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里伽子さんのツン☆テケ日記〔6〕

 
 
 
 誰か教えて~……いや、この場合、何か違う。

 誰か助けて~……これだ!うん。

 ……って言うか、ホントにどうしよう、この状況。

 今、私はベッドに横たわった状態。それ自体は問題ない。

 しかし、これが人サマん家の人サマのベッドの上。……まあ、百歩譲って、これだけならギリギリセーフであり得るかも知れない。

 しかーーーし!

 これは……まずい。横たわっている私を、上から見おろしている人がいるのだ。いや、正確には、私を組み敷いて押さえつけている人、が。

 そう。私は、今、何と。

 北欧担当の北条くんに、彼の家の彼のベッドの上で押し倒されている状況。ひぇ~。

 話は少し遡る。

 課長にワケもわからず抱きしめられてキスされて……週明け。

 ただひたすらに忙しそうな課長。今週は週末も仕事って言ってたっけ。でも、様子を見ているとちょっと心配。あんな状態で身体を壊さないといいけど。

 それにしても、この中途半端な状態。課長はいったい何を考えているんだろう。何が目的なんだろう。私にわかるはずもないけど。

 今週は私も、用事と言うか、北条くんと一緒に食事をすることになっている。この間の仕切り直しなんだそうだ。こちらもいったい、何を相談されるのか……と言う感じ。

 そして今日、木曜日。私は北条くんと予定通り食事へ。相談事、と言うような会話でもない気がするんだけど。早く本題に入ってよ~。

 ……なんて思ってたら、北条くん、ちょっと鬱陶しい感じに力説入って来て。比例するように彼のお酒のペースがガンガン上がり、さすがに心配になって来た……ら案の定、見事にツブれたわ。はぁ~。

 私には彼を担ぎ上げることは出来ない。仕方ないので、お店の前までタクシーに来てもらって押し込み、何とかかんとか尻を蹴飛ばして部屋まで歩かせ、水を飲ませた……までは良かった。

 このまま放って帰るのも気が引けたけど、明日も仕事だし、さすがに朝までなんて面倒見切れない。悪いけど、飲みすぎた本人の自己責任ってことで、枕元にペットのお水だけ置いて離れようとした瞬間━。

 いきなり後ろから身体を持ち上げられ、アクロバティックに宙を舞った……と思ったら……

 ……今、この状況なワケだ。

 え~と。と、とりあえず、この状況をわかっているのか確認しなくちゃ。

「……ほ、北条くん?あなた、酔ってるんだから、おとなしく寝なさい。ね?」

 北条くんは、冷めた笑いをフッと浮かべ、私の顔をじっと見おろして言った。

「今井先輩。おれは多少酔ってはいるけど、酔い潰れてはいません。頭はしっかりしてます。この状況もよくわかってますよ」

「いやいや、わかってないわよ?あなた、さっきまでヘロヘロだった……」

「フリをしてただけですよ」

 私の言葉を塗り潰すように言う。

 フ、フ、フ、フリですってーーーっ!あなたを歩かせるの、どんだけ大変だったと思ってるのよーーーっ!

「……本当は先輩に酔い潰れてもらう予定だったんですけどね……先輩、強すぎですよ、酒。そのままのペースで行ったら、本当におれの方が潰れそうだったんで……急遽、予定変更させてもらいました」

 何なの、私を大酒飲みのザルみたいに!!……いやいや、そうじゃなくて。

「……ってか、何で、こんな……」

 そうだ。まず、根本はそこを訊かなくちゃだった。彼は一瞬、驚いたような顔をし、

「しかも、鈍感すぎるし」

 笑いを堪えながら、またえらく失礼なこと言ってくれるじゃないの!

 私のムッとした表情を読んだのか、イヤミったらしくクスッと笑った。

「いや、鈍感……と言うよりは……」

 そう言って真顔になる。

「何故か先輩は、対・男に関してだけは無駄に自己評価が低い。いや、低すぎる。その辺り、あなたはあまりに無防備で気づいていない。周りの男がどんな目であなたを見ているか、どんな風に狙っているか」

「……え……」

 北条くんのその言葉は、私にとってあまりに衝撃だった。私が?自己評価が低い、って……。

 私のアホ面に、またフッとイヤミな笑いを洩らす。うーーー……面白くない!

「そんなこと言ったって、実際、需要が少ないのは事実なのよ!北条くんだって今までそんな素振り……」

 もう、ヤケだった。言いたくないけど、本当なのよ!面倒だから、別に高需要を望んだりしないけど!

「おれはずっと言い続けてたはずですが?今井先輩なら申し分ない、と」

「……へ?」

 え、え、えーーーっ!?だって、あんなの、人との話の流れだと思うじゃない!冗談だと思わない方がおかしいわよ!

「本心だ、とも言ったはずです」

 うそ……本気だったの?あれが?

「もっと正直に言えば、おれは入社した時からあなたに憧れていました。ずっと……あなたに釣り合う男になる日を目指して来たんです」

 私は言葉が出なかった。そんなに前から……?ううん、そんなはずない。

「……で、でも、北条くん、ちゃんと彼女いるじゃない。それに……」

「入社した時につき合っていた彼女とは、先輩を知ってからすぐに別れてしまいました。その後は……望みはないかも、と他につき合った人もいたけど、結局、続かなかった」

 うそーーーん!

 初めて聞く話のオンパレードに、茫然とする私の顔を見おろしていた北条くんは、何だか少し寂しそうに笑ってこう言った。

「あの頃、藤堂先輩相手では勝てないと……諦めていました。でも、やっと藤堂先輩の背中が見えて来て……自分なりに今なら、と思い始めた矢先に……」

 そこまで言った途端に凍りついた笑い。

「……まさか、あの人までが……」

 あの人?何?何、言ってるの?

「でも、おれはあの人にも必ず追いついてみせる。仕事も、そして……」

 その瞬間、北条くんの目が変わった。

「今さら、あなたを渡したりしません」

 そう言い放った北条くんの目を見た時、本能的にわかった。

 この人は、今、この場で、本当に私を抱く気だ、と。

 全身が総毛立ったような気がした。

 里伽子、ピーーーンチ!

 テイソーの危機よ!……今、慌てすぎて『貞操』の漢字も出て来なかったわ……って、いやいや、そうじゃなくて!

 何とか逃げようとモゾモゾ動く私を、笑いを堪えながら見おろしてる北条くんの顔見てると、何かホント、ムカつく!……と!

 ひぇっ!顔が……顔が近づいてくるーーーっ!

 私は必死で顔をそらし、何とか身体を捻ろうとモゾモゾ、エンドレス。う、動けない!北条くん、細いくせに重いっ!

 私が必死に逃げる様子を、苦笑いみたいな表情で見おろしていた北条くんは、背けた顔と反対側の首筋に自分の顔を埋めて来た。

「ひょぇっ!」

 北条くんの唇が首筋を這うのを感じ、思わずマヌケな悲鳴が洩れる。ダメダメダメダメダメ!……もう、以下同文だった。

「ほ、北条くん、ホントに自分が何してるかわかってるの!?」

 犯罪よっ!犯罪っ!

「もちろんです。ずっと、この日を待っていました」

 ……ダメだ、こりゃ。

「こんなコトで私の気持ちが変わるとでも思ってるの!?」

 ……そうだとしたら甘く見られたものだわ。

「大丈夫ですよ。おれのことを忘れられないように……ちゃんと、おれなしではいられないようにしますから」

 大丈夫って何よっ!その自信はどこからくんのよっ!そんなコト言うのに限って、大体が見かけ倒しなのよっ!

 その時、ブラウスのボタンが千切れるイヤな音が聞こえた。

 ちょっと!このブラウス高かったんだから!!……いやいや、それどころじゃなかった!

 デコルテの辺りにまで熱い唇が這い、スカートの下から北条くんの長い指がストッキングに入り込んで来たのを感じた時━。

 そこが私の限界だった。

 死を目前にした人がよく言うけど、走馬灯のように私の脳裏に浮かんだのは、いろんな顔。明るい笑顔。困ったような顔。拗ねたような顔。怖いくらい真剣な顔。……そして私に向ける、信じられないくらいに優しい目……。

 でも、全部、同じ人の顔だった。

 次の瞬間、ここに全てを注ぎ込んだと言う渾身の力を込め、私は払腰と巴投げが混じったような変な動きで北条くんを吹っ飛ばした。

「うわっ!?」

 不意を突かれた北条くんがグルンと廻りながら横に吹っ飛んだ瞬間、私は香港のアクションスターに引けを取らない跳ね起きをカマし、バッグを掴むと脱兎の如く玄関に走った。

 部屋を飛び出し、エレベーターにダッシュする私の走りは、恐らく学生時代のマックス100メートル12秒フラットを上回っていた気さえする。

 エレベーターが来るのを待っている間、後ろから北条くんが追いかけて来ないかと気が気じゃなかったけど、扉が閉まって下降するのを感じた途端、身体中が脱力感に襲われた。

 それでも、いつ、人と遭遇するかわからない。エレベーター内の鏡で髪の毛を整えて、ブラウスをスーツの上着で押さえるけど、完全には隠せない。バッグを抱えているしかなさそうだった。

 ふと気づくと、スカートのスリットがイッちゃってる。さっき、イヤな音が聞こえたような気がしたけど、やっぱり、って感じだ。上着で隠すことも出来ず、仕方ないので、バッグに入れていた大判のスカーフで隠す。

 ……今の私、リゾート地でパレオ着けてるのかって、妙な格好この上ない。

 この姿じゃ電車に乗れない。タクシーを拾おうと、辺りに人がいないかキョロキョロしながら大通りに向かっている私は、ただの挙動不審な女に違いない。

 大通りは、ほとんど人がいなくて助かったけど、何故かタクシーが空いてない。不思議に思って交通情報を見てみると、何と沿線の電車が全線不通になっていると言う。

 こんな時に限って。これじゃあタクシーは掴まえられない……って、どうすればいいの、私?背中を冷や汗が伝ったような気がする。

 途方に暮れながら周りを見回し、ふと、気づく。ここって……。

 この間、片桐課長が教えてくれたご自宅の最寄り駅の近くだ。北条くん家の近くだったんだ。そうわかった瞬間、もしかしたらまだ帰ってないかも、と思いながらも、私の足は動いていた。

 人目を気にして歩きながら、私は情けなさで頭がいっぱいだった。

 私も鈍感だったかも知れないけど、それにしても、そんなに長い間、北条くんが私を想ってくれてたなんて……そのことに少しも気づかなかったなんて。

 それに、冷静に考えたら、北条くんくらいの男性だったら申し分ないのに。ひとつ下とは言え、人から見たら羨ましがられるレベルだ。私だって、今までホントは彼女いると思ってたから考えもしなかったけど、決して嫌いなタイプじゃない。

 ……まあ、油断出来ないタイプとは思ってたけど。

 何で、彼じゃダメなんだろう。

 考えれば考えるほどワケがわからなくなり、情けなさが込み上げて来る。

 加えて、自己評価が低い、と言われたのも引っかかっていた。そんなつもりなかったけど、自意識過剰になるつもりもなかったし。

 瑠衣みたいにガンガン行くわよ!なんて私にはぶっちゃけ面倒だったワケで、特に敢えての高需要を望んでもいなかったし。

 そうか……私には危機感も足りてなかったのか……。何か、すごく落ち込む。

 そんなことを考えているうちに、課長のマンション……と思われる建物に辿り着いた。ポストで名前を確認すると、確かに111号室が『片桐』となっている。1が3つ並んだ部屋番号に課長らしさを感じて、気持ちが少し軽くなった気がした。

 課長は帰宅されてるのだろうか。時計を見ると10時半は回っているけれど、課長が帰っているかは微妙だった。

 セキュリティが強化されていない、と言っていただけあって、マンションの入り口で部屋番号を押して開けてもらうシステムではなく、そのまま部屋の前まで行ける造りのようだ。エレベーターで11階まで上がり、111号室の前まで行ってから私は怖じ気づいた。

 こんな有り様を晒して、課長は何て思うだろう。もちろん、本当のことなんて言えるはずもない。さらに情けなさが込み上げて来た。

 でも、この格好じゃ帰れない。まして、電車が動かなければ、途中でタクシーを拾うのも難しいだろう。もう頼れる人は課長しかいない。どうか帰って来ていますように。

 そう祈りながら、私は恥を忍んでかき捨てて、決死の思いでインターホンを押した。

 

 

 

 

 

~里伽子さんのツン☆テケ日記〔7〕へ つづく~

 

 

 

 

 

 

 


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