数人で固まり、ローズに激しい視線を送っていたうちのひとりであることは、ひと目でわかった。
(私がひとりになるのを狙っていたようね)
思わず笑いが洩れそうになるのを堪える。
「今まで婚約者の話なんて、これっぽちもお聞きしたことなかったわ。一体、あなた、どうやって伯爵に取り入ったの?」
もはやローズが婚約者ではなく、伯爵をたぶらかしたと言わんばかりの挑戦的な口調。
侮辱されているにも関わらず、そのあまりにも幼稚でわかりやすい遣り方に、腹が立つより吹き出しそうにさえなる。
「……何を笑っているのよ。何とか言ったらどうなの?」
苛立ちながら言う女に、ローズはさらりと返した。
「……そうお思いなら、私ではなくレイに直接お訊きになれば宜しいのでは?」
ローズが『レイ』と呼んだことにも反応したのであろう、女の目が吊り上がる。
向かい合い、睨み合う女。
二人の様子を、月だけが見ていた。